「大都会」という名の虚像

よく言われること。


東京は便利だ。
東京に行けば何でも揃っている。
東京にいれば時代の先端に触れることができる・・・。


だが、ホントにそうか?と思う時がある。


ちょっとした買い物をするために、
いろいろ店を見比べようとすると、
人ごみを押し分けかき分け、歩き回らなければならない。


おそらく、東京で一番買い物が「便利な」都市は、
新宿ではないかと思うが、
スーツを買うために、伊勢丹三越高島屋を廻り、
電化製品を買うために、ビックカメラさくらやヨドバシカメラを廻り、
本を探して紀伊国屋三省堂書店ジュンク堂を廻ろうと思うと、
相当な重労働になる。


しかも、ちょっとチープな商品を買うための、
スーパーや安売量販店や100円ショップには、
そこから電車に乗らないと行けなかったりする。


ダイエットには最適な環境かもしれないが、
これは純粋に「不便」である。


東京の大きなデパートに行けば、何でも売っているように思える。
だが、完璧な品揃えを誇る店は、
百貨店にしても、電器店にしても、23区内で1つか2つあれば良いほうで、
その他の店舗の品揃えはお世辞にも褒められたものではない。
だとすると、完璧な品揃えを誇る店をはしごしようと思ったら、
山手線をグルグルと廻り続けなければならない。


時代の先端?どこにある?


自分自身、ブラウン管を通して東京を見ていた時代が長かった。
東京が持つ魅力に憧れたときもあった。


だが、ブラウン管の向こう側からの誘いに乗って、
「人気スポット」に行くと、大抵は期待を裏切られる。


テレビ放映直後には行列ができている人気カフェも、
何ヶ月か経てばガラガラになるのは分かっているから、
地元の人間はわざわざテレビで紹介された店に行くような愚かな真似はしない。



東京の「イメージ」は、所詮は作られたイメージでしかない。


夏の殺人的な暑さと、冬の空っ風と、
自動車の排ガスと、よどんだ空の下で、
高い家賃かつ狭い部屋と無駄に湧き上がる行儀の悪い人々の群れを
甘受するしかない、
それが東京の本質である。


こんなことを思ったのも、
自分が連休中に滞在していた街が、
駅から徒歩15分の圏内で、東京で買える程度のものは全て手に入り、
同じくらい歩いただけで、
それなりの家賃のそれなりの部屋にたどり着ける、
そんな街だったからだ。


純粋に機能面だけを比較した時、
どちらが便利な「都市」で、どちらが不便な「田舎」か、
火を見るより明らかである。


今の自分がどちらに憧れるか・・・。


それも、言わずもがな、である。

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