あまりにドラマチックな。

今でこそインターネット投票の恩恵を受けて息を吹き返した地方競馬の世界だが、前世紀末から今世紀が始まって10年経つくらいまでの頃は、南関東を除けばどこも苦しく、全国各地から聞こえてくるのは「廃止」の声ばかり。

そんな流れの中、安藤勝己騎手に続いて2004年に園田競馬からJRAに移籍し、「地方から中央へ」の大きな流れを不動のものとしたのが、小牧太騎手だった。

既にベテランの風格を漂わせていた安藤(勝)騎手よりも一回り若く、まさに脂の乗り切った世代の騎手が中央の扉を叩いたことが、さらにその後の岩田康誠内田博幸といった当代随一の名手たちの移籍につながったのは間違いないし、実際、移籍後も順当に勝ち星を重ねていた。

だが、それから20年。いつしか小牧太騎手の名を主要レースで見かける機会はめっきり減り、「小牧」といえば障害レース専門のご子息の名前の方をむしろよく目にする・・・というような状況に。そしてそんな中、今年の春に発表されたのが、兵庫県競馬に復帰する」という衝撃のニュースだった。

野球でもサッカーでも、選手生活の最後を古巣で迎える・・・というパターンは決して珍しくはないのだが、これまでもっぱら”片道切符”になっていた地方出身ジョッキーの世界でこのパターンはもちろん初めてのこと。それだけに、どういう思いが騎手の胸の内をよぎっていたのだろう・・・ということを、いろいろ考えさせられたりもしたのだが、復帰発表からNARの騎手試験合格発表、さらにこの週末の最終騎乗までの時間があまりに早く過ぎていきすぎて、レースではついぞこの一時代を築いた騎手の名を聞くことはなかったなぁ・・・というのが率直な思いでもあった。日曜日、小倉の最終12レースの実況を聞くまでは・・・

最後の最後に、12番人気のモズアカボスを先頭で入線させ、2年ぶりの勝利で有終の美を飾った小牧太騎手。

もちろん、このレースに合わせて馬を仕上げてきた矢作調教師の腕あってこそ、というのは言うまでもないことなのだけど、「持って生まれた何か」とでも言わないと説明がつかないこの劇的な勝利に、移籍組のパイオニアとしての意地を見たのは自分だけだろうか。

そして、この晴れやかな門出の先にあるのが「引退」の二文字ではなく、再び迎える「地方」での”復活”劇であってほしい、と、また願わずにはいられないのである。

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