「対前年比」の罠。

緊急事態宣言も、まん延防止もなかった今年のゴールデンウィークは、久々にどこに行っても結構な人出だった。

個人的なことを言えば、コロナ前なら、GWで長めに休みを取れる時はさっさと国外に逃亡していたし、そうでなければ、あえてどこに行くにも高くつく時期に動く必要もあるまい、と都心にどっかり腰を据える生活だったから、「GW中に国内旅行」なんて行動に出ることはまずなかったのだが、今年に関しては、そんな人間すら重い腰を上げて動いたくらいだから、まぁ人出が増えるのも当然といえば当然だろう。

結果、メディア恒例のGW明けの振り返り記事は、以下のような書き出しで始まることになった。

「2022年のゴールデンウイーク(GW)は3年ぶりに新型コロナウイルスの緊急事態宣言が発令されない連休となり、各地で人出が前年を大幅に上回った。」(日本経済新聞2022年5月10日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)

出てくる数字を並べてみても、

・都心から近い行楽地や商業地、沖縄や北海道のいずれも前年に比べて3割~2倍人出が増えた。
・大阪の心斎橋と東京・銀座はいずれも前年比で約2倍の人出となった。
パレスホテル東京(東京・千代田)では客室の稼働率前年比16ポイント高まった。
JR東日本などJR旅客6社が9日発表した4月28日~5月8日の輸送人員は前年同期比2.5倍の約907万人だった。
(同上)

と、「前年比」ではまぁかなり景気の良い話になっているのではあるが・・・。

続きを読む

大外枠から生まれたドラマ。

日曜日の朝は、いきなり海の向こうのダービーの話題から始まった。

いかにUAEダービーの勝ち馬だからと言っても、日本から渡って簡単に勝てるレースではないよな・・・と思っていたから、クラウンプライドの惨敗*1想定の範囲内

だが、勝ち馬が、前日の”繰上出場”の報で名前を聞いたばかりのリッチストライクだった、というのはとんでもないサプライズだったわけで・・・。

日本では見ることがなくなった超多頭数競馬、しかもその中で一番外の21番ゲートからの発走、というだけで勝敗に絡むとは多くの人が思わなかったわけだが*2、そんな浅はかな予想者をあざ笑うかのように、後方追走から直線では一番内側に切れ込んで(一度は進路を阻まれそうになりながらも、間を縫ってさらにギアを切り替え)、本命エピセンターを差し切る堂々の勝利を挙げた。

それから約7時間半。

太平洋の向こう側で起きた快挙が、日本で走る馬たちにも何か影響を与えたのか・・・。

今年の春のGⅠで「大外枠」といえば、不吉な結果が目立つ良くないめぐりあわせの枠順だった。

先週こそ、ディープボンドが地力で2着に入ったものの、勝ったのは同じ8枠でも少し内側から発走したタイトルホルダーのほう。

ゆえに、なのか、今週のNHKマイルCで大外の18番に入ったダノンスコーピオン&川田騎手への支持も、直前の重賞をきっちり勝ち上がってきた割には随分と薄いものになっていた。

それが、蓋を開けてみれば、中団から真っ先に抜け出したのはこの4番人気の馬。

最内枠からスタートしたはずのマテンロウオリオンが、最後方から大外を回って一気に追い上げてきたのは、いかにも横山典騎手・・・というところではあったが、優勝したのはその2着馬も、続けて上がってきたカワキタレブリーもきっちりクビの差一つで抑え切ったダノンスコーピオ

着差はわずかではあったが、見るからに外の方が伸びていたこの日の東京コースの条件を考えると、着差以上に勝った馬の地力も感じられたレースだったわけで・・・。

この2週続いた「8枠祭り」により、枠順で人気を上げ下げするようなムードは下火になるだろうとは思うのだが、

「本命馬が敗れ、大外枠から発走した人気薄の馬がタイトルを持っていく」

というレースを一日に2度も見られた、というのは偶然にしても出来すぎているような気がして・・・。

ここからさらに続いていく春のGⅠ後半戦が「大外からの逆襲」シリーズになるのか、それともさらにまた新しい伝説が生まれるか。

GⅠレースの馬柱が次に出てきたときは、冷静に眺めつつ、面白くなる方向で予想のストーリーを組み立ててみたいと思っている。

*1:といっても超ハイペースの展開の中、4コーナーを回るくらいまではあわやの可能性も感じさせた、というのは、これまでにないことだったと思う。

*2:日本国内での支持は19番人気にとどまっていた。

省かれたディテールにも意味はある。

何となく”平時”に戻ったムードも強かった今年のGWだったが、後半の三連休最後の日に紙面に掲載された海外発のオピニオン記事を読んで、つかの間の享楽ムードも一気に吹っ飛んでしまった。

www.nikkei.com

コメンテーターは米シカゴ大学教授のラグラム・ラジャン氏。

エコノミストとして名を馳せ、インドRBIの総裁として経済躍進の下地を築いたにもかかわらず、モディ政権と対立して一期限りで退任した人物、ということ以上に自分はこの経済学者に関する知識を持ち合わせていなかったのだが、経済制裁という大量破壊兵器という標題で始まるこのコラムは、なかなかのインパクトだった。

「経済兵器は侵略や野蛮な行為に対して有効でありながら、文明的な対応を可能にする。だが、これらの兵器がもたらすリスクを軽視すべきではない。ビルを倒したり、橋を壊したりはしないが、企業や金融機関、生活、そして生命さえも破壊する。罪のある者だけでなく無実の人にも打撃となる。現代世界の繁栄を可能にしたグローバル化のプロセスを逆行させることになりかねない。」
「この点について、いくつか関連する懸念がある。まず、経済兵器は一見流血を伴わず、統治する規範がないため、乱用される可能性がある。これは単なる臆測ではない。米国は、世界にはもっと悪しき体制があるにもかかわらず、キューバに対する厳しい制裁を続けている。また中国は最近、オーストラリアの輸出に制裁を科したが、同国が新型コロナウイルスの起源に独立した調査を求めたことへの報復だったのは明らかだ。」
同じくらい心配なのは、企業に特定の国での事業活動の停止を求める世論の高まりだ。こうした要求は、政策立案者が意図した以上の制裁拡大になる可能性がある。
経済兵器は一国の手に委ねるにはあまりにも強力で、その使用にはコンセンサスが義務付けられるべきだ。侵略国のエリートの資産に対する制裁は最も優先順位を高くし、コンセンサスの要件は最低限にすべきだ。反対に、侵略国の通貨の価値を下げたり、金融システムを弱体化させたりすることは、より慎重かつ最大限のコンセンサスを得るべきだ。」
「先進国は自国の力を制約することに消極的だろう。だが世界経済が分裂すれば、すべての人に痛手だ。「経済的軍備管理」に関する協議は、壊れた世界秩序を修復する一歩になるかもしれない。平和的共存は、どのような形態の戦争よりも常に優れている。
日本経済新聞2022年5月5日付朝刊・第5面、強調筆者)

最初の「侵攻」の報から2か月以上たった今になっても、プーチンの戦争に終息の兆しは見えず、ウクライナからは連日、悲劇を伝えるニュースと徹底抗戦の決意が発信されている。

そして、そんな状況の下で日々エスカレートしているのが、米国、EUを中心と”西側”諸国による「経済制裁」の報道と、それに平仄を合わせるかのように次々と出てくる民間事業者の撤退、”損切り”のニュース。

ロシアからの撤退により受ける打撃が大きければ大きいほど、巨額の損失を出せば出すほど、それがウクライナへの共感の大きさを示すKPIとして機能し、一部ではそういった企業をあたかも自由民主主義社会の”殉教者”であるかのように褒めたたえる(逆に撤退を躊躇する企業には容赦なく罵声を浴びせる)ような動きさえあることに、違和感を抱くことも多かったのだが、前記のラジャン教授の意見は、そんな「際限なき経済制裁」の怖さを言語化し、一定の歯止めを課すことの必要性を説く、という点で実に見事な論稿だった。

もちろん、この日本語訳が施された記事を読む際には留意すべきこともあって、一つは、この記事の”原典”である”Project Syndicate”のサイトに記事が掲載されたのが3月17日、という侵攻後比較的早いタイミングだったということ。

www.project-syndicate.org

その時点で今に至るまでの「制裁」のエスカレートを見通していた、という点では慧眼というほかないが、民間人攻撃をはじめとするロシア軍の様々な無法行為が明らかになった(結果的にそれが多くの国が経済制裁のギアを一段引き上げるきっかけにもなっている)今となっては、ラジャン教授の考え方自体もより”厳格な制裁やむなし”の方向に変わらずを得なくなっている可能性はある。

そしてもう一つ注意が必要なのは、原典と今回日本語訳された記事を比較すると、以下のくだりがすっぽりと抜けている、ということだろう。

That we have come to this point reflects a widespread political breakdown. Too many powerful countries are now being led by authoritarian rulers whose reliance on nationalism makes them less willing to compromise internationally and who face few domestic constraints on their behavior. If Russian President Vladimir Putin’s aggression were to go unpunished, more international provocations like his war in Ukraine would become inevitable.1
Equally problematic is the breakdown of the international order. The United Nations Security Council cannot legitimately act against any of its permanent veto-wielding members (China, France, Russia, the United Kingdom, and the United States). The organization’s impotence translates into impunity for strongmen who flout international norms. Moreover, even if the UN could approve a military response, the will to confront a determined nuclear power militarily would probably be lacking.
Economic weapons, made possible by global integration, offer a way to bypass a paralyzed global governance system. They allow other powers an effective (that is, painful) but civilized way to respond to aggression and barbarity.(強調筆者、以下同じ。)

要するに、ラジャン教授も、政治的な観点からのシステムの機能不全を補い、痛みは伴うもののより効果的かつcivilizedな方法として経済制裁が正当化される、ということは明確に述べておられるわけで、このポイントを押さえた上で読まないと、どうしてもバランスは悪くなる。

他にも、経済が balkanizedすることによってより世界が貧困に陥る、という事態を防ぐためのセーフガードの必要性を説くくだりや、二次的制裁の脅威が国々の意に反して制裁への協調的行動をとらせることになってしまう、というリスクの指摘、さらに以下のとおり、通貨や金融システムへの制裁が、中流のリベラル、改革派の市民たちを”怒れるナショナリスト”に変えてしまう、ということへの危惧が「慎重さ」を求める背景にある、といったことも日本語要約された記事からは読み取りにくい。

Conversely, because moves to debase an aggressor’s currency or undermine its financial system can turn middle-class liberals and reformers into angry nationalists, they should be taken with more deliberation and maximal consensus.

「経済」は世界中でつながり澱みなく流れる環流のようなものだから、おそらく、この先、欧州での戦争状態が長引けば長引くほど、制裁を加えられた側だけでなく、「加えているはずの側」にも半端なくダメージは襲い掛かってくるだろうし、そうなれば、COVID-19への対応と同様に、世論を二分するような議論が吹き上がることは避けられないだろう。

ともすれば、物価や給料が上がった/下がった、仕事が増えた/亡くなった、といった領域にまで入り込んで、感情交じりの殴り合いのような話にもなりかねないテーマではあるが、実のある議論をしていくためには、地政学上も歴史上も日本とは全く立ち位置が異なる欧米の動向への追従はもちろんのこと、逆の立場からの安直な議論のつまみ食いも避けられなければならないな、と思った次第である。

映し鏡。

ここ数年は動静が伝えられるような機会が格段に減っていたとはいえ、それでも時々は、Number誌に田村修一氏が書かれるインタビュー記事等を通じて、含蓄に富む数々のコメントに接するのを楽しみにしていたから、これでもうそんな知的興奮を味わえなくなる、ということを心から残念に思う。

サッカー日本代表の元監督、イビチャ・オシム氏が1日、死去した。80歳。」日本経済新聞2022年5月3日付朝刊・第31面)

自分にとっては、元日本代表監督、ということ以上に、ジェフユナイテッド市原(当時)の監督として、低迷していたチームを優勝争いできるレベルにまで押し上げ、ナビスコ杯でクラブ初のタイトルを勝ち取ってくれた”大恩人”としての印象が未だに強い(そして、これまでのクラブの歴史上、この05年のタイトルを奪った瞬間が未だに”頂点”となっている)。

若きキャプテンだった阿部勇樹選手を筆頭に、チームの躍進とともに跳ね上がった選手たちの市場価値とクラブの評価とのギャップは広がり、さらにオシム氏の代表監督就任と相前後して代表入りした選手たちの目線が一気に高くなったこともあって、”オシム後”の数年、クラブからの選手の流出がやむことはなかったし、それがJリーグ発足後、辛うじて最上位リーグの地位を守り続けていたチームの屋台骨を決定的に破壊してしまったことも確かだが、そこで責められるべきはGM人事も含めて迷走したクラブの側であって、イビチャ・オシム氏ではない。

そして、任期半ばにして脳梗塞で倒れた結果、A代表の進化が”未完”のまま終わったことを多くの代表サポが嘆いたのと同じくらい(あるいはそれ以上に)、2006年の”引き抜き”がなかったら一体どこまで凄いチームになっていたのだろうか・・・と嘆くジェフサポもいることは、ここにはっきりと書き記しておきたい。


なお、3日付の日経紙の朝刊スポーツ面に武智幸徳氏が書かれた「評伝」*1は実に読ませる記事で、一つ一つの文章に故人への最大限の畏敬の意が込められた素晴らしい惜別の辞になっているのだが、その中で引用されたオシム氏の言葉が、

「頭の中に1000でも2000でもメニューはある」
「オフのためにサッカーをするのか? 勝つためにサッカーをするんだろ」
「肉離れ? ライオンに追われたウサギが肉離れを起こすと思うか?」

といった猛練習のエピソードを象徴するものや、

「未来を予測することは、あらゆる職業において一番難しいことではあるが、今、使える選手ではなく、あす使える選手を見抜き、5年先を見すえて育てることが大事だ」

「日本ではタレントのある選手たちが走らなくてもいい自由を与えられている。代表ではそれを変えていかなくてはならない。走ることなしにモダンなサッカーはできないのだから」
「テクニックがあれば、ほかの選手よりうまい分だけ走らなくていい、なんてことはない。現実に強い相手と、つまり自分たちよりうまい上に走れる相手と戦ったとき、それでは破綻する。日本はこれまで何度もその過ちを繰り返している」
「サッカーの戦術がこの先どう変化していくかは何ともいえない。ゴールの大きさ、ピッチの大きさを変えるといったルールの変更にも左右されるから。しかし今より将来のサッカーのスピードが遅くなることだけは絶対にない」
「日本の中盤の選手はもっと走って、ゴールに対してもっと危険な選手にならないといけない。プレーメーカー兼ゴールゲッターという選手が3人いれば、相手にとって非常に危険で抑えることは難しくなる」

といった代表チームの未来予測に関するものだったことは、個人的にはちょっと印象に残った。

その後も記者として今に至るまで世界のサッカーと日本代表チームを追いかけ続けている記者だからこその視点なのだろうと思うし、記事の中でも書かれているとおり、10年以上も前に発せられたこれらの言葉が、今世界の主流となっているサッカーの姿を明確に言い当てているのは間違いない。

ただ、他社の紙面やネットニュースに掲載された記事等を比較していくと、集めれば本が一冊書けるくらい数多く残っているオシム氏の”言葉”の中から、何を選んで自分の文章につなげるか、というところにも書き手の個性が顕著に表れるわけで、そこで徹底して”ガチ”のテーマにかかわる「言葉」を取り上げた、というところに、一般紙の中では断トツNo.1のスポーツ面で筆をとる方としての矜持、もまた感じとることができたのである。

*1:日本経済新聞2022年5月3日付朝刊・第31面。

続きを読む

試される知財部。

昨年のコーポレートガバナンス・コード改訂と、それを受けた極めて”局地的な”盛り上がりに対しては、当時このブログにも記したとおり、自分は一貫して懐疑的な目を向け続けている。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そんな中、皆忘れかけた頃に燃料を投下してくれる日経紙が、2日付の朝刊に知財・無形資産生かすには』という1面ぶち抜きの特集記事を再び掲載している*1

当然ながら、ここに登場する4名の識者は、冒頭に取り上げられている小堀秀毅・旭化成会長を筆頭に、この「知財・無形資産の戦略的活用&開示」というトレンドに対してはいずれもポジティブなコメントを発信されていて、”こういう世界”にしたいんだろうな・・・という聞き手(書き手)側の強い意志を感じる一方で、「知財・無形資産」という極めて抽象的なキャッチフレーズの下、方向感が統一されているはずの識者の間でも、念頭に置いている世界が微妙に異なっている、というところが透けて見えてしまうところがまぁ何とも・・・。

これまでも再三書いてきた通り、自分も、ビジネスモデルに始まり、ブランドから蓄積されたノウハウに至るまで、「無形」の価値を重視して活用すべき、ということについては全く異論はない。

見かけ上の財務諸表の数字、機械的にはじき出される経営数値に引っ張られすぎたばかりに、守るべきものまで失い、グローバル市場で競争優位に立てるだけのポジションを失ってきた多くの日本企業(とそれを後押しした市場関係者たち)に、”無形の資産”の価値と意義を再確認させることの意味は、どれだけ強調されても足りないということはない、とさえ自分は思っている。

ただ、そういった話を、法が作ったルールの下に成り立っている「知的財産」という制度とごちゃまぜにすることへの強烈な違和感は未だ消えないし、「知的財産権の取得のための投資」を「無形資産の創出」と同視した上で、そこに

「現時点で知財・無形資産の開示には、財務におけるROE自己資本利益率)のような指標がない。ROEやROIC(投下資本利益率)のように企業を横並びで比較できる指標ができれば、投資家側でも知財・無形資産の情報活用が一気に広がる可能性がある。望ましいのは単純明快で、数値で比較できる指標だ。
日本経済新聞2022年5月2日付朝刊・第7面、波多野紅美氏コメント)(強調筆者、以下同じ)

というような思想が持ち込まれるようになってしまうと、それこそこれまでの二の舞、三の舞になってしまう。

大事なのは、「無形資産」を少しでも早く目に見える形で事業化することであって、そこに至るまでの過程は所詮”プロセス”に過ぎないのだから、投資家に対するアピールに過度に血道を上げるような愚は避けるべきだし、ましてや、”ビジネスとして成功するかどうか”と言う価値観からは中立的な立場で存在している「知的財産」制度をそこに絡めるのはもってのほか・・・というのが、依然として変わらない自分の意見である*2

なお、「知財に目覚めた」旭化成の小堀会長が、知財分析を事業戦略に活用している、という話は、「知財経営」の数少ない成功例として今後も随所で取り上げられることになるのだろうが、そこに書かれた以下の一文を見て、背筋が凍る思いがした知財関係者は決して少なくないのではないだろうか

「改訂指針を受けた施策として、特許の出願などを担当する従来の知財部とは別に知財分析と、分析結果に基づく経営戦略への迅速な支援を専門とする「知財インテリジェンス室」を4月1日付で設け、経営企画担当役員に直属させた。」(同上)

同社が発表している4月1日付の人事発令を見ると、知的財産部長がこの「知財インテリジェンス室」に異動されているようだから、既存の知財部門との関係が寸断された組織、ということではないようだが、最初はそうでも人が替われば・・・なんて例は世の中枚挙にいとまがない。

CGコードに取り込まれて”地位向上”と喜んでいたら、屋上屋。

中には”なるほど”と思う「経営の視点」もある一方で、明後日の方向からの指示もあり、既存の知財実務部隊がこれまで淡々と回していた仕事へのプレッシャーとそれに伴う対応工数が飛躍的に増す・・・。

そんな悲劇が生まれないにこしたことはないが、生まれないとは限らない。

おそらくは次のCGコード改訂まで続くであろうそんなアンビバレントな状況がこの世界をどう変えていくのか?

怖いもの見たさで、少し見守っていくことにしたい。

*1:日本経済新聞2022年5月2日付朝刊・第7面。

*2:個人的には、次の改訂のタイミングで「知的財産」という言葉が消えて、「無形資産」だけCGコードに残る、というのが理想的な落ち着かせどころだと思っている。

「8枠」が演出した波乱なき天皇賞・春。

レースが始まる前、「何でこの馬が2番人気なんだろうか?」と不思議で仕方がなかった。

そして、今年の第165回天皇賞(春)のゲートが開いてからの約3分16秒は、そんな違和感を裏付けるに十分な「独壇場」だった。

今どき「3200m」のGⅠ。同格のレースでこのレベルの距離、となれば、基準になるのは3歳牡馬クラシックの3冠目のレースしかない。

昨年のワールドプレミアから遡って過去10年振り返れば、連覇したフィエールマンにキタサンブラック、その前のゴールドシップ、と菊花賞のタイトルを持つ馬が圧倒的に実績を残しているし、3歳時にはタイトルを取れなかった晩成型の馬たちですら、レインボーラインは2着、ビートブラックは3着と菊花賞で馬券に絡む実力は見せている。

唯一菊花賞に縁がなかったフェノーメノは、単に3歳秋シーズンのレース選択を間違えただけ*1、と考えれば、菊花賞で上位3頭に入っていることがこのレースに勝つための必須条件ともいえるわけで、その点で、今年1番人気に支持されたキズナ産駒の人気者は、「大外枠」という以前に勝つまでの目はなかった。

そう、

タイトルホルダー一択で良い。

というのが今年のこのレースだったわけで、ゲートを出るなり影も踏まさずマイペースで逃げ切って7馬身差圧勝、という結果がそれを見事なまでに証明したといえる。

元々は弟が乗って「親子3代」の夢を叶えた馬が、今度は代わって手綱を託された兄に初めてのGⅠをプレゼントし、さらに再び「親子3代」の偉業を実現した、というところに、競馬ならではの”血縁のドラマ”を堪能したファンも多かっただろうが、それも、長距離で逃げて結果を出せるこの馬の傑出したキャラクターあってこそだと思うだけに、兄弟のいずれが手綱を取ろうとも、今年はこのまま長距離GⅠだけを一気に駆け抜けて、さらに歴史を作って欲しいなぁ・・・と思うところである。

ちなみに、個人的に興味深かったのは、”不利不利”と言われながらも大外枠のディープボンドが地力の差できっちり2着を確保したことと、スタート直後に騎手を振り落としながらもゴールまで走り続けたシルヴァーソニックが、そのディープボンドの前でタイトルホルダーに唯一絡む激走を見せた*2、ということ。

勝った馬と合わせて、いずれもピンクの帽子の8枠からのスタート。

もし”2番目”にゴールした馬が最後まで騎手を乗せていたら、まさかの8枠ワン・ツー・スリーという驚愕の結果になったのかも・・・というあり得ない妄想をしつつ、力のある馬なら枠順の有利不利とか関係ないんだよね、という当たり前のことを改めて認識したレースでもあった。

一番外の枠で、この3頭が仲良く走るなんて機会はもう二度とめぐってこないのかもしれないが、こと長距離のレースに関する限り、評論家たちが何を言おうが、馬の実績と地力が全て、ということは忘れずにいたいと思っているところである。

*1:といっても天皇賞・秋で2着に入っているから、その名の通り距離不問の”怪物”だったということなのだが。

*2:この大一番で名手・川田騎手すら御せない躓き方をしたあたりに父・オルフェーヴルの血の発露を見たが、その一方で最後まで逸走することなく走り切ったところには”らしくない”印象もあった。

2022年4月のまとめ

とにかく慌ただしく過ぎていった4月だった。

今年に入ってからの世の中の大きなうねりは今月に入ってからも収まることなく影響を及ぼし続けていて、新聞を開けばサプライチェーンの混乱と物価上昇のニュースばかり。

新型コロナの感染者数も、減り続けているものの、これまでのように一気に波が引く雰囲気には程遠い。だが、街に出れば、人波は確実に増え、誰も号令をかけないまま、”平時”が戻りつつある感すらある。

そんな季節を、今年も全力で走り抜けた。たぶん、これまで以上に早いスピードと必死さで。

当然ながらブログの更新などままならず、ページビューは3年ぶりに10,000を切り、セッション6,000台、ユニークユーザー3,000台というのも、ここ数年では最低の数字になっている。

ストックしたまま書き逃したネタもある。見かけて資料をストックすることすらままならなかったネタもある。
だが、そんなことも全く気にならないくらいの一カ月だった、ということで以下恒例のランキング。

<ユーザー別市区町村(4月)>
1.↑ 大阪市 253
2.↓ 横浜市 187
3.↑ 港区 166
4.↓ 千代田区 165
5.→ 新宿区 140
6.↑ 中央区 122
7.↓ 名古屋市 99
8.↑ 渋谷区 83
9.圏外川崎市 70
10.↓ 世田谷区 56

当然ながら全体的に数字は下がっているのだが、そんな中、港区、中央区、渋谷区、といったところが伸びてきているのを見て、これも”ポスト・コロナ”の象徴だな、としみじみ感じる。

<検索アナリティクス(4月分) 合計クリック数 1,189回>
1.→ 企業法務戦士 145
2.→ シャルマントサック 裁判 42
3.圏外大船渡高校 甲子園 1984 メンバー 18
4.→ ipランドスケープ 役に立たない 18
5.圏外大船渡旋風 18
6.↓ 学研のおばちゃん 今 17
7.圏外取扱説明書 著作権 16
8.圏外知恵を出さない奴は 13
9.↓ 法務 ブログ 13
10.圏外大船渡高校 金野 現在 9

「大船渡」絡みの検索が多いのは、言わずもがな、佐々木朗希投手の毎週の快投あってのこと。そして、彼がプロ野球の世界で記録を塗り替えていくたびに、鈴木忠平氏がNumberに書かれた名記事*1の記憶が蘇る、というのもまた粋なものである。

なお、数少ない4月の記事の中でTwitterでのインプレッションが最多だったのは、↓の記事だった(インプレッション数4,098)。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ということで、このブログ的にはいかんともし難かった今年の4月だが、その代わりに刻んだ今年最多の月間261,038歩が、これからまだ始まる新しいチャレンジにつながると自分は信じている。

そして、そんな中でも季節外れの暑さ寒さを肌で感じ、桜から新緑までちょっとだけ目をやる余裕がある、ということに、この数年のささやかな進歩を感じているところである。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html