遂にフェーズが変わったか?

どんな世界でもカレンダーがめくられていくスピードは速い。

自分の中では、「ついこの前カタールでやってた・・・」という気分のサッカーW杯も、気が付けば「アジア最終予選」が始まってしまい何とも・・・という気分ではある。

で、この「最終予選」、メディアの煽りを受けるまでもなく、既にW杯常連国となったこの国にとっても長らく”鬼門”だった。

特に↓のエントリーにもあるとおり、4年前、カタールW杯最終予選の出だしの酷さは未だに生々しい記憶として残っていたりもするわけで、「W杯本戦に出ることが当たり前」ではなかった時代を生きてきた者としてはこれはこれでスリリングでよいのだけど、そうはいってもメディアが一喜一憂してざわつくのは鬱陶しいな・・・という通過儀礼でもあった。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ところが、蓋を開けてみれば、躍進著しい、という触れ込みだった中国相手に
7‐0にて圧勝

ほぼリアルタイムで観戦していたが、フィールドの選手たちの動きの質は相手チームと明らかに異なっていたし、「いつでもどこからでも点が取れる」という雰囲気すら漂わせていた攻撃陣の充実ぶりはこれまでにないレベル。

ホームでの開催だったことを差し引いても、「次元が違う」という表現がぴったり当てはまる、そんな展開と結果だった。

年始のアジアカップで苦戦を強いられ、最後はほとんど見せ場なくベスト8で姿を消したあの代表チームはどこへ行ったのか・・・。

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2年ぶり、現地にて。

毎夏恒例の北海道大学サマーセミナー。今年は「著作権・不正競争・意匠・商標編」ということで、2年ぶりに現地にも足を運んだ。

新型コロナ禍はとうに明けたとはいえ、その間に定着したハイブリッド方式で講義の遠隔視聴も可能になったこともあって、教室にいた聴講者はコロナ前の6~7割くらいだっただろうか。

それでも、まだ暑さ残るこの季節に*1、あの爽やかな風を感じながら充実したカリキュラムを集中的に堪能できる、というあの贅沢な時間は何ものにも代えがたい。

参加できたのは実質後半2日間のみ、最後の土曜日以外は当地にいるにもかかわらず、合間の仕事を片付けるためにホテルの部屋から・・・というような不細工な対応を余儀なくされたのは遺憾の極みだったが、それでも自分の準備の方で手一杯だった2年前よりは、いろいろなものを吸収できる余裕はあったような気がするし、一瞬でもあの空気を吸えたことに意味がある。

これまでずっと「知識の確認の場」と位置付けてきたこのシリーズで、「確認」ではなく「初見」の話も決して少なくなかったのは、一応この分野の専門家を自称(?)するものとしては忸怩たる思いではあるし*2、次の機会までにはもう少ししっかりやらないと、という自戒を込めてこのエントリーも書いているのだけど、そんなことが言えるのも、このセミナーが一過性のイベントではなく、15年続いた伝統を持つ本邦随一の機会だからこそ。

終わった後、札駅の周りから北口、東口の先の方まで足を延ばし、ゆっくりだが着実に前進している工事と再開発の状況を眺めながら、何年か前の懇親会で叫んだ「新幹線がこの地に来るまでは!」という願いが現実に近づいていることを感じたりもしたわけだが、自分の今の願いは、そこで止まることなく、もっと先まで、この贅沢な時間が続いてほしい・・・ ただそれだけである。

*1:重ねて、今年に関しては、台風の影響で内地の気候が大荒れだったタイミングだった、という幸運も重なった。

*2:判例に関しては、概ねキャッチアップできていることは確認できたものの、審決例まで広げるといささか怪しいし、何より法政策系の話題をしばらくフォローアップできていないな・・・ということを強く感じたのが今回の反省でもあり、収穫でもある。

2024年8月のまとめ

月締めを「月末」にできなくなって久しい。

世間的には休み気分が蔓延しているこの8月も決して例外ではなく、というか、むしろ今は8月が一年で一番慌ただしい時期になってしまっているからなおさら、というところもある。

そうはいっても、オリンピックはそこそこ見れたし、世の中のニュースもそこそこ追いかけながら、月末には仕事の合間をすり抜けて北の大地のサマーセミナーまで足を運べていたりもするから、なんだかんだ言ってよい生活、といってしまえばそれまでなのだが、毎月繰り返されるこのもどかしさをどうするか・・・という感情は、まだまだしばらく引っ張り続けるんだろうな、と。

今月のページビューは5,300超、セッションは4,000弱、ユニークユーザーはちょうど2500。

ランキングも大きく変わってはいないけど、札幌市がいまだに食い込んできているのが「夏」の証。

<ユーザー別市区町村(24年8月)>
1.→ 大阪市 302
2.→ 港区 117
3.→ 千代田区 115
3.↑ 新宿区 115
5.→ 中央区 79
6.→ 渋谷区 61
7.→ 横浜市 53
8.↑ 札幌市 37
9.圏外福岡市 34
10.↓ 名古屋市 32

続いて検索も。

<検索アナリティクス(24年8月分) 合計クリック数 1,169回>
1.↑ 企業法務戦士 54
2.↑ 学研のおばちゃん 現在 22
3.圏外大船渡旋風 14
4.↓ アドマイヤムーン事件 13
5.→ 高野義雄 Wiki 12
6.↑ 東京スタイル 高野義雄 11
7.圏外企業法務 戦士 10
8.→ 一定の理解 9
9.↓ 東京永和法律事務所 9
10.圏外とき325号 奇跡 9

泣いても笑っても今年も残り4カ月。ベストを尽くして時を待つ。
今はただそれだけである。

近くになかったからこそ、の極上。

16日間のスケジュールを終えて、パリ夏季五輪が閉幕した。

名残惜しい、とか、”喪失感”を抱くほど耽溺していたわけではないが、日中仕事に追われる身としてはちょうど良い具合の時差がある国での開催だったことも相まって、この間、それなりに贅沢な時間を味わっていた。

なんといっても大きかったのは、今回もNHKのサイトから全競技のライブ映像にアクセスできたこと。
英語の簡潔な実況が付くだけで、マイナー競技になると無音のまま、映像だけが流れていくこともあったりしたが、長年オリンピックスポーツを見続けてきた者にとってはそれで充分。

むしろ、大人の事情で、NHKや民放地上波が中継している時間帯にLIVE映像がストップして、やむなくTVer等でやかましい応援実況付きの放送を聞かなければいけないときの方がフラストレーションがたまったし、そこで結果だけ見届けた上で後から静かに”見逃し”映像を見返すなんてこともよくやった*1

選手や関係者の声とリアクションだけで、競技の抑揚を感じていた東京2020とは異なり、今回はどの会場にも詰めかけた大観衆の”歓声”が状況とそれぞれの競技の潮目の変化を教えてくれたし、それでこそ味わえたライブ感もあった。視聴者が増えると重くなって肝心なところで映像が止まる・・・なんてことも何度か味わったが、それでも見たい競技を見たいときに存分に味わえる快感*2「もう五輪に『テレビ』はいらないな」と思ったのは、決して自分だけではなかったはず*3

もちろん、7時間の時差のある世界で行われているイベントは、どんなにリアルに感じたとしても、自分にとっては決して本当の意味でリアルなイベントにはなりえない。

遠く離れたところで奮闘する選手たちを眺めながら、こちらはあくまでコンテンツを消費するだけの民。

ただ多くの人々が待ち焦がれた「自国開催」でこれ以上もないくらいの後悔と虚しさを味わった日本人の一人として、このパリ五輪は、国際的なビッグイベントとの距離感はこれくらいがちょうどいいと改めて感じられる機会でもあった。

珠玉のエンタテインメントフィールドとして切り取られた競技会場の光景はもちろん、開会式、閉会式の演出でも、洗練された美しい「絵」が切り取られて視聴者の下に運ばれてくる。

一歩裏に踏み込めば、日本と同じように根強い反対運動もあっただろうし、会期中まで続いた抗議活動だって存在したはずだ。

そこまでいかなくても、世界中から集まる観客を除けばまぁまぁ皆冷めている、という当たり前の状況も、現地にいたらきっと目にすることになったことだろう。

だが、画面越しで眺めている限り、そんな大都市の”日常”は決して自分たちの目の前には現れず、完成された”作品”だけを堪能することができる

だからこそ味わえる極上の時間なのだ、ということも、痛みを知る前開催地の人間としては、これ以上ないくらいに分かる。

*1:陸上や競泳などはクライマックスの時間帯に起きていられないので、必然的に”見逃し”映像で結果を知ることがほとんどだった。

*2:特にテレビ中継だとトラック競技でたびたび中断されてフラストレーションがたまる陸上競技で特定のフィールド競技にだけフォーカスした中継が見られたのは嬉しいなんてものではなかった。

*3:いずれ、放送局自身が独自の番組制作をあきらめ、ネットストリーミングでのリセールだけで高額な放映料を取り返しに行く、という時代もそう遠くないうちに訪れるのではないかと自分は確信している。

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「球技」の難しさ

2週目に突入したパリ五輪だが、週末からこの週明けにかけて、こと「球技」に関しては日本勢にとって全く良いニュースがない展開だった。

どの競技も「対戦型」だから、どうしてもグループリーグの組み分けやトーナメントの組み合わせに勝ち上がりが左右されることになるし、それに恵まれなかった結果、早々に敗退する結果となったからといって、”無様”という罵声を浴びせるのはちょっと違う。

特に、サッカーに関しては、個人的に「五輪代表史上最強」では?と思っていて、実際グループリーグでは危なげなく3連勝した男子U23チームが、トーナメント初戦でU23スペインと対戦することになってしまったのは悲劇としか言いようがなかったし*1、女子代表もトーナメント初戦の相手が米国で、あれだけ善戦しても最後の最後で…という展開だったから、責められるような要素は一ミリもないだろう。

ただ、これだけ個人種目で日本勢の躍進が続いている中で、「選手団」としては大規模でコストもかかる球技系団体競技で”結果”が出ないと、風当りも厳しくなるだろうことは容易に想像は付く。

ましてや、バレーボールやバスケット、さらにはよりマイナーなハンドボールやホッケーのように、「ここでアピールせずしていつするよ?」という競技が前評判に応えられなかったり、(どんなに惜しい試合があっても)1勝も挙げられずに敗退するようなことになってしまうと、”ポストTOKYO”の負のサイクルがますます加速するような気がして・・・*2

選手も含め、競技にかかわるメンバーが非常に多いだけに、地元開催の五輪や国際大会とアウェーの地での戦いとでは勝手が異なる、というのは理解できるのだけれど、地元開催の五輪などもうあと何十年も回ってくることはないだろう、というこの状況で、どうやって「日本代表」としての競技活動を持続していくか、ということがこれから問われていくことになるのだろう、と思うところである。

*1:加えて、試合展開としても前半40分の細谷選手のゴールがVARでオフサイド判定になっていなければ・・・という本当に惜しまれる展開ではあった。

*2:せめて男子バレーボールチームくらいは五輪後の「進化」を証明してくれると信じていたのだが、グループリーグでの不振は目を覆うばかりだった。トーナメントでイタリアを倒していればそれも塞翁が馬、だったのだが、そこを勝ちきれなかったことも含めてこの先が気になるところである。

たぶんこの後に来るものは・・・

先週月末にかけて激しいアップダウンを繰り返したのち、木、金と派手に下げた日経平均は、リバウンドの期待もむなしく今日再び大きく下げた。
しかも4451円強、というこれまでの歴史上も例を見ない下げ幅で。

市場全体が一日で12%も下げた、となると、どんなに堅実なポートフォリオを組んでいる投資家でも無傷では済まない。
ましてや、投資初心者ともなれば・・・。

夏のボーナスから相応の額を新NISAに突っ込んで「さぁこれから・・・」と思っていた矢先に、含み益をすべて吐き出し、想像を超えた青文字の数字を見て顔が青ざめた方がいても全く不思議ではない状況ではある。

日銀の利上げ(これ自体は決してネガティブな話ではない)に端を発し、米国景気指標が発した急な危険信号が一気に投資家たちの猜疑心を増幅させた今回の「暴落」は、ほぼ世界を一周二周し、それでもなおとどまる気配がない状況だけに、”損切り”が頭をよぎる方も決して少なくないとは思うのだけれど・・・

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ブログ開設から19年。

数年前のように、「忘れていた」わけではない。

この8月4日が、ブログ開設の節目の日、ということはよくよく覚えていた。だが、その日に合わせて何を書くか迷ったまま、実際にキーボードを叩いたのは1か月も過ぎてからのことである。

このブログを書き始めた頃には、まだ”草創期”という感もあった「企業法務」の世界は、その後の様々な時代のうねりの中で大きな変容を遂げた。

その中には、法曹養成制度の改変がもたらした法律事務所側の大きな変化もあるし、人材を送り出す高等教育機関の側の変化もある。
そしてそれ以上に、年々ディフェンシブにシフトしていく企業社会の中で、「企業内法務(部門)」の立ち位置もまた間違いなく大きく変わってしまったところはあるわけで、肯定的に捉えられる要素がないとは言えない一方、手放しで評価することは到底できない現実もそこにはある。

自分自身、大組織を離れてから既に5年の時が経った。

その間、自由な立場からあるべき姿を模索し、時には組織の中に飛び込んで実践し、ということを繰り返してきてはいるが、手ごたえはあったりなかったり・・・。

NBL1269~1271号に掲載された「法務等担当者覆面座談会 2024」等に接すると、自分が一貫して抱いてきた問題意識と現実に起きていることとの間に大きなギャップがないことは確認できるのだが、一方で「では何ができるのか?」という問いにはなかなか応えきれないもどかしさもある。

本来なら、このブログこそが「そこで何とかしようともがく場」だったはずなのだが、そうでなくてもアウトプットに割ける時間が限られている今、何かを発信することもままならず、そして逡巡しているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった・・・というのが書き遅れた言い訳である。


まぁ、あれこれ考えても、何事もなるようにしかならないのだから、いちいち気に病むことではないのかもしれないが、せめて自分がやっていることだけは、良い方向に作用するものであってほしい・・・という思いを込めて出したのが、

「報われる時代が来ることを・・・」

という件の広告。そして、1年後にはもう少し何かできていればよいな、と思いつつ、節目のエントリーを残しておくことにしたい。

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