春の風が呼び起こす記憶。

競馬の世界で「3月」といえば始まりの季節である。

新人騎手たちがデビューし、新たに厩舎を開業した調教師たちが緊張の面持ちでパドックに出てくる。

ちょうどクラシック第一弾に向けた3歳馬たちのトライアルレースが始まる時期でもあり、運が良ければ一週目からメディアを賑わすことになる「初勝利」のニュースが、季節の風と共に何となく爽やかな気持ちにさせてくれる、それが毎年繰り返される弥生の月のならわし。

だから3月のレース、特に1週目の弥生賞などは、最近すっかり忘れっぽくなった自分でも、映像とともに蘇ってくるレースが多い。

だが、そんな季節にも例外はある。

自分にとっては大きな転機となった4年前、そんなに昔のことではないはずなのに、自分の中に「3月」の記憶はほとんどない。

ブログを見返すと、弥生賞のエントリーこそあるが、その後に続くのは沈黙の時間と断片的な感情の吐露だけで、ターフで何が起きていたかに関心を持つ余裕など全くなかったのだろうな、ということが容易に推察できる。

環境の変化を前に、純粋に忙しかった14年前の記憶もほとんどない。

そして、自分にとって一番苦しい春だった年の3月の記憶も、当然ない。

気付けばもう四半世紀。数少ない記憶として残っているのは、最低人気・テンジンショウグンが大万馬券を演出して破れかぶれの心を癒してくれた日経賞くらい、というあの年、はて弥生賞はどんなレースだったかしら?と思って記録を調べてみたら、優勝したスペシャルウィークから、セイウンスカイキングヘイローと後のGⅠ馬たちがずらっと名を連ねるなんと豪華なレースだったことか。

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このレースを記憶から抜け落ちさせるのだから人生というものは恐ろしい。

伏兵と目されていたタスティエーラが、8年前の同レースの覇者・サトノクラウン産駒として初の中央重賞勝ちを飾った、という今年の弥生賞を見ながら、3月最初の日曜日、今、こうして純粋な気持ちで最高の娯楽を楽しめることの幸福を、もっと噛みしめないといけないな、ということを強く感じた次第である。

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