そして生まれた神話。

競馬の騎手がいかに危険な職業か、ということは、自分がそれを見始めた時期に立て続けに起きた不幸な出来事の連鎖*1ゆえに知識としては理解していたつもり。

だが、この週に突然飛び込んできた「殉職」の報は、そんなうわべだけの理解を飛び越えるほどの衝撃だった。

中央でも地方でも落馬事故は常に起きているし、JRA所属騎手だけでも、今年に入ってから、上野翔騎手、佐々木大輔騎手といった躍進著しいホープから、ドバイでのルメール騎手の事象まで、気になる事故はいくつもあった。地方の高知競馬では、まだ25歳の塚本雄大騎手が命を落とす、という痛ましい出来事もあった。

それでも、この20年間、レース中の落馬死亡事故だけは起きていなかった中央競馬で、まさか、藤岡康太騎手が命を落とすことになってしまうとは・・・。


15年前、自分が初めて出資した馬のうちの1頭にデビュー戦から乗ってくれたのが、まだデビューして間もなかった藤岡康太騎手で、その馬の初勝利こそ浜中騎手に手綱を譲ったものの、未勝利戦脱出後はしばらく騎乗してくれていた*2

最初の頃は、父親の厩舎の馬に彼が乗ると「勝負捨てたのか」と騒ぐファンもいたが、実績を重ねてノーザンF系の馬たちに騎乗する機会も増え、気づけば毎年重賞を勝てる騎手になっていった。そして昨年のマイルCS、ムーア騎手が直前で乗れなくなる、という非常事態の中「代打」騎乗したナミュールで久々のGⅠ制覇を成し遂げたことで*3、いよいよ時代が来た!と思ったのは自分だけではなかったはず。

それがまさか、それから半年も経たずにこんなことになろうとは・・・。


週末の土曜日、朝の黙祷に始まり、ラジオの中継席では誰が話しても最後は「藤岡康太」という元騎手に話を結び付けたエピソードを紹介しようとする。
その流れは翌日曜日になっても止まらず、レースの方でも福島のメインで同期の丸田恭介騎手が勝ってインタビューで「藤岡康太」に触れる。

そして、この日の中山メイン・伝統の皐月賞を、戦前から「藤岡康太騎手が調教で乗っていた」エピソードで注目されていた共同通信杯馬・ジャスティンミラノが無敗で制したことで、神話は極上のものとなった。

冷静に見れば、勝った馬の主戦はあくまで戸崎圭太騎手で、勝ち続けているデビューからのこの馬の戦績表を見ても、藤岡康太騎手の名前はどこにも出てこない。

だが、それでもこの馬が勝ち続けて、クラシックの主役の舞台にいる限り、天に召された若きジョッキーの名と切り離してこの馬が語られることは決してないだろう。

願わくば、無敗のまま秋まで駆け抜けて、「ダービーまであと一歩」が続いていた戸崎騎手に悲願のタイトルと「三冠ジョッキー」の称号を授けてほしい、というのは、出来すぎたストーリーを望みすぎだろうか。

この歳になって、理屈では説明できないような不思議な力が人生を動かしているんだよな・・・としみじみ思うことも多いだけに、そんな出来すぎた奇蹟に賭けてみようと思っている。

*1:1990年代前半、玉ノ井健志競馬の騎手がいかに危険な職業か、ということは、自分がそれを見始めた時期に立て続けに起きた不幸な出来事の連鎖((1990年代前半、玉ノ井健志騎手、岡潤一郎騎手と2年続けて若い騎手の殉職が続いた。

*2:中には8番人気で2着に食い込む、という名騎乗を見せたレースもあった。

*3:参照。https://k-houmu-sensi2005.hatenablog.com/entry/2023/11/19/233000

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html