そしてまた蘇った様々な記憶。

今年は万博で沸く大阪を前に”脇役”感もあった我らが東京だが、この秋、「世界陸上」というビッグイベントが降ってきた。

オリンピックとは違って2年に一回の大会だから決してレア感のあるイベントではないし、時は選手が記録を狙うにも会場で観戦するにもはあまりに過酷な残暑真っ只中。さらに輪をかけて、引退したはずの織田裕二が暑苦しく再登場・・・ということで、先月末くらいに予告を見た時は、大して盛り上がらないんじゃないかな・・・と思っていたが、蓋を開けてみれば日を追うごとにヒートアップ。映像から伝わってくる国立競技場の地鳴りのような歓声に、いつもとは違う何かを感じた。

34年前には世界を席巻していたマラソンは、相変わらずの苦戦続き*1。その他の種目でも決して日本勢が爆発的な結果を出した、というわけではない。

ただ、女子3000m障害の予選で齋藤みう選手が日本新を出したことで、記録を17年間保持し続けた日本女子中距離界のレジェンド・早狩実紀選手の名前が蘇ったのは正直嬉しかったし、この「東京」の舞台で男子400m、中島佑気ジョセフ選手が決勝まで進出したことで、あの伝説の高野進選手の名前が度々取り上げられ、当時の記憶まで鮮明に蘇ってきた*2、というのは、自分の中での最大のハイライトだったような気がする。

そして、この国でもじわじわと排外主義が蔓延しそうな雰囲気になっている中で、それでもこの国が(ゆっくりだけど)長い時間をかけて育んできた”多様性”を象徴するようなアスリートたちが、国を代表して体を張る姿を見て、なんとも言えない清々しさと安堵感を抱いたのは、決して自分だけではないだろう。

この国にとっては、こういう積み重ねこそが大事なのだと思っている。


なお、連日盛り上がる会場の様子に反応して、「4年前のオリンピックを有観客でやっていれば・・・」と呟く声もあちこちで見かけたが、冒頭でも書いたように、9月の開催ですらこれだけ暑いのに、7~8月の開催がFIXしていた4年前の五輪で会場に観客をいれたところで、熱中症で搬送される人々がたくさん出てきただけじゃないのかな、と思わずにはいられない。

また、今回の観客のリアクションが、18年前の大阪で自分が体感したそれ*3と比べても格段に勝っていたように見えたのは、「”残念無念”の4年前の東京で中継にかじりついた結果、陸上の魅力に気づいた人が増えたから」ではないか?というのは、行き過ぎた仮説だろうか??

「開催できるかどうか」という瀬戸際で行われた苦渋の選択、そして、それを受けて、静まり返ったスタジアムの中でそれでも心を打つ戦いを繰り広げた全世界のアスリートの思いが、4年の時を超えてリアルな大声援に昇華した、と考えれば、あの時の選択も決して悪いものではなかったはずである。

34年前と同様、熱いバトルに惹きつけられながらも、とうとう最後まで会場には足を運べなかった自分。

「タイガースの優勝」並みの確率でしかこの国に順番が回ってこないイベントが次に日本に来るのはいつなのか、そしてその時、自分がどこで何をしているのか、ということは神のみぞ知る、の世界だが、もし再び、自分が生きている間に東京で世界陸上が行われることがあるとすれば、その時こそは会場で、おそらくはもっともっと多様性を増しているであろう日本選手団と、世界のトップアスリートたちが繰り広げる熱戦に喝采を送りたいと今は思っているところである。

*1:その代わりに競歩は今大会でもメダルを取ったが、事前の期待よりは一回りスケールダウンした結果だったような気がする。

*2:自分も元々競技で走っていた人間だから、91年世界陸上、92年バルセロナ五輪、と、高野選手のレースはテレビにかじりついて観ていたのだった。

*3:あまり盛り上がってないなぁ…というのが、はるばる長居まで足を運んだ自分の当時の正直な感想だった。

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