世間の水を怖れるなかれ。

前にも書いたが、「春」と聞いて思い出すのはいつだって↓である。

この曲の儚いトーン同様、決して風のぬくもりほど心が温まらないのは、四半世紀経った今でも「入社式」前後の陰鬱な気分がどこかにこびり付いているからかもしれない。

思えば、昨年までの3年間、世の新入社員たちは実に幸福だった。

入社式はリモート。その後の集合研修もリモート。

対面だと必ず周りに一人や二人いて煽ってくる上昇志向の強い輩や、何かとアピールしたがる輩も、ZOOMやTeamsの画面越しならパワーは落ちる(はず)。

本格的な仕事に突入してからの環境のギャップに戸惑う人は少なからずいたとは思うけど、最初に味わう”嫌な感じ”を経験しなくて済むだけマシだったんじゃないか、と自分なんかは思ったものだった。

だが、今年はおそらく多くの会社で「コロナ前」に戻る。

大人にとっては貴重な週末、土曜日であるにもかかわらず、堂々と「入社式」をやって報道陣にまでアピールしてしまうブラックな会社に入ってしまった新入社員の方々には”ご愁傷様”という言葉をかけるほかないのだが、本当に大変なのはここからの数日間。

自分の頃のような極端な経験をする人は、今時そう多くはないだろうが、仕事の、社会の厳しさをこれでもか、というくらいに強調し、大して年代も離れていないのに”先輩マウンティング”を取ろうとする人々と、それに迎合する一部の同期たち、という構図は、時代が下ってもどこかしらかには残っていて、善良な人々をイラつかせる。

特に、学生時代の多くの間、自分の環境で、比較的”緩やかな時間”を過ごしていた方々にとっては、ここからの時間が無駄に気を遣い、エネルギーを消耗する時間になったとしても全く不思議はない。


昨今の流れで、やれ「ジョブ型」だなんだ、という言葉は飛び交うが、一部の限られた職種を除けば、トラディッショナルな大企業における「新入社員」の位置づけなど大して変わらないだろうと思う。

あくまで育成期間。要員にも戦力にもカウントされない。要は最初の数年間は、大して期待などされていない。

だから、ここで大事なのは、

いかに余計なエネルギーを使わないか

それに尽きる。

そして「一年目が勝負」とか「圧倒的成長を!」などという煽り言葉に惑わされずに、人生の中で数少ない”甘い水”が飲める時間を堪能すればそれでよい*1

そうはいっても、社内で大勢いる同期と顔を合わせれば、どうしても無意識のうちに自分と比べてしまうし、会社を離れても同世代の人間の集まりに顔を出せば、隣の芝が青く見えてしまうことはあるだろうけど、そういうのをシャットアウトできるようになることが実は本当の「成長」だったりもする

心穏やかに安定した自分の世界を築いて、思索にふけり、考える力を磨く。それが、不意に目の前に訪れる偶然の好機で誰かの目に留まるクリーンヒットを打てることにもつながる・・・。

以上、新入社員たちにとっては4年ぶりに不幸せな春が戻ってしまった今だからこそ改めて確認しておきたいこと、であった*2

*1:大体、「圧倒的成長」なんて言葉を使っている輩に限って、本当に成長した姿を見せることはまずないのだから・・・w。

*2:エイプリルフールのエントリーなので、信じるかどうかは読者にお任せする。

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