明暗。

季節がめぐるのは早い。

ついこの前、2歳馬たちが勝ち名乗りを挙げて、新しいシーズンが始まったような気がしていたのに、あっという間にカレンダーは一回りして東京優駿

新型コロナ禍の間も刻み続けられていた開催回数は、今年で遂に「第90回」に達し、自分が真剣に見始めた頃の「皇太子殿下御成婚奉祝」記念競走(第60回)*1からは実に30年の歳月が流れた。

東京は爽やかな陽気。

競馬場の馬場コンディションも良好で、晴れやかな舞台は整ったはずだった。

個人的な注目は、皐月賞までは”どんぐりの背比べ”と揶揄されてきた3歳牡馬陣の中で突如突き抜けた皐月賞馬・ソールオリエンスが二冠目も制してこの世代で不動の地位を築けるか、という一点に絞られていて、強いて対抗馬を挙げるなら、今年の最強牝馬を輩出したドゥラメンテから2週続けてクラシック戴冠馬が出るか?という視点でのドゥラエレーデ。そして古くはエアダブリンにまで遡る「勝てない青葉賞馬」のジンクスを目下絶好調の血統で跳ねのけるか?のスキルヴィング

別路線組に目を取られがちなときは概して「皐月賞」組のことを忘れていて、レース後に後悔することも一度や二度ならずあったから今回も一応警戒してはいたが、気になっていたのは皐月賞3着のファントムシーフの方で、2着だったタスティエーラは何となく軽視してしまっていた*2

だが、ゲートが開いた瞬間、思い描いていた予定調和は狂いだす。

普通にゲートを出ればハナを切るはずだったドゥラエレーデが、一歩二歩走る間もなく鞍上の坂井瑠星騎手を振り落とし、生まれたざわめきの後、先頭に立ったのは17番人気のパクスオトマニカ

決して速いペースの逃げではないのに、牽制し過ぎたのか後続の馬たちは大きく離され、4コーナーを回ってもまだ逃げ馬の独り舞台。

さすがに最後の直線は上がり33秒台の攻防となり、中団に付けていた馬たちが瞬く間に逃げ馬を飲み込んでゴールに殺到したが、こういう展開だと少しでも前にいた馬の方が当然強い。

皐月賞に比べれば遥かに好位でレースをしていたソールオリエンス&横山武史騎手が必死に追っても、一歩先に抜け出した馬との距離はなかなか縮まらず、4頭がもつれたままゴールに飛び込む。

そして、気が付けば、勝ったのは一歩前に出たタスティエーラだった。

「2分25秒2」という10年遡ってもレイデオロの次に遅い勝ちタイムが優勝馬に有利に働いたのは事実で、タイムだけで前週のオークスと比べてしまうとこの日の優勝馬は前週の上位8頭にも及ばない。

それでも勝てば「ダービー馬」の称号を得られるのがこのレースなわけで、「勝つための競馬」に徹し、様々な幸運まで引き寄せたタスティエーラは、間違いなくこの日の主役にふさわしかった。

もちろん「明」の後ろには「暗」もある。

1番人気、2番人気と主役を揃えながらも産駒初のダービー制覇が夢と消えたキタサンブラック。しかも先頭を譲った相手の父は「同期」のサトノクラウン・・・。

2015年の春まで遡れば、皐月賞で主役だったのは3連勝で大舞台に挑んだサトノクラウンの方で、キタサンブラックは3着に入っても決して”主役”の顔ではなかったし、ダービーでは3着に入ったサトノクラウンがきっちりキタサンブラックに”逆襲”している*3のだが、その後の古馬時代に目を移すと、かたや18億円ホース、もう一方は国内GⅠわずか1勝のみの「普通のGⅠ馬」。

それでも種牡馬としては、キタサンブラックが順当にダービーサイアーになる、というわけにはいかなかった*4

騎手で言えば、落馬した坂井騎手はもちろん、結果的に仕掛けが遅れ、またしても同タイムでダービージョッキーの座を逃した横山武史騎手もこの日に限っては「暗」の側に落ちたというほかない。


そして何よりも悲しかった出来事・・・。

*1:今でも時々”名勝負”として音声が流れるウイニングチケットのダービーである。

*2:父・サトノクラウン、という血統が上がり勝負になりがちなダービーには明らかに不向きだろう、という”推理”もあったが、それ以上にこの馬の“地味感”(血統的にも戦績的にも)はダービーの舞台には相応しくない、と勝手に思い込んでいたところはあった。

*3:もちろん、どちらのレースも勝ったドゥラメンテが当時の最強馬だったことは疑いようもないのだが。

*4:これまでしばらく「ディープインパクト産駒」が独占していたダービーサイアーに風穴を開け、一時期一世を風靡したエピファネイアも、現役時代はサトノクラウンよりもはるかに華々しく活躍していたドゥラメンテよりも先に種牡馬としてのタイトルを奪った、というところにサトノクラウンのすさまじいポテンシャルを感じたのは自分だけだろうか。

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最後の審判が下される日は来るのだろうか?

金曜日の午後、知財クラスタを俄かにざわめかせたドワンゴ対FC2の知財高裁大合議判決。

本来であればすぐさま反応すべきところだったのだろうが、自分はそれを横目で見ながら土曜日にゆっくりと朝刊を開き、ようやく事の概略を知った次第。

「動画配信サービス「ニコニコ動画」を手掛けるドワンゴが、動画にコメントを流す特許を侵害されたとして米FC2などに配信差し止めと10億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が26日、知財高裁の大合議(裁判長・大鷹一郎所長)であった。大鷹裁判長は請求を棄却した一審判決を変更して特許侵害を認め、FC2側に配信差し止めと約1100万円の賠償を命じた。」
「日本の特許権は「適用範囲を登録した国の中に限ること」(属地主義)を原則とする。グローバル化とIT(情報技術)化が進む中、サーバーを海外に置いて原則から逃れる「抜け道」を塞いだ司法判断といえる。同種判決は2例目で、今回新たに日本の特許権が及ぶ範囲について、ネット時代に適応した判断の枠組みが示された。」
「訴訟はネットを通じて国境を越えて特許技術が使われた場合、日本で登録された特許の侵害を問えるかが争点。ドワンゴが2019年に提訴したが、22年の一審・東京地裁判決は、サーバーが海外にあるとして特許侵害を認めなかった。これに対し26日の大合議判決は、行為の具体的な態様▽日本国内にある構成要素が果たす機能や役割▽発明による効果が得られる場所▽特許権者の経済的利益への影響――などを総合考慮し、国内で行われたとみなせれば、日本の特許権が及ぶとの基準を示した。その上でFC2のサービス提供について「娯楽性の向上という発明の効果が国内で生じ、ドワンゴ側の経済的利益に影響を及ぼしうる」などとして「国内で行われたとみることができる」と結論付けた。」
日本経済新聞2023年5月27日付朝刊第38面、強調筆者、以下同じ)

この事件の第一審はこのブログでも取り上げたことがあって*1、その時は度重なる分割出願で被告システムを「本件発明の技術的範囲に属するものと認められる」というところまで追い込んだ原告側の執念に敬意を表しつつも、それまで裁判所が採用していた厳格な属地主義の原則の前では、このケースで勝つのは難しいのかなぁ・・・というのが率直な感想だった。

ところがそのエントリーを書いた翌月、同じ当事者間の類似発明をめぐって争われた知財高判令和4年7月20日(平成30年(ネ)10077号)で、「本件配信は、その一部に日本国の領域外で行われる部分があるとしても、これを実質的かつ全体的に考察すれば、日本国の領域内で行われたものと評価するのが相当である」 として、ドワンゴ側を逆転勝訴させた判決が出て一気に流れが変わった。

さらに前記第一審の控訴後、知財高裁が「サーバと複数の端末装置とを構成要素とする「システム」の発明において、当該サーバが日本国外で作り出され、存在する場合、発明の実施行為である「生産」(特許法2条3項1号)に該当し得ると考えるべきか」といったお題について特許法105条の2の11の「第三者意見募集」を初めて実施した上で大合議に回付して審理を行った、という報に接した時点で、今回のような結論になることは大方予想できていたともいえる。

なので、「ドワンゴ逆転勝訴」という結論自体には、自分も全く違和感はなかったのだが、気になるのはその結論を導いたロジックである。

世の中には尊敬すべき方がいるもので、自分などは、冒頭の記事を見た後に最高裁のウェブサイトに行き、まだ判決文がアップされていない、ということに安心して、1ヶ月後くらいに出るだろうからそれまでは・・・と悠長なことを考えてしまったのだが、その間に知財高裁ウェブサイトの判決要旨*2に基づくブログの立派な解説記事が一本書かれていた。

patent-law.hatenablog.com

こうなると、もはや自分なんぞが判決そのものをあれこれ論じても意味ないなぁ、と思ってしまうのであるが・・・

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権利侵害申告も簡単にはできない時代。

昔から同じように提供されているサービスでも、時代が経つにつれて運用がいつのまにか変わっていることもある。

昨年出されたYouTube著作権侵害通知をめぐる損害賠償請求事件の判決*1に接した時もちょっとした衝撃を受けたものだが*2、今度はAmazonのサイトをめぐってより衝撃的な判決に接した。

「アマゾンサイト上で販売されている商品等に知的財産権を侵害する内容が含まれている場合、当該知的財産権の権利所有者が、アマゾンに対し、権利侵害の申告をすることができる。」

という権利侵害申告の運用が争われたこの事件、以下、簡単に紹介しておくことにしたい。

大阪地判令和5年5月11日(令和3年(ワ)11472号)*3

原告:ANSON株式会社
被告:P1

原告は「韓流BANK」の屋号の韓国の芸能人に係る商品等を販売している会社、被告はアマゾンサイト上に開設している仮想店舗において、「P1」の屋号を用いて、韓国の芸能人に係る商品等を販売している者、ということで、判決の中にもパク・ソジュンとかBTSといった固有名詞が出てくるのだが、事は、「被告が、令和3年7月初旬頃、アマゾンに対し、被告サイトの商品ページと原告サイトの商品ページが重複している旨並びに原告サイトにおいて被告サイト上の商品画像、商品名及び商品の説明文が盗用されている旨を申告した」(PDF14頁)ことに端を発している。

被告はアマゾン側に誘導されて侵害通知用のオンラインフォームから何度かに分けて原告サイトを「著作権侵害」として通知、アマゾンもこれに応じて7月17日から10月25日までの101日間原告の出品を停止した。

これに対し、原告は被告に申告の根拠を問い合わせるメールや、取り下げを求める内容証明郵便を送付したが、被告は申告を継続し、その結果、損害を被った原告が不正競争防止法2条1項21号(虚偽告知)ないし不法行為に基づく損害賠償請求を行ったのが本件訴訟、ということになる。

原告と被告はいわば競合事業者であるが、本件以前に何らかの因縁があった、というようなことは判決文には全く出てこない。そして、原告から何を言われても被告がかなり強い姿勢で申告を重ねたところを見ると、原告サイトに掲載されている画像等は一見すると被告サイトのそれに相当似たものであったのだろう、ということが伺える。

そしてより驚くべきは、Amazon側の対応の早さ。前記出品停止期間がそのとおりだとすれば、被告の最初の申告からほどなくして原告は出品停止を余儀なくされているし、その後の被告からの問い合わせへのリアクションも早い。

かつてネットショッピング系プラットフォームの有象無象の出品に、どれだけ対応を依頼してもリアクションの遅さと”塩対応”に苦い思いをさせられてきた者としては、これを見て「時代は変わったなぁ」と思うところはあるし、当時の感覚からすれば、「これだけAmazon側が動くのなら、申告の筋も悪くなかったのだろう」とどうしても思ってしまう。

だが、大阪地裁は以下のとおり、被告の一連の対応を徹底的に断罪した。

まず、被告の「著作権侵害」という申告理由については、

「被告各画像のうち、写真集又は卓上カレンダーに係る画像である被告画像1、2及び4ないし10は、販売する商品がどのようなものかを紹介するために、平面的な商品を、できるだけ忠実に再現することを目的として正面から撮影された商品全体の画像である。被告は、商品の状態が視覚的に伝わるようほぼ真上から撮影し、商品の状態を的確に伝え、需要者の購買意欲を促進するという観点から被告が独自に工夫を凝らしているなどと主張するが、具体的なその工夫の痕跡は看取できない上、撮影の結果として当該各画像に表現されているものは、写真集等という本件各商品の性質や、正確に商品の態様を購入希望者に伝達するという役割に照らして、商品の写真自体(ないしそれ自体は別途著作物である写真集のコンテンツとしての写真)をより忠実に反映・再現したものにすぎない。 」
「単語帳に係る画像である被告画像3は、前記同様に商品をできるだけ忠実に再現することを目的として正面から撮影された商品全体を撮影した平面的な画像2点と、扇型に広げた商品の画像1点を配置したものであり、当該配置・構図・カメラアングル等は同種の商品を紹介する画像としてありふれたものであるといえ、被告独自のものとはいえない。」(PDF18頁、強調筆者、以下同じ)

として、被告各画像の著作物性を否定。さらに商品名や説明文についても著作物性を否定する説示をして被告の申告の法的根拠を完全に否定した。

さらに、被告側の証拠保全&提出が十分ではなかったのか、

「原告が、アマゾンから出品停止の連絡を受けた後、被告に対して2度にわたり原告サイトについて著作権侵害と判断した理由等を尋ねる旨のメールを送信するとともに、原告訴訟代理人に委任の上で本件通知書を送付していること、本件通知書には、原告を含む競業他社が同一商品を独自に撮影した商品写真を使用する場合には被告商標を付さない限り被告の商標権を侵害しない旨記載されていること(略)、少なくとも本件商品2、6及び8ないし10の商品名は原告サイトと被告サイトとで異なること(略)、そのほか原告各画像が被告各画像それ自体であることを的確に示す証拠が存しないこと等の事情に照らせば、原告が原告サイトに掲載していた原告各画像は、被告各画像を盗用したものではなかったと認めるのが相当である。」(PDF19頁)

として、原告が被告の画像を使用していた事実までをも否定し、被告が自らの対応の正当性の根拠としようとした「アマゾンの対応」については、

アマゾンにおいて権利侵害申告がどのように処理されているかは不明であって、前記認定を左右しない。」(PDF20頁)

と ばっさり切り捨てたのである。

かくして、被告の申告行為は不競法2条1項21号に該当する行為とされ、少なくとも過失は認められるとして原告の損害賠償請求権は認められることと相成った。

一連の判示のうち、「画像の著作権侵害」については、「著作物性」をあっさり否定する判断がスタンダードかどうかはともかく、商品写真の場合、被写体の同一性や構図が似ている、というだけでは侵害が肯定されにくいのは確かであり、被告側が「盗用」(デッドコピー)の事実すら立証できなかった本件では、被告側に苦しい展開となったのはやむを得ない面もある。

ただ、だからといって、殊更に明確な”加害意思”が顕出しているわけでもなく、かつ「それにプラットフォーム側が対応した」ことも「出品停止」の事態に大いに寄与している本件において、「申告」=「虚偽告知」として請求があっさり認められるとは・・・。

もちろん不競法2条1項21号該当性は、侵害警告に使った特許が事後的に無効とされたような場合にも認められるものだから、元よりそこまでハードルが高い話ではない、と言えばそれまでなのだが、取引先に対してダイレクトに告知した場合とは異なり、一定の意思をもって判断する(はずの)プラットフォームに対しての告知までこんなに緩く「不正競争行為」と認められてしまうのだとすると、申告の心理的ハードルは相当高くなる。

被告も当然、そういった要素を織り交ぜた反論をしていたようだが、以下のとおり裁判所の受け入れるところとはならなかった。

「被告は、権利行使の一貫として本件各申告を行い、やむを得ず著作権侵害という選択肢を選んだにすぎないこと、著作物性の判断を正確に行った上で申告することが求められるとすれば権利行使を不必要に萎縮させる等と主張するが、被告に本件各商品に関する知的所有権がないことは自明である上、原告からの問合せに対応することなく本件各申告を続けたとの事実関係のもとでは、採用の限りでない。 」(PDF20頁)

原告の請求が認められたといっても、金額としては「5万2492円(+遅延損害金)」という微々たる額にすぎないから(請求は73万4620円)、”萎縮効果”というのは大げさであるようにも思えてしまうが、通常の申告者であれば、相手から逆ギレされて訴訟に持ち込まれること自体に脅えざるを得ない*4

それが良いことなのかどうなのか、プラットフォーマー側の姿勢も変わる中でこの辺のバランスをどの辺に置くべきなのか、等々、いろいろと考えさせられる事件ではあるが、高裁での判断という続きもあることを期待して、ここはひとまず問題提起だけにとどめておくことにしたい*5

*1:阪高判令和4年10月14日、 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/484/091484_hanrei.pdf

*2:感想は以下のエントリーを参照のこと。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*3:第26民事部・松阿彌隆裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/082/092082_hanrei.pdf

*4:しかも本件では当初の請求額が300万円弱という数字だったようだから、結果的に小さい数字に収まったとはいえ、最初の段階では訴えられた側がかなりのプレッシャーを受けることになる。

*5:なお、商標権侵害に基づく権利侵害申告を行った被告の行為が虚偽告知に該当するとして差し止めと損害賠償が認められた事例として、東京地判令和2年7月10日(COMAX)(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/629/089629_hanrei.pdf)があるが、本件はその事例以上に申告者側での判断が難しかった事例ではなかったのかな、と個人的には思っている。

応用美術の著作権をめぐる議論への更なる一石。

今週が学会ウィークだから・・・というわけではないが、再び著作権関係のネタを。

単なる偶然だとは思うが、「応用美術」の著作権が争われた事件の判決は春に出ることが多い。

それまでの常識を覆したかに思われた「TRIPP TRAPP」の知財高裁判決が出たのは8年前の4月*1

だがその後も世の中は変わりそうで変わらず、その6年後の4月には、かなり微妙な事例だった「タコ滑り台」をめぐる著作権侵害訴訟でも請求を棄却する判決が出た*2

そしてさらにその2年後の2023年4月、「応用美術」をめぐって、新たに「大阪発」のちょっと物議を醸しそうな判決が出されている。

強引にタイトルを付けるなら”布団の薔薇事件”とでも言ってよさそうなこの事件の判決を以下ご紹介することにしたい。

大阪地判令和5年4月27日(令和4年(ネ)745号)*3

控訴人(一審原告):藤田株式会社
被控訴人(一審被告):株式会社ダイユーエイト、株式会社アレンザ・ジャパン

控訴人は布団の製造・販売を行う会社で、被控訴人は東北地方に展開するホームセンターとその仕入先だが、被控訴人ダイユーエイトがPB商品として販売した寝具(敷布団等)の図柄が、控訴人が著作権を主張する図柄と類似していたために争われたのがこの事件である。

判決に添付された画像を見ると、控訴人・被控訴人のいずれの図柄も「花柄」と「ダマスク模様」からなり、見れば見るほど両者の雰囲気は良く似ている。

だからこそ控訴人は「本件はデッドコピーの事案」であるとして(PDF9頁)、一審(大津地裁)からこの控訴審まで譲らずに戦ってきたのだろう。

これに対し、被控訴人側は、本件図柄が「実用品である布団の絵柄」である、ということを前面に出して争った。

布団は、人が睡眠時に長時間使用するものであるために、汗等の体液や皮脂が付着することが不可避で、かつ、一般家庭で日常的に洗濯できるような形状、大きさ、素材ではないことから、汗染みや皮脂汚れが目立たないような絵柄であることも、重要な実用的機能の一つである。このように、布団の絵柄も、布団の実用的機能の重要な一端を担っているのであって、布団の絵柄と実用的機能とは分離できるものではない。また、布団は日常使用する実用品であって、その柄を絵画のように鑑賞するものでなく、そもそも通常、布団にはシーツ、布団カバーなどをかけて使用するのであるから、布団の柄がユーザーの美的感覚に働きかけることはない。したがって、本件絵柄が、実用的機能を離れて美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているとはいえない。」(PDF10頁、強調筆者、以下同じ)

という被控訴人側の主張は、これまでの「美術工芸品」的な応用美術に関する主張と比べると、若干異彩を放っていて、半ば強引な論旨のように読めるところもなくはないが、デザインだけを見れば極めてよく似ているものである以上、反撃の打ち手としてはまさにこれしかない、という事案だったのも確かである。

かくして、「応用美術」の著作権に関してまた新たな一ページを付け加えることとなったこの事件。

裁判所が下した結論は、他の多くの事例(&本件原審)と同様に著作権侵害を否定するものとなったのだが、注目すべきはその理由で、特に「実用品に用いられるデザイン」の著作物性に関する以下の判旨は見所十分なものだった。

著作権法2条1項1号は、「著作物」とは「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」と規定し、同法10条1項4号は、同法にいう著作物の例示として、「絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物」を規定し、同法2条2項は、「この法律にいう『美術の著作物』には、美術工芸品を含むものとする」と規定している。ここにいう「美術工芸品」は例示と解され、美術工芸品以外のいわゆる応用美術が、著作物として保護されるか否かは著作権法の文言上明らかでないが、同法が、「文化の発展に寄与すること」を目的とし(同法1条)、著作権につき審査も登録も要することなく長期間の保護を与えているのに対し(同法51条)、産業上利用することができる意匠については、「産業の発達に寄与すること」を目的とする意匠法(同法1条)において、出願、審査を経て登録を受けることで、意匠権として著作権に比して短期間の保護が与えられるにとどまること(同法6条、16条、20条1項、21条)からすると、産業上利用することができる意匠、すなわち、実用品に用いられるデザインについては、その創作的表現が、実用品としての産業上の利用を離れて、独立に美的鑑賞の対象となる美的特性を備えていない限り、著作権法が保護を予定している対象ではなく、同法2条1項1号の「美術の著作物」に当たらないというべきである。そして、ここで実用品としての産業上の利用を離れて、独立に美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているといえるためには、当該実用品における創作的表現が、少なくとも実用目的のために制約されていることが明らかなものであってはならないというべきである。 これに対し、控訴人は、著作権法と意匠法による保護が重複することについて何ら調整の必要がないとする前提で著作権法による保護を求めていると解されるが、両法制度の相違に鑑みれば、両法制度で重複的に保護される範囲には自ずと限界があり、美術の著作物として保護されるためには、上記のとおりの要件が必要であるというべきである。実用品における創作的表現につき、無限定に著作権法上の保護を及ぼそうとする控訴人の主張は、現行の法体系に照らし、著作権法が想定しているところを超えてまで保護の対象を広げようとするものであって採用することはできない。 」(PDF14~15頁)

かつて「TRIPP TRAPP」の知財高裁判決で著作権法と意匠法とは,趣旨,目的を異にするものであり(著作権法1条,意匠法1条),いずれか一方のみが排他的又は優先的に適用され,他方の適用を不可能又は劣後とするという関係は,明文上認められず,そのように解し得る合理的根拠も見出し難い。」「応用美術につき,意匠法によって保護され得ることを根拠として,著作物としての認定を格別厳格にすべき合理的理由は,見出し難いというべきである。」として、「重複適用」の可能性が認められてからまだ10年経っていないというのに、ここで現れたのは「重複的に保護される範囲には自ずから限界がある」というところから導かれる古典的な説示だった。

そして、「本件絵柄における創作的表現は、その細部を区々に見る限りにおいて、美的表現を追求した作者の個性が表れていることを否定できない」(PDF16頁)ということは述べつつも、「衣料製品(工業製品)に用いる大きな絵柄模様とするための工夫」がされていることや、「花の絵柄とアラベスク模様を交互につなぎ、背景にダマスク模様を淡く描く」という特徴を「このような衣料製15 品(工業製品)に付すための一般的な絵柄模様の方式に従ったものであって、その域を超えるものではないと評価することで、「全体的に見れば、衣料製品(工業製品)の絵柄に用いるという実用目的によって制約されていることがむしろ明らかである」とし、

「実用品である衣料製品としての産業上の利用を離れて、独立に美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているとはいえない。」

ことから、「本件絵柄は、「美術の著作物」に当たるとはいえず、著作物性を認めることはできない」という結論を導いたのである。

実用目的による機能上の制約がデザインとも直結する製品とは異なり、本件の「衣料製品」の「実用目的」と「デザイン」との結びつきは決して明確に説明しきれるものとは言い難い。

だがそれでも、「実用目的による制約」に触れながら、裁判所が控訴人の訴えを退けたことをどう考えるか。

”この先”を占うにはちょうど良い面白い事案だっただけに、今後も、他事件での”追随”の可能性も含めて見守っていきたいと思っている。

*1:当時の興奮を生々しく描いたのが↓のエントリーである。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:k-houmu-sensi2005.hatenablog.comその後、高裁ではやや著作物性を認めやすい方向に論旨が傾いたものの、結論は変わらないままこの事件は終わった。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*3:第8民事部・森崎英二裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/073/092073_hanrei.pdf

何をいまさら・・・な「見解」に思う

ここしばらく「生成AI」という言葉を目にしない日はない気がする。

ChatGPTが付けた火は、瞬く間に世界中に広がって燃え上がり、遂にG7の舞台まで浸食するに至った。

確かに「もっともらしい文章(的な)表現」をする機能に関して言えば真新しさはあるが、アウトプットの質という点に関して言えばこれまでのものと比べても決して優れているとはいえないし、そもそも世の中の目に見えない裏側ではもう何年も前からChatGPTより遥かに高度な処理能力を持つAIが稼働しているというのに、そういうファクトに目を向ける人は多くない。

そして、米欧で話題になったのにかこつけてこの国にも議論を持ち込む人が現れ、そこに”これぞ商機”と群がる人々が殺到する、という光景は、これまで見てきた他の様々な舶来系の話題とも共通するところが多く、あまりにしつこくこの話題が繰り返されるがために、食傷気味になっている人も決して少なくはないはずだ。

自分もそんな状況だったから、先週17日、よりによって一般社団法人日本新聞協会 が出した「生成AIによる報道コンテンツ利用をめぐる見解 」*1を見た時は、これはまた随分と振りかぶったものだなぁ・・・ともう苦笑いするしかなかった。

「「生成AI」と呼ばれる人工知能(Artificial Intelligence)技術の急速な発展により、社会の様々な面で利便性の向上が期待されている。一方、他人の著作物等をAIが無断利用したり、AIを不適切な形で使ったりする“負の影響”も広がっている。AI技術の進歩に法律や社会制度が追いついておらず、AI開発会社の情報開示も限定的だ。民主主義を下支えする健全な言論空間を守る観点から課題が生じており、報道関連分野における懸念について当協会の意見を述べる。 」(見解1頁、強調筆者、以下同じ)。

制度に不十分な面があることは確かで、不適切な利用事例も当然どこかでは出てくるだろうが、「健全な言論空間」云々まで言ってしまうのはいささかやり過ぎだと思うし、何よりこのリードのちょっと後に出てくる以下の記述を見ると、大丈夫かな・・・と心配になる。

「日本では、2018年の著作権法改正によりAI等の開発過程で既存の著作物を無許諾で収集・利用することが原則として合法になった(法第30条の4)。欧州のように商用利用の制限やオプトアウトが設けられなかったのは、法改正時に、技術開発のための利用は著作物を人が知覚を通じて享受するものではなく、したがって権利者の対価回収の機会を損なう利用には当たらないと整理されたからだ。権利者の利益を害さない以上、オプトアウトなど権利者保護は不要とみなされた。 しかし、当時、生成AIのような高度なAIの負の影響が十分に想定されていたわけではない。立法過程で強調されたのは、日本発のイノベーションを促すための法改正、具体的には日本版検索エンジンの開発だった。AIへの言及は限定的で、AIが新たな表現物を生成して権利者を脅かす恐れのあることが政府から示されたことはなかった。権利者側も技術開発のための著作物利用が問題になるとは思わず、このため国会で大きな議論とならないまま、AI開発を優遇する法改正が実現した。 」(見解2頁)

確かに2018年著作権改正は、それまで長年くすぶっていたイノベーション著作権」という問題に一つの解を示した、という点でエポックメイキングなものではあった*2

そしてそれによって生まれた(新)法30条の4の規定が、日本を『機械学習パラダイス』を呼ぶことができるくらい画期的な柔軟さを備えた規定、と評されていることも否定しない*3

だが、先に取り上げた「見解」が批判する「AI等の開発過程で既存の著作物を無許諾で収集・利用」する行為に関して言えば、この2018年改正のさらに昔、平成21年(2009年)改正の時点で「情報解析のための複製等」(当時の法47条の7)として既に権利制限の対象となっており*4、2018年改正で30条の4に明記された「非享受利用」の概念も、それまで何ら異論なく受け入れられてきた(旧)30条の4や47条の7のエッセンスを集約したものに過ぎないのだから、「2018年改正が・・・」と批判するのは明らかにお門違い。

それでもなお2018年改正を攻撃するのであれば、「電子計算機による情報処理及びその結果の提供に付随する軽微利用等」まで権利制限の対象とした法47条の5をターゲットにしなければならないはずだが、この規定は、

「当該各号に掲げる行為の目的上必要と認められる限度において、当該行為に付随して、いずれの方法によるかを問わず、利用(当該公衆提供等著作物のうちその利用に供される部分の占める割合、その利用に供される部分の量、その利用に供される際の表示の精度その他の要素に照らし軽微なものに限る。以下この条において「軽微利用」という。)を行うことができる。」

という限定がされた上で、さらに

「ただし、当該公衆提供等著作物に係る公衆への提供等が著作権を侵害するものであること(国外で行われた公衆への提供等にあつては、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものであること)を知りながら当該軽微利用を行う場合その他当該公衆提供等著作物の種類及び用途並びに当該軽微利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。

というただし書きまで付されているから、新聞協会が懸念するような「権利者を脅かす」ほどの表現物をAIが生成するような場合にまで適用されることはまず考えにくい

要するに、今の著作権法の権利制限規定は、これまでの度重なる議論を経てできあがったもので、しかも「電子計算機による情報処理」の結果、権利者を脅かすような一定のアウトプットが出てくることまで想定して、権利者・利用者双方のバランスに考慮した内容で条文化されたものなのである*5

そのような繊細なバランスの上に成り立っている規定を、ChatGPTの”影”に怯えた結果生じたヒステリックな叫びで簡単に壊して良いはずがないのであって、前記「見解」の起案者に求めるべきは、”猛省” ただそれだけである。

そして、それまで、どちらかと言えば「賛意」ないし「無関心」で一連の権利制限の動きに接してきたメディアが、足元にちょっと火の粉が飛んできただけで慌てふためいて逆の”世論”を作ろうと躍起になっている姿を見ると、

やっぱりガチの『米国型フェアユース』規定になっていなくてよかった

と心の底から思わずにはいられないのである*6

*1:https://www.pressnet.or.jp/statement/20230517.pdf

*2:その背景に知財戦略本部から文化審議会著作権分科会小委に至るまでの激しい議論があり、あの改正案は、関係者が知恵を寄せ集めた末にできあがった「知の結晶」であるということも、ここで改めて書き残しておく。

*3:この点については以下のエントリーで引用した上野達弘教授のコメントを参照されたい。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*4:https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/h21_hokaisei/pdf/21_houkaisei_horitsu_gaiyou.pdf6頁参照。なお、この規定ができるまでは、厳密には情報解析のための著作物の利用は「著作権侵害」になりうる余地もあったのだが、自分が知る限り、現場の技術者の多くはそんなことは気にも留めずに著作物を機械に読ませていたし、そのことにより著作権者との間で紛争が生じたという話も寡聞にして聞くことは皆無だった。

*5:当時の国会ではさほど話題にならなかったのかもしれないが、学識者の間では当然AIの”進化”やそれに伴う様々な問題の登場も念頭に置いた上で議論を進めていたはずだし、当時の状況を象徴するものとしてそれは目の前に迫る問題か? それとも頭の体操か? ~「AIと著作権」をめぐって - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のようなエントリーもある。

*6:今、米国でどういう動きになっているかまでは十分把握できていないのだが、この国でも判断基底に世の中のその時々の価値判断が取り込まれがちな「フェアユース」規定だけで目下の状況を乗り切ろうとしていたならば、下級審レベルで思わぬ判断が出て予測可能性が著しく害されたり、それ以前に強烈な萎縮効果が働いて開発にブレーキがかかることは覚悟しなければならなかったような気がしている。↓で引用したようなやり取りも今となっては非常に懐かしい。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

「もったいない」という言葉が何よりもふさわしかった快勝劇。

単勝1.4倍、断然の一番人気を背負っていた馬だから、これも走り出す前から予想できた結末、と言えばそれまで。

ただ、第84回オークスリバティアイランドが見せた走りは、あらゆる想定を超えて見る者を圧倒した。

逃げると目されたゴールデンハインドを抑えて、内からライトクオンタムとキミノナハマリア、外からはイングランドアイズが我先にと先手を奪いに行った序盤。

入りのタイムだけ見れば例年同様の標準ペースだが、前がごちゃ付き気味になったこともあって馬群がばらけたところで、川田騎手が手綱を取る大本命馬はすかさず好位に付ける。

やがて展開が落ち着き、規則正しく1ハロン12秒0のラップを刻むようになっても、この大本命馬は全く折り合いを欠くこともなく、勝利への道を淡々と進む。

そして4コーナーを回って直線に向くところで、川田騎手は迷わずリスクの小さい進路を取って愛馬を外に出し、その後は何らさえぎるもののない最後の直線をただひたすら突き進むのみ。

最内を走っていたライトクオンタムを交わしてからは、誰も影を踏むことすらできないような次元の異なる末脚で後続を突き放す一方で、残り数百メートルの時点で勝負の行方はほぼ決した。

終わってみれば、あれよあれよの6馬身差

タイムは4年前のラヴズオンリーユーにわずかに及ばなかったものの過去10年で2番目の好時計だったし、何よりも自分より前のポジションにいた馬たちがほぼ例外なく潰れて失速していく中で*1、上がり最速のタイムで突き放した、ということがこの馬の並々ならぬ能力を感じさせた。

レース後の川田騎手のインタビューも、事前にアピールしていた「ゲートが開くまであと2秒我慢して」という自らのお願いをしっかり守ってくれたファンにわざわざ感謝の言葉を述べられるくらい余裕のある受け答え。

それくらいリバティアイランド、という馬は強かった。

2着に付けた着差は実に「6馬身」

これまでの自分の記憶の中では、「圧勝」のイメージが強かった97年のメジロドーベルでも2着との差は2.5馬身差*2で、報道によると48年前のテスコガビーまで遡る圧勝劇だった、というのだから、まさにオークスの歴史に残る勝ち方だった、ということになる。

ただ、自分はそんなことよりも、この馬が常識どおりこの牝馬限定戦を走ったことで、未だ「牝馬二冠」にとどまっている、ということの方が残念でならないわけで、無事夏を越した後、牝馬」という固定観念から解き放たれて更なる高みへと昇る日が来ることが今は待ち遠しくて仕方ない。

そしてもう一つ、距離が伸びてより強みが出る、と期待されていたコナコーストやヒップホップソウル、といったキタサンブラック産駒*3ではなく、僅か2頭しか出ていなかったドゥラメンテ産駒が1着、3着を奪い取った、というところに来週のレースを占うヒントが隠されているような気がしていて、リバティアイランド陣営の”常識”に助けられた今年の3歳牡馬たちが、もう一つの東京芝2400mのGⅠレースでどういう序列付けを示すのか、ということは注目してみておきたいと思っている*4

*1:唯一、この馬に土を付けた経験があるラヴェルが4着に残っただけだった。

*2:映像を改めて見直すと、2着のナナヨーウイングが結構粘っていた。その後ろは3馬身開いているのでまさに今年のレースくらいのちぎり方ではあったのだが・・・。

*3:人気薄のラヴェルが激しい先行争いにも負けずに粘りこんだのはさすがだったがそれでも4着まで。

*4:普通に考えれば1番人気は皐月賞を制したキタサンブラック産駒だろうけど、UAE帰りのGⅠ馬に毎日杯馬、という来週のドゥラメンテ産駒2頭の走りは実に気になるところである。

久々の「日経平均30,000円台」に思うこと。

「バフェット効果」とか「消去法」とかいろいろ言われているけれど、世界経済のトレンドが決して良い方向に向かっていないように見える今、日本だけがそんなに調子良く行くわけないじゃないか・・・とシニカルな目で眺めていたのは週が始まった頃のこと。

月曜日、火曜日と順調に値を上げても「そろそろ天井だろう・・・」という感覚しかなかった。

それが週の真ん中水曜日、1年8カ月ぶりに日経平均30,000円台回復というあり得ないニュースを聞くことになってしまうとは。

この年になると何かと忘れっぽくなる。

「30,000円」という大台を前に自分の頭に浮かんでいたのは、33年くらい前のバブル。

でもよく考えたら、すぐ近くに年初に歴史の扉をこじ開ける「30,000円台回復」があり、秋口には政権交代を契機とした「再びの30,000円台」があり、もう戻ったんじゃん、ニッポン・・・という錯覚に陥った「2021年」という年があったのだった。

ということで、戸惑いしかないけれど、株価だけは上がっているのが今のこの国の状況である。

自分のことだけ言えば、1年8ヶ月前はまだ新型コロナ禍による極度の需要減退に悩まされていた内需系の株たちの値動きがここしばらく非常に良いこともあって、2021年と比較してもポートフォリオは相当に良い状態になっている。

ただ、だからと言って今投資を勧めるか、といえば、それは絶対にない。

ちょっとした材料で過敏なまでに上げ下げする初心者にはあまりにも危険な値動き。そして、いつ再び奈落の底に落ちるか分からない恐怖感。

もしかしたら、ここから先もさらに世界中の資金が流れ込んできてまだまだ右肩上がりで株価が上がり、今が「あの時買っておけば良かった」と悔やむような時代にならないとは言い切れないのだけど、「そのリスクを冒す勇気はないよな・・・」と呟きながら、連日売りも買いもできずに佇む小市民。

これが正しいことなのか、そうではないのか、今は神のみぞ知る。

覚えていれば、このエントリーも、年末に振り返って眺めてみたい・・・そんな気持ちで今はいる。

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