月初めから豪快にかっ飛ばして、朝にささやかな楽しみを与えてくれた、唐池恒二JR九州相談役の『私の履歴書』。
いよいよ終盤を迎え、何が出てくるか、と思ったところで登場したのが、観光政策に対する痛烈な「提言」だった。
「政府は「ビジットジャパン」キャンペーンなどに取り組んできたが、訪日外国人は年間500万人から800万人あたりで停滞していた。たまたまというべきか、アベノミクスが始まった13年にこの数は伸び始め15年には1970万人まで急伸した。」
「当時の観光庁は海外でのPRなど、それまでの政策が実を結んだとしていた。果たしてそうだろうか。人数増は経済成長するアジア諸国へのビザ発給要件の緩和・免除が主な要因だったのではないか。」(日本経済新聞2023年3月29日付朝刊・第48面、強調筆者、以下同じ。)
インバウンド需要が「神風」のように吹き始めた頃、順調に伸びていく訪日外国人客数を背景に、政府主導のキャンペーンや「クールジャパン」等の助成施策の成果を強調したがる人々は多かった。
だが、当時の肌感覚としても、実際のところは上記の指摘のとおりだったと思うし、政府がむやみやたらに旗を振れば振るほど失敗事例が積み重なっていく、という暗黒史はCOVID-19がこの国に襲来するずっと前から始まっていた。
そして、唐池氏の話は2015年秋から2016年春にかけて官邸主導で行われた「明日の日本を支える観光ビジョン構想会議」でのエピソードに続いていく。
「官邸の「構想会議」は2000万人ラインを突破する頃に開かれた。私は海外の実例を挙げ、「1度は行ってみたい(=1度行けば十分な)」国と、歴史と文化の厚みがあり2度、3度と行ってみたくなる国と、日本はどちらなのかと問いかけた。観光の重要な役割は経済や文化を支えることだ。外国から年間8000万人台の旅行者を受け入れる観光王国フランスでは9割がリピーター。日本のリピーター率は6割にとどまる。」
「訪日外国人の総数ばかりを追い求めず、リピーターの数やリピート率を重要視すべきだと首相らに伝えたつもりでいた。この会議の狙いが、訪日外国人の目標人数の大幅な引き上げにあるらしいと進行の端々から感じられたからだ。新規の客を求めて宣伝に力を入れるより、また訪れたいと思わせる観光資源を整える方が大事だと思われた。」
「構想会議の討議期間も間もなく終わる16年3月、事務局の観光庁から連絡のメールが来た。「各委員は訪日外国人の目標数を提言してもらいたい」。そうら来ましたよと思い、すぐ返信した。「総数を目標に入れるのもいいが、リピーターの数と率の方がもっと重要ではないか」。そのうえで人数目標は「20年に3000万人」が現実的で妥当な線ではないかと提案した。」
「しかし招集された会議の冒頭、報道陣を前にした安倍首相は「20年に4000万人、30年に6000万人」という受け入れ目標人数を宣言してしまう。」
(同上)
右肩上がりを続ける訪日外国人客数を前に政府の目標はエスカレートし、インバウンド需要目当ての過剰投資に走る企業もやたら増えるようになった。
客観的に見れば明らかに供給過剰なのに次々と発表されるホテルの新築・増設計画に免税店の市中拡大、さらに「民泊」まで大風呂敷を広げてブームに乗っかろうとしていた。
これに続いて唐池氏が批判する「クルーズ船」もしかり。かつての”団体慰安旅行”を彷彿させるような”マス営業”に持続可能性があるとは到底思えないのに、そこに飛びついた人々はあの頃確かにいた。それに輪をかけて全国各地でカジノ構想が沸き上がった時期でもある。そういえば「多くの観客が世界中から訪れる五輪」なんていう幻のイベントも迫っていた。
だが、そういった浮ついた世界観は、「新型コロナ禍」が全て吹き飛ばしてくれた。
この国を襲った最初の一波が「クルーズ船」だったのは皮肉としか言いようがないが、”神風バブル”を吹き飛ばしてフラットな世界に戻した、という点では、「3年」という時間もあながち悪いものではなかった気がする*1。
*1:新型コロナに対しては一家言ある唐池氏だけに、明日の朝刊ではまた豪快な節回しを拝めそうな気もするが・・・。