決して、忘れない。

今年もまた「3・11」がやってきた。

「13年」という歳月はそれなりに長く、被災後数年は分単位でしっかり記憶していた黙祷の時間さえ油断すると忘れそうになる。

加えて、何年かに一度のサイクルで、熊本、そして今年の能登、と、その後も甚大な地震災害が日本各地で起きている*1ことを考えると、「東日本大震災」も、そろそろ歴史の中の出来事として葬り去られても不思議ではない。

だが、関西の方々にとって、「1・17」が未だに特別な日であるのと同じく、関東も含めた「東日本」というエリアで生まれ育った者として、そして発災直後から長らくかかわり続けたものとして、自分の中での「3・11」の重みは当時から微動だに変わっていない。

*1:もちろん風水害や火山の噴火等も合わせれば、毎年のように何らかの犠牲を被った地域は存在する。

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きな臭さしか感じないニュース。

前の週のうちから既にリーク記事は出ていたから、事柄自体にそこまでサプライズはなかったのだが、実際に出た「処分」の中身は想像以上にしびれるものだった。

LINEヤフー社に対する総務省の行政指導。

総務省は5日、情報漏洩が相次いでいるLINEヤフーを行政指導した。LINEアプリの利用者情報など約51万件が流出した事案について、業務委託する韓国ネット大手ネイバーの管理監督が不適切だったと判断した。委託を見直さなければ、ソフトバンクが関与を強める形で資本関係を変えるよう求めた。」(日本経済新聞2024年3月5日付夕刊・第1面、強調筆者)

この「資本関係を変えるよう求めた」というくだり。

最初に日経紙の速報ニュースでこのくだりを見た時は、まさかねぇ、と思ったし、前週に同じ日経紙が記事を飛ばした時も似たようなトーンのことが書かれていたから、「記者が思いを筆に載せて滑らせたのだろう」くらいにしか考えなかった。

だが、その日の夜、改めて総務省が出したリリース文*1を見ると、

「上記を踏まえ、実効的なセキュリティガバナンスの確保に向け、貴社内におけるセキュリティガバナンス体制の抜本的な見直しや是正策の検討を行うことに加え、貴社の親会社等も含めたグループ内において、委託先への適切な管理・監督を機能させるための貴社の経営体制の見直し(委託先から資本的な支配を相当程度受ける関係の見直しを含む。)や、適正な意思決定プロセスの構築等に向けた、適切な検討がなされるよう、親会社等に対しても必要な働き掛けを行うこと。」(公表指導文書10頁、強調筆者)

何と本当に行政指導の書面に書かれているではないか・・・。

思えば、業績の伸び悩みを理由に、統合会社の社長がヤフーの川邊氏からLINEの出澤氏に代わったのはちょうど1年ほど前のこと。
その後、「ZHD」は「LINEヤフー」に名を変え、この国のインターネット業界の草分け的存在だったヤフーがLINEの後塵を拝す(あくまで見た目上は)という衝撃的な現象が起きていたのだが、そのタイミングで飛び出したのがこの話だから、もうきな臭いとしか言いようがない。

そういえば、日経紙の飛ばし記事では、ヤフーの元社員のコメントが掲載されていたりもしたし、元ヤフー執行役員警察庁OBの退職話まで掲載されていた。

そこから透けて見えるのは、経営統合して何年も経っているのに、未だに水面下でくすぶる何か、である。

もちろん、本当にそうなのかは外野から計り知れるものではないし、今回の件も純粋な処理なのかもしれない。

ただ、仮にそうだとしても、国家機関が民間企業の資本関係に安易に口を出すなんてことは本来あるまじきことで、たとえそこに立てられているのが「通信の秘密」という錦の御旗だったとしても、この国がそこで”口先介入”が許されるような国であってはならない、と自分は思う。

これを契機に、本当にLINEヤフーの資本関係が見直されることになるのか、それとも次に同じよう「事故」が起きるまでこの「指導」の存在が忘れ去られるのか。今は何とも言えないのだが、今回の一件が「悪しき洗礼」にならないことを、自分はただひたすら祈るのみである。

出会いと別れの交差。

競馬の世界のカレンダーで「別れの季節」といえば2月最終週だし、「新たな出会いの季節」といえば3月1週目、というのが昔からの定番・・・だったはずなのだが、今年はどういうわけか、恒例の3月1週目の新人騎手デビュー週に定年を迎えた調教師の引退が重なる、という珍しい交差が生まれた。

自分くらいの世代になってくると、毎年デビューする10代の新人騎手たちは、一括りの「若者」に過ぎない。
もちろん、年末くらいになるとそれぞれの個性も見えてくるし、「推し」の対象になるような騎手も出てくるのではあるが、デビューしたての頃は名前を聞いてもただの文字列。

一方、引退する調教師の方は、一人ひとりのお名前にその時々の記憶がラップする。

特に最近は、見始めた頃にまだ現役の騎手だった先生方が70歳を迎えて引退・・・というケースも多いから尚更なわけで、特に今年は中野栄治調教師、安田隆行調教師、松永昌博調教師、加用正調教師、と次々に引退の時を迎えられたことで、自分も相応の歳を迎えつつあるのだな・・・と思わずにはいられなかったし、トキオエクセレント高橋裕調教師や一時は美浦藤沢和雄師と並び称された小桧山悟調教師にもそれなりの思い出はある。

だから、記念すべき「デビュー週」ということは分かっていながらも、しんみりとする気持ちの方が強かったのがこの週末の自分だった。

個人的には、武豊騎手が日曜日の中山で引退間近の調教師の馬たちに乗り続け、特に中野栄治厩舎の馬で場内を沸かした、というシーンが(偶然の産物かもしれないが)この週末のハイライトだったと思ったりもするのだが、そんな宴の後の寂しさはやっぱり残る。

おそらく次の週になれば、前の週の記憶など一瞬で吹き飛んで、また新しいカレンダーを追いかけていく日々になるのだろう。

新人騎手たちも、デビュー週勝利を飾った騎手こそいなかったものの、2着、3着に食い込んだ騎手は既に出てきている。
「3月3日の第3レース」という粋な演出で藤原菜々花アナウンサーが史上初の女性場内実況デビューを飾る、というエポックメイキングな出来事もあった。

古い記憶に引きずられがちなオールドファンとしては、チューリップ賞を勝ったスウィープフィートの祖母の名に、思わず”過去とのつながり”を求めてしまったりもするのだけれど、そんな感傷とは無関係に番組は消化され、あと何週かすれば春のGⅠ、そしてクラシックシーズンに突入していく・・・。

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「約25,000件」のインパクトとそれによって動いたもの、動かなかったもの。

先月、パブコメの締切りが過ぎた後に遅まきながらアップしたエントリーが↓だった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

それから約半月経ち、文化審議会著作権分科会法制度小委員会(第7回)で、そのパブコメの結果が公表されている。

「AIと著作権に関する考え方について(素案)」に関するパブリックコメントの結果について」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_07/pdf/94011401_01.pdf

寄せられた意見数は、実に24,938件

いかに最近のパブコメが意見を出しやすい体裁になっているからといっても、この数は驚異的で、かつて2010年に「権利制限の一般規定に関する中間まとめ」に対して行われた意見募集に寄せられたのが254件*1、最近では飛びぬけて多い印象があった「侵害コンテンツのダウンロード違法化」ですら3,000件超だったこと*2を考えると、25,000に迫る今回の意見数は、「凄い」というよりもはや「異常」の域に入っている。

そして、いつもなら、出された意見を整理して会議資料にしっかり仕立て上げてくれる文化庁の事務局も、この時点で公表できたのは「法人・団体」分のみ*3。しかもそれだけで73件もあるものだから、論点ごとに整理するも何もなく、ただひたすら出された意見を掲載する、というのが限界だったようである*4

時代の先端を行くBuzzワード「生成AI」に、そうでなくても過剰反応のネタになりやすい「著作権」が組み合わさったことで、「意見の嵐」が吹き荒れることになったのだろうと思うが、「ある程度のことは分かっている」はずの法人・団体の提出意見を見ても、右から左まで、折り合える余地を見つけるのはなかなか大変そうだな、という印象しか出てこない。

そして何よりも個人的な感想を直截に申し上げるながら、

「世の中もっと大事なこと、たくさんあるんじゃない?」

というのが偽らざるところだろうか。

なぜなら、今回パブコメの対象となった「AIと著作権に関する考え方について」というペーパーは、既に多くの識者が指摘するように、どこまでいっても「一つの解釈例」に過ぎず、法的拘束力は持ちえないものなのだから・・・

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2024年2月のまとめ

ここのところずっと、月末には必ず同じフレーズを記すことになっているわけだが、

1ヶ月経つのは早い・・・

ということを改めて実感した2月だった。

元々1年で一番短い月、1日くらい増えたところで何の足しにもならん、ということは最初から分かっていたことだけど、この目まぐるしさやいかに。

目の前に降りかかってくる仕事を打ち返し、その間に確定申告もこなす、なんだかんだ言って致命的な”延滞”は起こしていない、というのを自分への言い訳にしつつ、期限のないだが大きな仕事は一向に進捗していないし、「その先」に向けた一手のために思索をめぐらせるいとますらなかなか取れない、というフラストレーションとの戦いは依然として続いている。

まぁ、そうはいっても一日を48時間にすることはできないので、開き直ってできることを一つ一つ、片づけていくしかないのだけれど・・・。

そんな中、今月のページビューは8000弱、セッションは6000弱、ユニークユーザーは3,000強。

先月より数日短い中でも、ちょっとだけ手応えを感じられたことに素直に安堵している。

<ユーザー別市区町村(24年2月)>
1.→ 大阪市 217
2.↑ 新宿区 156
3.→ 千代田区 151
4.→ 中央区 146
5.↓ 港区 145
6.↑ 渋谷区 99
7.↓ 横浜市 93
8.圏外さいたま市 59
9.↓ 神戸市 57
10.↓ 名古屋市 57

ランクインした都市の顔ぶれはほとんど変わらないが、その中で順位が入れ替わっているのはどういう要因なのだろうか。
来月以降の推移もちょっとだけ気にしてみておくことにしたい。

続いて検索ワード。

<検索アナリティクス(24年2月分) 合計クリック数 1,288回>
1.↑ 知恵を出さないやつは助けないぞ 60
2.↓ 企業法務戦士 54
3.圏外やわらかい生活事件 44
4.↓ 学研のおばちゃん 現在 42
5.圏外やわらかい生活 裁判 40
6.↑ シャルマントサック事件 13
7.圏外シャルマントサック 裁判 8
8.圏外東急グループ 序列 8
9.圏外高野義雄 wiki 8
10.圏外企業法務 ブログ 7

「知恵を出さないやつは・・・」が上位に来ているのは、あの時以来の災害が再びこの国を襲ったからなのかな、とぼんやり思ったり、「やわらかい生活」のキーワードでの検索が急浮上しているのをみて*1、「ドラマ化」をめぐって今年起きた悲しい出来事に思いを馳せてみたり・・・。

いずれも、もう10年以上も前の話なのに、世の中根底の部分ではそんなに変わってないのかも、と思わせてくれるランキングである。

なお、今月の記事のうち、旧Twitter上のインプレッションがもっとも多かったのは、やはり↓の記事だった(インプレッション数7614)。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

読後の期待に反してまだしばらくはこの論戦が続きそうではあるのだけれど、海の向こうでエヌビディア株が一転下落基調に転じる頃には、こんな話題もどこかに吹き飛んでいると信じて、地道に日々の仕事に邁進することにしたい。

*1:行きつく記事は↓であろう。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そろそろ不毛な議論に終止符を。

「生成AIと著作権に関する議論は先日のエントリーでも取り上げたばかりではあるのだが*1、今日の朝刊の「経済教室」に、早稲田大学の上野達弘教授による著作権法の権利制限規定を”諸悪の根源”であるかの如く批判する近時の見解」を鮮やかなまでに斬る論稿が掲載されているのを拝見し、これぞ真打ち・・・と大いに感服したので、ここで紹介させていただければと思っている。

あえて自分が解説するまでもなく、実に美しく分かりやすい言葉で書かれている論稿ということもあり、本エントリーのほとんどは「引用」に依拠することとなる点は、ご容赦いただければ幸いである。

経済教室「AI規制の論点(上)/「生成」と「学習」区別し対応を」*2

上野教授は、「クリエイターやメディア」が著作権法の「情報解析規定」*3、に懸念を示している、という状況を紹介した上で、情報解析規定の意義について以下のように説明する。

「情報解析規定が対象とする行為はAI学習に限られるものではなく、大量データ解析を広く含む。例えばSNS(交流サイト)における大量の書き込みを網羅的に収集・解析して将来の流行を予測したり、大量の医学論文を網羅的に解析して新しい薬品や治療法を開発したりすることも、この規定の対象だ。こうした大量データ解析は広く社会に便益をもたらすといえるが、論文はもちろんネット上の書き込みにも著作権が存在する以上、網羅的解析は情報解析規定がなければ事実上不可能だ
「日本が09年に世界で初めて情報解析規定を導入したのに続き、英国(14年)、ドイツ(17年)、フランス(18年)、欧州連合EU、19年)、シンガポール(21年)などが同様の規定を導入した。日本の法制度が海外をリードするのは珍しく、日本には先見の明があったというべきだ。」(強調筆者、以下同じ)

その上で、近時声高に叫ばれる感情的な批判に対し、怒涛の反論を畳みかけた。

「情報解析規定はビジネスを優先する代わりに、著作権を制約したものと受け止められるかもしれない。
「だが規定の趣旨からすると、そうした見方は正確ではない。日本の情報解析規定はいわゆる「非享受利用」(作品の鑑賞などを目的としない利用)に関する規定に位置づけられている。そこでは、著作権という権利は作品の鑑賞など人の享受があるから保護が認められるという理解を前提としており、著作物の享受がない場合は著作権が保護する利益は害されていると評価できないという考えが背景にある。」
「そして大量の著作物を情報解析するのは、誰も著作物を享受するわけではないから、まさに非享受利用に当たることになる。日本の情報解析規定は、本来著作権が及ばない行為を自由としたにすぎない。これは18年の著作権法改正に際して整理された発想で、著作権制度を新時代に適合させる理論的枠組みとして世界的にも注目されている。」
「誤解すべきでないのは、情報解析規定は生成AIによる著作物利用をすべて許容するものでは決してないことだ。つまりこの規定は学習(入力)を許容するものにすぎず、生成(出力)は別問題だ。従って生成AIの出力が他人の著作物と創作的表現のレベルで共通する場合、それは当然、著作権侵害に当たり得る。」
「他方、生成AIの出力が単に事実や画風・スタイルのレベルで他人の著作物と共通するにすぎない場合、そうした出力は著作権侵害にならない。これは著作権法の大原則だが、たとえ出力が適法だったとしても、著作権のある著作物を無断でAI学習に利用されること自体を著作権で止めたいとの声があるのも事実だ。」
「ただ仮にAI学習を著作権で止めたとしても、著作権侵害やディープフェイクの出力がなくなるわけではない。そうである以上、違法有害な出力については、そうした出力自体を防止する策を講じる必要がある。AI学習それ自体を著作権でコントロールできるようにしても効果がないばかりか、あらゆる分野の様々な大量データ解析を阻害しかねず、得策とはいい難い。」

そう、まさに「生成AIと著作権」をめぐる議論の行き着く先はここに述べられていることに尽き、これ以上でもこれ以下でもない。

またこれに続けて、(頑迷なる権利者にどこまで響くかは分からないが)その先にある「共存」への道もちゃんと示されている。

「そしてたとえ情報解析に著作権が及ばなくても、解析を目的としたデータ提供契約を締結することは可能であり有用でもある。情報解析をする者にとっては、雑誌論文や新聞記事の個別収集がたとえ著作権法上自由であっても、権利者と契約して、そのデジタルデータを解析に適した形で網羅的に取得できるメリットは大きい。実際、オープンAIは23年7月に米AP通信と、23年12月に独アクセル・シュプリンガーと、AI学習のための記事利用に関する契約を結んでいる。」
権利がなければ契約が成立しないという見方は誤解であり実態にも反する。コンテンツ保有者は、著作権でAI学習をコントロールすることを目指すより、データ提供契約など、著作権法以外の手段による共存の道を探るべきではないか。」

そして最後に記された警鐘混じりの「予言」。

生成AIの「影」は、学習(入力)ではなく生成(出力)にある。両者をはっきり切り分けないと、生成AIの「光」の部分にも陰りをもたらしかねない。情報解析規定発祥の地である日本は情報解析の自由を堅持しつつ、違法有害な出力防止に知恵を絞るべきだ。いずれ人は生成AIに慣れ、AI学習を恐れる声も過去のものになるだろうから。」

上野教授もこの論稿の前半で指摘されているように、生成AIの「出力」に関しては、この先もやらなければならないことが山ほどある。そんな状況下で、当の昔に決着がついた「情報解析」レベルにまで遡って「著作権法上の議論」を喚起することにどれだけの意味があるというのだろう。

個人的にはこの見事な論稿をもって、一般メディアレベルでの議論には終止符が打たれることを望みたいところではあるのだが、掲載紙面上での明らかに的を外した*4「ポイント」のまとめを見る限り、そう簡単にはいかないだろうことは容易に想像がつくところ*5

だがそれでもなお、時代を先に進めた平成期末の権利制限規定はしっかり守られるべきだと自分は思っているし、時計の針を逆に回そうとする試みには断固として対抗しなければならない、と思う次第である。

*1:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:日本経済新聞2024年2月26日付朝刊・第16面

*3:論稿の中では特定の法条は示されていないが、主に著作権法30条の4が念頭に置かれているものと思われる。

*4:おそらく編集した側が意思をもってそうしたものだと思われるので、あえて引用はしない・・・。

*5:この手の話題では先陣を切って「改革」を唱えるはずの日経紙も、この話題に関しては殊更に逆行する社説や記事での取り上げ方をすることが多いように見受けられる。

そしてまた季節は中東。

前世紀末からの長い歴史を持つ「3月はドバイ」の慣習がすっかり定着した(ダート馬のみならず一線級の芝馬の参戦も常態化した)ことで、日本の春競馬は少なからず影響を受けていたのだが、新型コロナ禍に突入する直前から始まった「2月はサウジ」の”新”慣習が、遠く離れたこの国の競馬の在り方も揺るがしつつある。

何といっても一番煽りを受けているのは、かつて中央の最強ダート馬決定戦だったはずのフェブラリーSで、一線級の馬たちが昨年末のチャンピオンズカップ東京大賞典あたりから軒並みサウジカップに直行してしまったことで、今年のメンバーは何とも寂しい顔ぶれに。

加えて芝路線でも、先週のカタールと今週のサウジカップデーの各レースに国内重賞を賑わせていたメンバーが少なからず参戦したことで、こちらも格式ある国内のGⅡ、GⅢ戦線にちょっとした穴が開いている。

もっぱらダート路線の馬だけとはいえ、最近では2歳馬もサウジダービーからUAEダービーへ、という流れが定着しつつあり、ますます”国内組”の層は薄くなる。

サラブレッドが経済動物である以上、関係者が高額賞金が期待できるレースに目を向けるのも当然と言えば当然だし、一線級の馬が抜けた舞台で次々とニュースターが生まれるならそれはそれで悪い話ではないのだが、国際映像に映った豪華メンバーを複雑な気持ちで眺めていたのは決して自分だけではなかったと思う。

で、この週末のサウジカップデー。

サウジダービーで、藤田晋オーナーのフォーエバーヤングが、もたつきながらも差し切って無敗優勝を成し遂げたのはさすがだったし、昨年福永騎手のラスト騎乗であっと言わせたリメイクが、リヤドダートスプリントで見事な差し切り勝ちを決めた時は思わず喝采の声を上げた。

続くレースも勝ち星こそ逃したものの、ララクリスティーヌ(1351ターフスプリント)、キラーアビリティ(ネオムターフカップ)が次々と2着に飛び込んできたのはあっぱれの一言。

だから途中までは非常にウキウキした気分でレースを眺めていたのだが・・・

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