いよいよベールを脱ぎ始めた民法・不動産登記法大改正

アップされた当日は疲労困憊で資料まで目を通す余裕もなく、ただただ「キツネが可愛い・・・」という素人以前のコメントしか出てこなかった「所有者不明土地の解消に向けた民事基本法制の見直し」に関する解説資料*1

「令和3年民法不動産登記法改正、相続土地国庫帰属法のポイント」
https://www.moj.go.jp/content/001355930.pdf

だが、ひと呼吸入れて読んでみると、実に渋いコメントが随所に潜んでいる資料であることに気付く。

このエントリーのタイトルを見て、「もう既に国会審議まで経て法案も可決されているのに、今さら『ベールを脱ぎ始めた・・・』はないだろう」という突っ込みもあるかもしれないが、「民法改正」の部分に関しては、その民事基本法としての性質上、解釈に委ねられる部分がかなり多い、という現実があるし、逆に不動産登記法や相続土地国庫帰属法のような手続法としての要素が強い法律については、政省令や運用通達が出るまでは実務上必要な手続きの全体像は見えてこないから、施行までまだ日があって、『一問一答』も法務省令も出ていない今は、国会の議事録や法制審の部会資料等から解釈運用を探っていくしかない、といういわば手探りの時期といえる。

だからこそ、節々に「解釈」や「運用指針」となりそうな情報がさらりと書き込まれたこの種の資料は実に貴重だ。

例えば、世の中的にはもっともインパクトが強いであろう「相続登記の申請義務化」に関しては、義務違反に際して過料を処するかどうかのメルクマールとなる「正当な理由」について、「通達等であらかじめ明確化する予定」としつつ、以下のような例示がさらりと書き込まれている(スライド9頁)。

【「正当な理由」があると考えられる例】
①数次相続が発生して相続人が極めて多数に上り、戸籍謄本等の必要な資料の収集や他の相続人の把握に多くの時間を要するケース
②遺言の有効性や遺産の範囲等が争われているケース
③申請義務を負う相続人自身に重病等の事情があるケース など

また、「住所変更登記等の申請の義務化」に関しては、法人の申請義務の負担を軽減するために盛り込まれた「商業・法人登記システムと不動産登記システムの連携」のための会社法人等番号の取扱いについて、改正法附則にも書かれている「施行前に既に所有権の登記名義人となっている法人については、登記官が職権で会社法人等番号を登記することを予定している」という記載に続けて、

(具体的には、法人から申出をしてもらい、登記官が職権で登記する流れを想定」(スライド15頁、強調筆者、以下同じ。)

という補足がさらっと付け加えられている*2

スライド24頁以降の「民法改正」に関しては、「隣地使用権」にかかる規律の解釈が元々気になっているところではあったのだが、「事案ごとの判断ではあるが」という留保を付しつつも、

隣地が空き地となっていて実際に使用している者がおらず、隣地の使用を妨害しようとする者もいないケースでは、土地の所有者は裁判を経なくとも適法に隣地を使用できると考えられる。」(スライド25頁)

と書かれていたり*3

「隣地所有者が不特定又は所在不明である場合は、隣地所有者が特定され、その所在が判明した後に遅滞なく通知することで足り、公示による意思表示(民法98)により通知する必要はない。」(同上)

と書かれていたりする*4のを見ると、(今回の改正の趣旨を踏まえれば当然のこと・・・と思いつつも)安堵するところはあったりする*5

さらに、

「越境した竹木の枝の切除」について、条文で明記されていなかった「費用負担」について、「越境された土地所有者が自ら枝を切り取る場合の費用については、枝が越境して土地所有権を侵害していることや、土地所有者が枝を切り取ることにより竹木の所有者が本来負っている枝の切除義務を免れることを踏まえ、基本的には、竹木の所有者に請求できると考えられる民法703・709)。」(スライド28頁)と書かれたこと。

共有物の「管理」について、「具体的事案によるが、例えば、砂利道のアスファルト舗装や、建物の外壁・屋上防水等の大規模修繕工事は、基本的に共有物の形状又は効用の著しい変更を伴わないものに当たると考えられる」と記載したくだり(スライド30頁)*6

・所有者不明土地・建物管理制度の申立てができる「利害関係人」に当たり得るものとして「公共事業の実施者など不動産の利用・取得を希望する者」という例も明記されたこと(スライド38頁)*7

・所有者不明土地・建物管理制度の発令の前提としての「所有者の調査方法」に関し、「現地調査」が必須の要件とされなかったこと(あくまで「事案に応じて・・・求められる」ものとされている。スライド39頁)。

管理不全土地・建物の例として「ひび割れ・破損が生じている擁壁を土地所有者が放置しており、隣地に倒壊するおそれがあるケース」と「ゴミが不法投棄された土地を所有者が放置しており、臭気や害虫発生による健康被害を生じているケース」の2つが挙げられ(スライド40頁)、それがそのまま「管理人が行う管理行為」の例示にもつながっている(スライド41頁)こと。

等々、内容のみならず、表現ぶりにまで味わいを感じる記載は多い。

これらの記載の中には、既に部会資料の補足説明で書かれていたり、国会審議の過程での答弁で示されていたようなものも当然含まれてはいるのだが、このタイミングで法務省の「公式資料」として広く公開されているものの中に書かれた、ということにはまた別の意義があると個人的には思っている。

他にも「所有権不動産記録証明制度」について、「将来的には、表題部所有者への拡大も検討予定」(11頁)と書かれていたり、いわゆる「死亡情報についての符号の表示」に関して、「条文上は「権利能力を有しないこと」とされているが、差し当たり法務省令で必要性の高い自然人を対象とすることとする予定」(12頁)と書かれていたり*8するくだりからは改正法の更なる展開の余地を感じたし、ライフラインの設備の設置・使用に関する「償金」について、「導管などの設備を地下に設置し、地上の利用自体は制限しないケースでは、損害が認められないことがあると考えられる。他の土地の所有者等から設備の設置を承諾することに対するいわゆる承諾料を求められても、応ずる義務はない。」(スライド27頁)というところまで踏み込んできている点については、別のところで何か動きがあったのかな、という推察も働く。

相続土地国庫帰属制度に関しては、申請者が納付する「負担金」の「参考」として、国会審議でも出されていた「原野約20万円、市街地の宅地(200㎡)約80万円」という「標準的な管理費用」の数字がそのまま書き込まれていて、「法務省はもうこの線で政令の調整に入っているんだろうな・・・」と、少々残念に思うところもあったりはしたが*9、制度の予測可能性が高まった、という点ではこれもまた意義のあることだと思う。


ということで、スライド1枚、1枚に貴重な情報が詰め込まれたこの資料。少なくとも『一問一答』(ないしそれに類する公式解説)が出るまでは、一連の法改正に関する必読資料かつ議論の素材となることは間違いない。

ことビジュアルに関して言うと、元来、「1枚のスライドに書き込む情報をいかに絞り込むか」がキモとなるはずのPower Pointの作成にあたり、「いかに多くの情報を書き込むか」というミッションを与えられてしまった”中の方々”の苦悩がうかがえるような作りになっていて、やや同情を禁じ得ないところもあったりはするのだが*10、一連の法改正について掘り下げて考えてみたい、と思っている者にとってはそれもまたメリット。

「山道は険しいほど登り切った時の感慨も大きい」ということで、ちょっとでも関心をお持ちの方には、是非「一読」をお薦めしたい。

*1:話題の新キャラ、「トウキツネ」については、https://www.moj.go.jp/content/001355925.pdfをご参照のこと。ゆるキャラ・・・というには、かなり整ったきっちりした画調のイラストで攻めてくるあたりに、法務省民事局の方々の堅実、誠実な仕事ぶりが垣間見えて個人的には非常に好印象。しっぽを「筆」にする、というマニアック過ぎて一般人だとピンと来なさそうなレトリックを使っているところも通好みだな、と思う。

*2:審議経緯等からも十分に想定されていたことではあるのだが、こうなると次の関心事は、この「申出」がどのレベルで必要なのか(一筆の土地ごとに申出が必要ということなのか、それとも全国一律に「本店所在地が○○となっている××株式会社にはすべて*************という法人番号を登記してください」という申し出をすれば足りるのか)ということになってくるのではないかと思われる。ここは少しでも(ユーザーの)現場側の負担が軽くなる方法が採用されることに期待するしかない。

*3:本ブログでも以前取り上げた(広すぎる法改正をカバーするための一冊。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)荒井弁護士の解説書では「私見」として、「隣地が現に使用されておらず、かつ、土地の所有者の所在が不明であるようなケース」については「保護すべき土地の使用がないといえる」として「判決手続を経ずに隣地を使用することができる場合もあり得る」というご見解が示されているが(荒井達也『Q&A 令和3年民法不動産登記法改正の要点と実務への影響』(日本加除出版、2021年)167頁)、このスライドの書きぶりは、さらに踏み込んで裁判手続によらない隣地使用を認めてくれているように読めなくもない。

*4:このことは、法制審民法不動産登記法部会の部会資料59の補足説明にも書かれていた。

*5:他に、「ライフラインの設備の設置・使用権」に関するスライド26頁にも同趣旨の記載がある。個人的には、「自力執行の禁止」といっても、それは対立する隣地所有者の権利利益とのバランスを図るための相対的な話でしかなく、使用を妨げようとする力が働かない場面では、効率性を優先して簡易に土地利用を認める方が社会全体の利益に資するのではないか、と思うところである。

*6:ちなみに「砂利道のアスファルト舗装」はこの後の例示の中でも使われている(スライド32頁)。

*7:この書きぶりをどう解するかは悩ましいところかもしれないが・・・。

*8:自分はあまり想定していなかったのだが、裏返せば、条文上は法人に関しても解散登記等がなされた場合に何らかの符号を表示するような制度にすることもできる、ということなのか・・・と思いながら読んでいた。

*9:この金額を高いとみるか安いとみるかは人それぞれだろうが、個人的には他にプラスの相続財産がある相続人でないと、この金額ではなかなか申請には踏み切れないのではないかな、という気がしている。

*10:ちょっと前にTwitterでも話題になっていたが、この種の法改正のたびに、官公庁が概要説明のために作成する資料の「苦闘の跡」を見て、「無理に全部”ビジュアル化”しなくても良いのでは?」と思うことはしばしばある。今回のスライドに関して言えば、「履行方法」や「経過措置」に関するスライド6~10頁あたりの部分は、まさにこの形にする意味があると思うのだが、それ以外の箇所はテキストベースにした方が、たぶん明らかに見やすい。あと、「いらすとや」の使用もほどほどに・・・。

いつかターフで会える日まで。

この3連休は、最近すっかり恒例になった感がある「JRAアニバーサリー」の3日連続開催。

ダービーも同じ年のジャパンカップも、夜行に乗って駆け付けたWINSのテレビモニターで見届けて喝采を挙げた記憶が昨日のことのように残っている者としては、特別レースにその馬の名が「ジャングルポケット記念」などと銘打たれてしまっているのを見て複雑な気持ちになるのだが、振り返ればあれはもう20年前。

最近競馬に親しみだした若者たちにとっては、かの馬はとうに「歴史上の名馬」という存在になってしまっているわけで、言うなれば自分にとってのハイセイコーみたいなものか・・・と思うと、嬉しいやら悲しいやら・・・*1

とはいえ、通常の番組に目を移せば、3歳未勝利馬たちの季節は夏とともに過ぎ去り、今はそれに代わって連日怒涛の如く出走するキャリアの浅い2歳馬たちと、サバイバルレースを勝ち抜いて「最後の一冠」、あるいはさらにその先を目指す3歳馬たちが駆け抜ける季節。

やがてGⅠレースが始まれば、それが年末の有馬記念に向けてのカウントダウン、ひいては今年のカウントダウン、ということで、一年もあっという間だなぁ・・・という気分にどうしても襲われてしまうのだが、そこに行くまでの数週間は、「まだこれから」という感覚が残っている分、爽やかな秋風と相まって、結構好きな季節だったりもする。

個人的な話をすれば、これまでは、かれこれ15年近く「一口馬主」というやつをやっているにもかかわらず、この時期に主役になれるような馬を持てることは少なく、勝てなかった3歳馬があえなく引退の憂き目にあった上に、頼みの2歳馬は育成が遅れて初出走はいつになることやら・・・という状況で、”見てるだけ”という状況になることも多かった。

ところが、今年はどうしたことか、この時期になっても妙に賑やかで、この3連休こそ静かだったものの、来週以降は毎週のように出走の予定が入っている。

おそらく大方の読者の方は、「一口」などに手を出されたことはないだろうから、ここでシステムを説明しておくと、大体出資の募集がかかるのは、馬が生まれた翌年、デビュー前年の「当歳」の夏から秋にかけてのこと。

自分が入っているようなクラブだと、一頭の馬の価格を400口くらいに細分化して出資を募る(一部2000口、というものもあり)仕組みになっているから、ガチで一頭所有することを考えれば遥かにハードルは低いのだが、それでも相手は下手すれば会社一つ買えてしまうくらいのお値段は付く高価な経済動物だから、「たかが一口」でもそれなりのコストにはなる。

ゆえに、募集の時期になると、その時々の財布の中身とにらめっこしながら、家族まで巻き込みつつ「その世代でどのクラスの馬を何頭くらい揃えるか*2」で逡巡を繰り返すのが自分的には恒例の風物詩なわけで、逆に言えば後から世代ごとの出資馬の頭数を見ればその時々に考えていたことまで思い出せてしまう。

例えば、研修所に入って初任給以下*3の月給に逆戻りした年に出資したのは超安価な1口だけ*4

ここ数年でも、会社に籍を置いていた時の募集では、比較的高価な馬3頭に同時出資する、という豪胆なことをやったりもしていたのだが、フリーになった直後の一昨年の募集(現在の3歳世代の募集)の時は、まだまだこの先どうなるか分からない・・・ということで、中程度のレベルの馬に一口だけ出資する、という少々弱気な対応をしていたりもした*5

だが、人間、誰にでも「反動」はある。

昨年、財布の紐を緩めた結果、出資した馬は実に5頭。金額も考慮するとかなり大胆な投資だが、こういう時の誘惑に勝てるほど自分は強くない。
そして、それが今年の2歳世代である。

幸いなことに、自分史上最高額で出資したエース格の古馬は勝ち星を積み重ねて未だ現役。層が薄かったはずの現3歳世代は3頭すべてが奇跡的に勝ち上がり、いつもならデビューが遅れてやきもきする2歳世代も今年は既に1頭が新馬勝ち、2頭もデビュー戦で勝ち負け、で先々のメドが付いてきた。

だからこその活況、10頭近い出資馬の次走での雄姿をシミュレーションしてワクワクしながら週末を待てるなんて、何と幸せなことか。

*1:某有名教授の民法の概説書の初版に「ハイセイコウ」が出てきたのを見て、自分は”著名な歴史上の名馬”を例え話で使ったのだろう、と長年思っていたのだが、書かれた先生の感覚は決してそういうものではなかったのかもしれない、と今さらながらに思う。

*2:同じクラブ内の募集でも高額なものは数十万の価格になるし、安ければ4,5万円で手が届く。ただし、そこに付けられた価格は、血統背景や馬の”出来”も考慮したものだから、価格の低い馬の場合、勝ちあがって活躍する確率は当然低くなる。もちろん、高額なら常にGⅠ級の活躍をするとは限らないしその逆もまた然り、というところに一口出資の”博打”としての面白さもあるわけだが、そういったスリルを味わうにはいささか贅沢な投資ともいえる。

*3:それでも今の修習生に比べればはるかに恵まれてはいたのだが。

*4:その馬は3戦未勝利であえなく引退した。

*5:その後、ある程度余裕が出てきたこともあって2頭ほど追加出資したが、いわば時期を逸した”売れ残り”の馬たちだった、ということもあり、出資額としてはささやかなものだった。

続きを読む

笑い話では済まなかった商標の世界の仁義なき戦い。

「ZOOM」というオンライン会議ツールの名前を初めて聞いたのは、「COVID-19」の脅威が囁かれ始めてから間もない頃だっただろうか。

自分も早々に使い始めたのだが、リンク用のURLアドレスをクリックするだけで参加できる手軽さに始まり、家庭用のルーターでも十分なくらいのネットワーク負荷の少なさ、ついこの前まで使っていた和製の同種サービスやSkypeなどとは比べ物にならないくらいの画質・音質の良さ、そして遊び心も生かされる仮想背景等、あらゆるものが感動的なまでに画期的だった。

「セキュリティ」の問題がとやかく言われたこともあったし、”後発”のマイクロソフトGoogleが、バージョンアップのたびに擦り寄ったような機能をくっ付けてきたこともあって、1年以上経った今では、「オンライン会議はZOOM一択」という状況ではさすがになくなってきているものの、それでもオンラインで打合せをやる時にはとりあえず「じゃあZOOMで」と言ってしまうくらい、”代名詞化”したブランドであるのは間違いない*1

当然ながらこれは日本だけの話でもないから、サービス提供会社であるZoom Video Communications, Inc.の株価は、昨年の春先から秋にかけて NASDAQ市場で恐ろしいまでの急激な上昇を遂げたわけだが、その過程では、こんな話題もあった。

blog.livedoor.jp

我が国が誇る音楽用電子機器メーカーである株式会社ズーム*2が勘違いされてストップ高・・・というある程度、株式投資の経験があれば、「そんなわきゃねーだろ!!」と突っ込みを入れたくなるような話。

結局、何が真相だったのかはよくわからないまま株式系掲示板の話題からは消えていった。

だが・・・。

あれから1年、さる2021年9月17日に、「あれは笑い話ではなかったのか」と思わせる戦慄のリリースが㈱ズームの側から出された。

www.nikkei.com

「当社は、NECネッツエスアイ株式会社を相手方として、当社が有する商標権を侵害する行為の差止等の請求訴訟を東京地方裁判所に提起いたしましたので、以下のとおりお知らせいたします。」(強調筆者、以下同じ)

なぜ相手がNECネッツエスアイ㈱なのか、ということは後ほど触れるとして、前記開示資料では、㈱ズームという会社がいかに知的財産を重視しているか、ということに始まり、米国法人であるZoom Video Communications, Inc(以下、ZVC社)が、「ビデオ会議サービスの利用に必要な会議用プログラムを顧客に提供するに当たり、当社登録商標と極めて類似した標章を使用してこれを提供」していること、さらに

「本提供行為が継続された結果、当社は、2019年10月頃より当社のカスタマサポートの受付電話やメール対応窓口にビデオ会議サービスに関する問い合わせが殺到する状況に陥り、また、2020年6月には、ZVC社の決算発表を契機に、社名誤認によって当社の株価が2日連続でストップ高を記録し、その後急落するという事態に至るなどし当社の業務上の支障に留まらず、善意の第三者である投資家に損害を与える結果となり、現在も日々、支障が生じております。」

と、先ほどの「ストップ高騒動」も含めた”具体的損害”を示した上で、「昨年来、ZVC社日本法人に連絡を取り、双方が受入可能な解決方法を模索しましたが、ZVC社日本法人からは誠意ある回答/対応がありませんでした。」という経緯を示し、「当社は、このまま現状を放置することは、当社ブランドを支持するユーザーの皆様、及び、当社の株式を購入した株主の皆様に対し間違ったメッセージを発する結果になると懸念し、また、当社登録商標が当社の重要な経営資源であることを鑑み」今回の提訴に至った、としている。

また、「本提訴に当たってZVC社日本法人ではなくNECネッツ社を被告とした」理由については、「ZVC社日本法人については自らがビデオ会議サービスを提供している事実が確認できず、その実際の事業内容も不分明であることを考慮した」ということで、ここで被告にされてしまった代理店には気の毒ではあるものの、外国法人特有の”訴え損”を回避するための策としては、原告側のやり方も一応理解はできるところである*3

最後の項では、

「本提訴に当たっては損害賠償を請求しておりませんが、これは当社に金銭的損害がないことを示すものではなく、当社登録商標が法的に保護されるべき知的財産であることの確認が訴訟の目的であり、和解金等での解決を排除する姿勢を示すものです。」

と書いた上で*4

「また、本提訴にあたっては、複数の知財を専門とする弁護士事務所から、本提供行為等が当社登録商標権を侵害している可能性が高いという見解を得ていることを申し添えます。」

と、とどめを刺すようなコメントも盛り込んでおり、「訴える側」のリリースとしては、おそらくパーフェクトに近い中身だと思う。

そして、ここまで自信を持って書き切られているのを見ると、当然、原告側の勝ち筋事案だろう、と思ってしまうのだが・・・

*1:それで後でクライアントから送られてきたメールを見ると思いっきりTeamsだったりすることはままある。こちらは別にどのツールでも使えるから問題はないのだけど。

*2:ウェブサイトはhttps://zoomcorp.com/ja/jp/。れっきとした日本オリジナルの会社だが、グローバルに事業展開している会社だけあって、ウェブサイトは極めて洗練された西海岸テイストになっており、「誤解」を生んだのだとしたらそこにも一因はあったのかもしれない。

*3:仮に原告が勝訴したとしても、判決の効果はこの「第1号代理店」に及ぶだけで、ZOOM本体なり、他の代理店なりがそれまでどおり「ZOOM」商標を使うことに関しては何ら影響しない、というのが建前ではあるのだが、そこは清く正しい日本社会のこと、「敗訴」という結論を横目で見ながら漫然とそれまでどおり「ZOOM」商標を使い(使わせ)続けることはおそらくないだろうし、場合によっては早い段階でZVC社自身が訴訟告知を受けて補助参加なり当事者参加なりをしてくる、という可能性も皆無ではないと思われる。

*4:なお、本件のように原告の提供する製品の市場と被告の提供するサービスの市場が全く異なる場合には、具体的な「損害」額を算定するのは難しい上に、認められてもそこまで多額にはならない可能性が高い、それでもインパクトのある金額で賠償請求をすれば、印紙代で元が取れなくなる可能性すらあり、主張が認められた場合でも「実質敗訴」感はぬぐえない・・・という状況もあるだけに、この説明のくだりについては、文字通りには受け止めない方がよいのでは?と自分は思っている。

続きを読む

「ショーケース」は誰のため?

今年の初めにはオーストラリアで話題になっていたし、フランスなどでもかなり激しいバトルが繰り広げられている様子は報じられていたから、てっきり海の向こうだけの話かと思っていたのだが、それはいきなりこの国でも始まった。

「米グーグルは16日、報道機関のニュース記事を集めて配信する新サービスを、同日付で日本で始めたと発表した。新聞社や通信社など40社以上の記事を配信し、使用料を支払う。グーグルなど「プラットフォーマー」が報道各社のコンテンツに対価を支払う一歩となるが、料金算定の不透明さなどに課題も残る。」(日本経済新聞2021年9月17日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ)

「グーグル・ニュース ショーケース」と題したこのサービス。
確かにグーグルのトップページから入っていくと専用のページが設けられていて、複数の新聞社のコーナーが設けられている。
https://news.google.com/showcase?hl=ja&gl=JP&ceid=JP%3Aja

報道を見る限り、

「グーグルは報道各社とそれぞれ記事使用について契約を結び、使用料を支払う。新サービスに配信する記事は報道各社が選ぶ。」(同上)

ということだから、Google検索エンジンが集めてきた記事を無作為に眺める、というこれまでのパターンとは異なるのは間違いない。そして、記事にもあるような「算定基準が!!!」といった話はまだ残っているにしても、プラットフォーマーたるGoogle自身がメディアに記事利用の対価を支払う、ということが、インターネット上のコンテンツ流通に関する大きな転換点になることは間違いないだろう。

ただ・・・

自分が気になったのは、ユーザ―の視点で見た時に、「このサービス、誰がどういう目的で使うんだろう?」ということである。

自分の場合、今現在の国内のニュースを一通り見たい、という時は、とりあえずブックマークしている日本経済新聞社のサイトに飛ぶ。
もう少し柔らかいニュースを見たい時はYahoo!ニュースとか47NEWSのサイトに行くし、スポーツ系のニュースならSportsnavi。
もう何年もこの行動パターンは変わらないし、現時点で変える必要があるとも思えない。

また、特定のトピックに関連するニュースを調べたければ、Googleのサイトの検索窓に行って「ググる」のが一番手っ取り早いし、そこで出てくる記事は、少なくとも今の時点では「ショーケース」のそれではなく、これまでどおり検索エンジンが引っ張ってきたものに他ならない。

そうなると、新しいサービスが始まったところで自分がそれをわざわざ見に行く動機はないし、果たしてこれを見に行く人がいるのか・・・?という疑問も当然に湧いてくる。

世界中で様々な逆風が吹きつける中で、既存メディアとの関係を少しでも良くするためにサービスだけは用意して見たけど、実際に使う人は少なく、その結果、いつの間にか消えていく。そんな未来図さえ浮かんできてしまうのだけれど・・・。

続きを読む

嵐の前の熱狂。

ここのところ、どうにもこうにも落ち着かない。

理由はいろいろあるが、その一つは間違いなく、日本の株式市場の「根拠なき上げ」だ。

そもそも、五輪前後のゴタゴタに新型コロナの感染急拡大も相まって、日経平均が年初来安値*1を付けてからまだ1か月も経っていないというのに、現首相の辞任報道をきっかけに、世界でも他に例を見ないくらいの急上昇を遂げ続けて今に至る。

「何なの、今前向きな材料なんて全くないじゃん」と呟いたのは一週間前のことだったが、停滞するNY市場など気にも留めず、その後もほぼ右肩上がりで株価が急伸していく不思議・・・。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

それまで活況を呈する海外市場を指をくわえて見ていた国内の多くの個人投資家にしてみれば、今がこれまでの憂さを晴らす絶好の機会、ということなのかもしれない。

だが、根拠なき熱狂の後に訪れるのは悲劇でしかない。

そうでなくても、”現物派”にとっては、3月期決算会社の半期配当の権利取りを待つか、それとも配当が落ちた後のダメージを回避するために先取りして売り抜けるか、という取捨選択に迷うこの時期、人間の心理として、含み益が膨らめば膨らむほど判断の時期は遅くなるが、引きずった先に待っているのは奈落の底・・・。

悪いことに、今月は、来年4月の東証の新市場移行に向けた取締役会決議→方針公表と歩みを進める会社が続々と出てきはじめたタイミングでもある。

ああだこうだ理想論を言われたところで、ほとんどの経営者にとって、自分の会社を最上位市場に置くこと以上のステータスはないし、東証一部にいた会社なら「経過措置」で何とかなるだろう、というムードが蔓延している今の状況では、東証1部→プライム以外の選択肢を決断する動機自体が事実上存在しないのだが、それに輪をかけてこの降って湧いたような株高。

本来であれば、プライム”残留”のカギとなるはずの「上場維持基準の適合に向けた計画書」も、この”ミニバブル”の中では作る側にあまり力が入らないようで、

「一次判定の時とはもう状況変わってるんで、特にやることはないです」

といった趣旨の大胆なものさえ出てくるようになったのだが、バブルもあれば当然その逆もある。

”最大風速”に胡坐をかいて、ロクロク対策を講じないまま「プライム行き」の申請を出したは良いが、新市場移行後の市場環境がまたがらりと変わって、結果的に上場維持基準を割り込むことになる、というリスクを、今この時点でどれだけの会社が果たして目の前の危機として認識しているのか・・・。

できることなら、ここから年末にかけて緩やかにソフトランディングするような展開になってほしい、と願いつつも、たぶんそんな幸運なことは起きないだろうから、今は息をひそめながら、静かに次のタイミングに備えたいと思っているところである。

*1:終値ベースでは8月20日の26,954.81円が今のところの最低値である。

広すぎる法改正をカバーするための一冊。

目を通してから記事にするまでにだいぶ時間が経ってしまっているが、先月発売のジュリスト2021年9月号の特集で「所有者不明土地と民法不動産登記法改正」が取り上げられた。

縁あって少しこの法改正にかかわっていたこともあり、また、改正法成立後初めてこのメジャー法律雑誌で特集が組まれた、ということもあって、前月号での予告以来、この企画は楽しみにしていたし、冒頭に掲載された21ページにわたる座談会(14頁以下)は、参加メンバーの顔触れ*1という点でも、主要な論点に一通り言及していた、という点でも、資料的価値は極めて高いものだと思う。

だが、これに続く何本かの解説記事*2まで読み終わって感じたのは、

「これだけだと、まだまだ今回の改正のインパクトは伝わらないのではないかな・・・」

ということだった。

これは、決して座談会の参加者、編集者や、個別の論文の書き手の先生方に由来する問題ではない。

それ以前の話として、今回の「民法不動産登記法改正」と括られる改正の射程があまりに広すぎるのである。

実体法だけ見ても、民法の共有規定、相隣関係規定の見直しに始まり、新たな管理人制度の創設や共有解消のための新たな手続きの創設等、非訟事件手続法まで追っていかなければ全容が見えないものもあれば、物権法の枠を飛び越えて相続法、家事事件手続法のど真ん中に飛び込んでいく改正事項もある。

民法から切り離される形となった土地所有権の放棄に関しては、まさに今後制定されるであろう政省令も見ながら「新法」と格闘していく必要があるし、不動産登記分野の改正に関しては、公法上の新たな義務がセットになっているだけに、「手続法」といえども侮れずという印象が強い。

何より、今回の改正のキモは、条文がこう変わった、ああ変わった、というだけでなく、これまで条文の”隙間”を埋めていた様々な商慣行や現場慣行にまで少なからず影響が及ぶ、ということにあるわけで*3、「土地建物の管理」という身近なテーマゆえ、想定される具体的な事例を元に掘り下げて検討しようと思うと、どこまででもできてしまう。

だから、この分野に関わりがある方ほど、ダイジェスト的な特集記事だけでは、どうしても「空腹感」を抱くことになってしまうような気がする。

いずれ「一問一答」的な網羅的な公式解説は出るはずだし、様々な媒体に、個々の分野でより踏み込んだ論稿が出てくることも予想される。
ただ、現時点でもう少し実務サイドから掘り下げた情報に触れたい、というニーズをどうやって満たせばよいのか・・・

そんな状況で、実にツボにはまったのが、以下で取り上げる一冊である。

荒井達也『令和3年民法不動産登記法 改正の要点と実務への影響』の充実した読後感。

↑で見出しにも掲げた荒井達也弁護士の本は、5月末くらいに店頭に並び始めて以来、不動産登記を業とする方々を中心に多くの方々が称賛の声を寄せており、未だにAmazonでは「登記法」のジャンルでベストセラー1位を保っている書籍だから、今さら自分がご紹介するまでもないのかもしれない。

ただ、”オフィシャルな解説記事”に特有の「必然的な物足りなさ」を感じた後にこの本を読むと、

・立法事実から改正法の内容まで、漏らすことなく網羅的かつ丁寧に記載する。
・立法者意思*4を表象する部会資料の記載や法制審部会での委員・幹事の発言内容を的確に引用して記述の裏付けとしている。
・単に改正後の条文をなぞるにとどまらず、新たな土地管理制度の申立権者の範囲等、今後の解釈に委ねられる、とされている領域についても、審議経緯等を参照しながら著者自身の解釈を示している(コラム等では、部会が正面から議論しなかった論点についてまで勇気をもって踏み込んでいる箇所もある)。
・相続や事業者の開発に伴う土地利用の場面等、実務家の現場感覚の裏打ちされた記述が随所に出てきて、「改正法がどう生かされるか?」ということへの想像力を刺激する。

といった本書の特徴がいかに際立ったものか、ということを改めて思い知らされる。

もちろん、本書に書かれている解釈や、意見表明の全てに自分が賛同している、というわけではなく、特に、著者が日弁連のワーキンググループを通じて今般の法改正に関与されていたという背景を伺わせる、良い言葉で言えば「堅実」な、言い方を変えれば「保守的」とも受け取れる記述が気にならない、と言えば嘘になるが、そんな感情を抱けるのも本書において、「書くべきことが実務家としての思考プロセスと合わせてきちんと書かれているから」なんだよな・・・と思うと、著者に対してはもはや尊敬の念しか湧かない。

・・・ということで、本来であれば個々の論点なども取り上げつつ、もう少し深い記事を書きたかったのであるが、そこまでやろうとすると、記事一本書く前に法律施行の時期を迎えてしまうことにもなりそうなので*5、まずは、今、先頭を走っている書籍とその著者に最大限の敬意を示しつつ、本エントリーを次の「掘り下げ」の機会までのマイルストーンとして残しておければ、と思う次第である。

*1:研究者として、佐久間毅教授(司会)と松尾弘教授が、法務省の担当官として大臣官房参事官の大谷太氏と前民事第二課長の村松秀樹氏(現・法務省民事局総務課長)が、そして実務界を代表して日本司法書士会連合会の今川嘉典前会長に中村晶子弁護士が参加されており、全てのメンバーがこの法改正をメインで審議した法制審議会民法不動産登記法部会の委員、幹事、という構成であるがゆえに、審議経緯を適切に反映した質の高い内容となっている。

*2:鳥山泰志「新しい相隣関係法」35頁以下、伊藤栄寿「新しい共有法」42頁以下、水津太郎「新しい相続法ー令和3年民法等改正と遺産共有」49頁以下。

*3:元々、民法の相隣関係の規定などたかだか30くらいの条文しかなく、今回の改正後もその状況が大きく変わるわけではないが、だからといって「改正は軽微」と受け止めてしまうと目測を誤ることにもなりかねない、と自分は思っている。

*4:厳密に言えば正しい表現ではないのかもしれないが、実質的には・・・。

*5:実際、債権法改正の時は、(あれだけ成立~施行まで長い期間があったにもかかわらず)壮大なエントリーをしたためようと温めているうちに、書籍の紹介等も含め、アウトデートになってしまったネタが数えきれないほどあった・・・。

「20年」の時の重さと軽さ。

ちょうど「9・11」から20年、ということで、あちこちで回顧する特集が組まれ、SNSなどを見ていても「あの時自分はニューヨークの○○にいた」という告白を目にすることが多い。

自分は、「あの時」どころか、人生の今に至るまでニューヨークという街には一度も足を踏み入れたことがないし、そもそも米国の地にすら、かれこれもう20年近く足を踏み入れていない。

だから、自分の「9・11」の記憶は、リアルなそれ、ではなく、テレビ画面越しにそれをぼんやりと眺めていた極東の島国の一市民のそれ、でしかないのだが*1、それでもこの季節になると何となく胸に湧いてくるものがあるのは、あの「2001年9月11日」前後の日々が人生におけるそれなりのターニングポイントだったから、なのだろうと思う。

・・・で、そのことをしみじみと振り返って書こうと思ったら、実は10年前のエントリーで既に書いていたことに気付いてしまったので、その一人語りはリンク張っておしまい。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

人と比べてそう誇れることがあるとも思えない人生ではあるのだが、「20代半ばを無為に過ごした」ということに関しては、仕事に勉強に、と溌溂と打ち込んでおられる今の若者の皆さまとの比較ではもちろんのこと、同世代の人間と比べても”屈指”だった。

もちろんあの頃だって、そんな日々がその先10年も20年も続くとはさすがに思っていなかったが、何もなければあと数年はそのまま緩やかな時を過ごし、さらにそのままレールに乗っかって気が付けば今を迎えている、ということだって十分あり得たわけだから、あの前後で起きたことは間違いなく自分にとっての”ウェイクアップコール”であり、その象徴として記憶に刻み込まれたのが「9・11」だったのだと思っている。

世界を見回せば、先日もエントリーにしたためた通り、「この20年は何だったの?」とため息をつきたくなるような国際情勢の有様があり、一方でその間に起きた技術変革は、20年前の主役を不可逆的に”無用の長物”に変えている。その真ん中で、変わったように見えてまたいつか揺り戻しが来るかもしれない、というステータスになっているのが、多様性や環境に対する人々の意識、価値観、といったところだろうか。

自分に引き付けてみても、同じようなもので、大きく変わったものもあれば、全くと言ってよいほど変わっていないこともある。

「隔世の感があるなぁ・・・」と思うことも僅かにある一方で、時間が連続しているがゆえに未だに「昨日のこと」のように振り返ってしまうことも多々あったりする。

あの時「ウェイクアップ」した結果、歩むことになったここまでの旅は、計画もロクすっぽ立てずに歩いてきた割には、一片たりとも後悔の念を抱かずに済む、自分が考えうる限りでは最高の道のりだった。

ただ、どんなに経験を積んで様々なものを手に入れても、心の中に「日々を無為に過ごしたい」という誘惑が眠っているところだけは20年前とまるで変わっていないような気がしていて、様々な軛から解放されて手に入れた今の環境は、ともすればそういう方向に自分を導く誘惑には事欠かない。

もう一度、何かをきっかけにウェイクアップして、さらにこの先10年、20年、未踏の地を目指すのか、それとも、もはや折り返しを過ぎた人生を逆算して緩やかな日々に戻るのか・・・。

今わかっていることは「計算できる人生などない」ということだけだから、これまでどおり、目の前に転がってきたものに飛びつくかどうか、二者択一の選択肢の積み重ねで歩みを進めていくだけではあるのだが、さらにこの先、10年後、20年後時を過ごして振り返った時の時間の”軽さ”は、今と同じものなのか、それとも違うのか。それがわからないだけにちょっと迷っている2021年9月11日。

まぁいずれ、迷っていたことも忘れて、気が付けば10年、ということになってしまいそうではあるのだけど、とりあえずは今の心情、ということで、以上のとおり、ここに書き残しておくことにしたい。

*1:この点、同じ「・11」でも「3・11」とは全く次元が違う話である。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html