あの夏の記憶は、決して遠い日の花火ではないけれど。

歳のせいか、最近、回想エントリばかりで恐縮だが、さすがに自分も反応せざるを得なかったローカルネットニュースの記事がある。

地下鉄東西線早稲田駅前の喫茶店「コーヒーハウス・シャノアール早稲田店」が1月13日、閉店した。」
高田馬場経済新聞2020年1月14日配信記事「早稲田駅前の喫茶店シャノアール」が閉店 31年の歴史に幕、店頭でも惜しむ声」 https://takadanobaba.keizai.biz/headline/335/より)

自分のこの店の記憶は、夏の盛り、海の日の3連休の思い出にリンクしている。 

・・・と書けば、往年の関東地区の受験生だった読者の皆様にはピンと来るはず。

論文試験の1科目目が終わり、2科目目が始まるまでのちょっと長めの休憩時間に、食糧補給とつかの間の一服を兼ねて使っていたのがこの店だった。

試験会場自体は、早大本部キャンパスの奥の方だったから、ここまで来ようと思ったらそれなりに距離があるのだが、何せ、あの試験を受け始めた頃は、昼休みに校舎内の廊下が人であふれ返るくらいのブーム最高潮期だったから、キャンパスの中はどこに行っても同類ばかりだし、正門を出て少々歩いたところでまだ人波は消えない。

だったら、いっそのこと早稲田通りの方まで行ってしまえ、ということで、思い切って飛び出したのは、2度目か3度目の受験の年だっただろうか*1

もちろん、模試の時だとか、他の用事があった時などには1階の書店とともに、時々使ったことのあるカフェだったし、だからこそそこに足を運んだのだが、今あるのは、僅かな時間の中で、午後からの2科目のために気持ちを切り替えることに頭がいっぱいだったなぁ、という記憶のみ。

自分の習性(一度決めたパターンは、よほどのことがないと変えない)で、店に行った時にオーダーしたメニューは、常にトースト&アイスコーヒーだったような気がするし、毎回、周りを見回して、他に同類の受験生がいないことを確認して安堵していた、という記憶も微かに残っていたりするのだが、そこでどういうルーティンをこなしていたか、といった話になってくると、かなりおぼろげな記憶になってしまう。

答練や短答試験の前後のことは今でもそこそこ覚えているのに、あの海の日3連休のイベントに関してだけは、「会場に入ってから一日が終わって帰路につくまで」の記憶が本当に漠然としていて、それだけ無我夢中で立ち向かっていたのだろうし、それだけ熱に冒されていたということなのかもしれない。

受験回数を重ねている間に、合格者数が10分の1になる、という、後にも先にももう二度と経験することはないであろう貴重な洗礼を受けたおかげで、最後の年は、静かな、心温まる雰囲気*2の中で2日間を過ごすことができたのだが、それでも最後の日まで自分はあのカフェを使ったはずだし、そこで頭を切り替えて振り絞った最後の気力が、「あと一歩」を乗り越える幸運にもつながった。

それは、自分が過ごしてきたそこそこ長い人生の中では、ほんのちょっと前、の話でしかなかったはずなのだけど、冒頭のようなニュースに接すると、一気に遠い昔の記憶のようになってしまう*3

そして、「学生時代の思い出」が詰まった利用者とは全く別の世界でこの空間を共有した者だからこそ、”その瞬間”に立ち会えなかったことに、僅かの無念さを感じているのである。

*1:最初の受験の時は、2日間ずっと試験の間はキャンパスの中にいたのだが、周りの受験生の熱に圧倒されて何もできなかった苦い思い出しかなく、だからこそ、解放されたわずかな時間だけでもあの「熱」から離れる、というのが、翌年以降、自分に課していたミッションだった。

*2:とにかく殺伐としていた受験会場は、試験が始まるギリギリまでお子さんをあやしていた女性受験生が、サポートに来たご主人にお子さんを預けて会場に入る姿を皆が優しい目線で見守ったり、最後の科目が終わった直後にどこからともなくお互いを称える拍手が沸き上がったり、という世界に変貌を遂げていた。

*3:そういえば、いつも初日が終わった後に疲れ切った頭で立ち寄っていたカフェも、昨年閉店となってしまったのだった。

早明決勝対決が蘇らせた遠い日の記憶。

昨年のワールドカップの勢いは年が変わっても依然続いているようで、ここ数年特に苦もなく確保できていたトップリーグのチケットも、今シーズンは手に入れるのにかなり苦労する状況になっている。その4年前、W杯直後のトップリーグの試合で空席が目立って大ブーイングが起きていたことを考えると、まさに時代は変わった、というほかない。

そして、その勢いは年が変わっても全く衰えることを知らず、全国大学ラグビー選手権の決勝戦、できたばかりの新国立競技場に押し寄せた観客は実に57,345人。これまでとはスケールの違う舞台で新しい歴史が作られることになった。

物事、うまくいっている時はいろんなめぐり合わせも付いてくるわけで、今年の決勝戦当日にこれだけの観客を集めることができたのは、決勝戦のカードが明大対早大、というオールドファンが泣いて喜ぶ組み合わせになったことも大きかったはず。

平成初期のラグビーブームの時代に、秩父宮を、そして旧国立競技場を、これでもか、というくらいに沸かせた「早明」の対決。

ユニフォームの色からチームのスタイルまで全く対照的な両チームが泥臭くぶつかり合う姿は、浮ついた時代への一種のアンチテーゼのようなところもあったから、久しぶりに両校が選手権の場で対決する姿を、しかも決勝戦という舞台で見ることができる、と知れば、ここもう何年も大学生のラグビーなんて見ていなかった自分でも、やっぱりチャンネルを合わせざるを得なくなる何かが湧いてくる。

前評判が高かった明大が大量リードするような展開だとさすがに見てもな・・・と思っていたのだが、どっこい、試合の方は何と逆に早大が31-0と大量リードして前半を折り返す、という展開に。それで、「お、これはもしかしたら・・・!」と思って慌ててテレビを付けたら、今度は31点差から明大が怒涛の3連続トライ&ゴールで10点差まで詰め寄る、という恐ろしい流れになって、到底試合から目が離せなくなってしまった。

最後は、ほぼノーガードの打ち合いのような展開になって早大がダメ押しのトライ&ゴールを決め、明大も一矢報いて点差を戻したものの、その時点でほぼタイムアップ寸前。それでもなお、最後の反撃をあきらめなかったところがいかにも学生らしかったが、最後はダブルノックオンで強制終了。

早大が見事に学生王者の座に返り咲くことになったのである。

で、試合後、ニュースを聞きながら思ったのは・・・

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「プラットフォームビジネス」構造転換の足音。

いわゆるサービスプラットフォーム型ビジネスを支えてきた「個人事業主」たちを「労働者」として保護しよう、という動きが、昨年くらいから全世界で劇的に広がってきているのだが、年明け早々、本場US西海岸から、ビジネスモデルそのものに影響を与えかねないようなニュースが飛び込んできた。

「米ウーバーテクノロジーズは8日、カリフォルニア州で一部のライドシェアサービスについて料金の前払い制を廃止すると明らかにした。今後は実際の移動距離やかかった時間に基づいて降車時に価格を決定する。ネットを通じて単発の仕事を請け負う「ギグワーカー」らを保護する州法が1日に施行したのに伴う措置としており、規制の影響が表れ始めた。」
日本経済新聞2020年1月10日付朝刊・第12面、強調筆者、以下同じ。)

以前にもどこかのエントリーで書いたかもしれないが、他の配車アプリと比べた時のUberのメリットは、「予約時に価格が固定されている」という点にあった。

もちろん、どのアプリでも予約する時点で「おおよその料金」は提示されるから、日本で流しのタクシーを捕まえた時のように、降車時に「えー」と叫びたくなるような経験はしなくて済むのだが、ドライバーの側に「幅」の下限に近づけるインセンティブがない以上、Grabなどでは結果的には上限に近い料金になることも多く、そこがちょっと嫌な気分になるポイントでもあった。

だから、最初の料金できっちり確定。あとは乗って目的地に届けてもらうだけ、というUberのシステムは、非常に快適だったのだが・・・。

記事によると、

「ウーバーは自社のサービスを担う運転手について、AB5の下でも従業員には当たらないと主張。前払い制を廃止して運転手らに対する報酬額の透明性を高めるとともに、どの業務を請け負うかを運転手が選びやすくすることで、彼らが独立した事業主であることを訴える狙いとみられる。」(同上)

ということ。

「ギグワーカー」の問題は、生活にも時間にも余裕があって”ボランティア”や”小遣い稼ぎ”で仕事をできる人たちだけが「担い手」だった時代ならともかく、サービスが普及・定着し、それを生活の糧とする層が増えれば増えるほど顕在化することは分かっていた話だから*1、法律までできてしまった以上、何らかの対応をしないといけない、というのは分かる。

だが、その対応の方向性がこれか、と思うと、何とも言えない気持ちになるわけで・・・。

*1:もちろん、一部の新興国では、それでもお金がもらえるだけましという人々がそれなりにいるので、成り立っていたところはあるのだろうが、それでも何年も続けていれば当初想定していなかったアクシデントに直面することもあるし、サービスの要求水準が引き上げられたり、報酬条件が切り下げられたりすれば、当然不満は爆発する。個人的には「ギグワーク」のような形態が成り立つのは、コンサルタントとか士業のような報酬単価が高い層の仕事だけだと思っていて、報酬単価が安い単純労働型の仕事をこのスタイルで請け負わせ続けるのは、”ボランティア”レベルのニッチサービスを除けばほぼ不可能だと考えている。

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「2019年JRA賞」の大波乱が示唆する新時代の幕開け。

いつも年が変わって早々に発表される競馬界の風物詩「JRA賞」。

騎手、調教師部門は、昨年の全開催が終了した時点の成績で有無を言わさず決まるのだが*1、記者投票の結果を見るまで分からないのが、「馬」の部門。

そして今年は蓋を開けてみたら、昨年までとは大きく傾向が変わる結果となった。

年度代表馬、最優秀4歳牝馬 リスグラシュー

昨年(アーモンドアイ)に続く牝馬の受賞。宝塚記念有馬記念の両グランプリレースを制した上に、海外でも豪州コックスプレート制覇をはじめ健闘を続けていたから、この受賞は決して「意外」とまでは言えない。

ただ、過去の年度代表馬が、(GⅠタイトルはともかく)少なくとも3つ、4つは国内重賞のタイトルを持って受賞するケースが多かったことを考えると、国内重賞のタイトルが前記GⅠ2レースだけ、しかも春先の金鯱賞では2着に入って善戦、と評価されていた馬がここでタイトルをとったというのは、何だか不思議な気もする*2

そして、2008年、牝馬として約10年ぶりにウォッカがこのタイトルを受賞して以来、牝馬が「12年間で7度」と牡馬を圧倒している状況にはいろいろ考えさせられるところもある。

一方、ホントにびっくりな結果となったのが以下の部門である。

最優秀2歳牡馬 コントレイル

これまでこの部門はほぼ100%、朝日杯FS馬が受賞していたのだが、ホープフルSのGⅠ昇格3年目にして、遂に定番の公式が崩れた*3レイデオロ、サートゥルナーリアと、クラシック馬も相次いで輩出できるレースになったことが記者の固定観念を打ち崩す結果になった可能性もあるが、次点のサリオス陣営としては脱力感が半端ないだろうな、と思う*4

最優秀3歳牡馬 サートゥルナーリア

このタイトルも、基本的にはダービー馬、あるいは古馬GⅠを制覇した馬、というのがそれまでの定式だったのだが、今年は混戦の末、皐月賞一冠にとどまったサートゥルナーリアが受賞*5

最後に有馬記念で2着に食い込んだとはいえ、香港マイルを制して年間GⅠ2勝のアドマイヤマーズとの比較で、この馬が受賞に値するのかどうか、というのは疑義も残るところだろう。
アドマイヤマーズの場合、国内での負け方があまり良くなかった、という問題はあったし、昨年の最優秀2歳牡馬のタイトルを、僅差でサートゥルナーリアから奪っていたことが今回逆効果になった可能性もあるが、やはりここは「意外」というフレーズが付いてくることは避けられないような気がする。

最優秀3歳牝馬 グランアレグリア

この部門も桜花賞一冠の馬がオークス馬に競り勝って受賞。

確かに桜花賞での勝ち方は圧倒的だったし、年末に阪神カップを勝った勢いも買われたのかもしれないが、三冠レースへの出走はその一度だけ。シーズンの間、休んでいた時期も長かっただけに、”不思議”という感覚はどうしても残る。

最優秀4歳以上牡馬 ウインブライト

もしかすると、今年一番のサプライズはこの馬かもしれない。

何といっても、国内のGⅠ勝利が一つもない馬で、勝った国内重賞は中山金杯中山記念というマイナーなものだけ。その代わりに香港でGⅠ2勝しているから、海外遠征して結果が出せなかった他の馬に比べると受賞に一歩近かった、ということなのかもしれないが、春秋のマイルGⅠ制覇という偉業を成し遂げたにもかかわらず次点となってしまったインディチャンプ陣営としてはいろいろ言いたいこともあるだろう。


・・・ということで、昨年までとはガラリと傾向が異なる結果となった。

雑に総括するならば、これまでのような「このタイトルをとれば部門賞受賞」というしがらみがなくなり、さらに「海外タイトル」の重みがかなりのレベルで重視されるようになったのが今回の結果ともいえる。だとしたら、これこそが、これからJRAと競馬関係者が目指すべき方向を示すもの、といえるような気もしている。

思えば、「牝馬3冠」の価値が素直に評価され、3歳牝馬ジェンティルドンナ年度代表馬に輝いた2012年は、それまで長年下降の一途を辿っていたJRAの売上が15年ぶりにプラスに転じた、という点で、ある種のターニングポイントとなった年でもあった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

その後、JRAの売上は、それまでの低迷が嘘のように年々増加を続け、2019年まで8年連続で前年比プラスという上昇カーブを描いている*6

だから、自分は、今回の結果も、さらにもう一段上のレベルに向けた起爆剤になることを願ってやまないのである。

*1:2019年は最多勝利、最多賞金の2部門でクリストフ・ルメール騎手が受賞、川田騎手も最高勝率部門で一矢報いて気を吐いた。最優秀障害、最多勝利新人騎手部門から、安田隆行中内田充正矢作芳人の3調教師が仲良くタイトルを分け合った調教師部門まで栗東勢が全てのタイトルを独占した、という極端な”西高東低”となってしまったが、新人からベテランまで、今の東西の勢いの差を考えるとやむを得ない気はする。

*2:最近では、2014年にドバイと有馬記念のタイトルだけで年度代表馬に輝いたジェンティルドンナのケースなどもあったが、彼女には「牝馬三冠」で一度年度代表馬をとっていた、という”格”もあったから、それと比べてもちょっと雰囲気は異なっている。

*3:朝日杯FS勝ち馬のサリオスは77票を獲得したもののコントレイルの197票の前には歯が立たず・・・。

*4:デビュー2戦目で重賞制覇、3戦目で無傷のGⅠ勝利を飾ったコントレイルが逸材であることは間違いないが、サリオスもほぼ同じような過程で無傷の3連勝、GⅠ制覇を成し遂げているから、こんなに差を付けられる馬ではないはず。こうなったら直接対決で来年決着を付けてくれることを願うほかない。

*5:サートゥルナーリアは僅か124票、僅差でアドマイヤマーズが107票で続き、次にダート古馬混合GⅠを制覇したのクリソベリル24票、ダービー馬・ロジャーバローズ15票、菊花賞馬・ワールドプレミア3票、該当馬なし1票、と続いた。

*6:さらにその余波は地方競馬にまで波及し、一度は絶滅寸前と思われたローカル競馬も息を吹き返しつつある。

「逃亡者」をかばい立てするつもりは全くないのだけれど。

昨年末から今年にかけて、連日話題になってしまっている「カルロス・ゴーン逃走劇」。

保釈中の被告人として日本で公判を待つ身だったはずなのに、年の瀬に突如としてレバノンから電撃的な声明発表。
やがて明らかになった逃走の手口は、プライベートジェットで、しかも、荷物ケースの中に隠れて空港を潜り抜け脱出する、という、スパイ映画さながらの”演出”だったものだから、そりゃ話題にならないはずがない*1

そして、今日の夕刊で、法務省の動きの早さにもまた驚かされた。

「保釈中の被告が逃走する事例が相次いだことを受け、法務省が刑法などを改正して罰則を設ける方向で検討していることが7日、同省への取材で分かった。保釈中の被告が逃走した場合に刑法の逃走罪を適用するほか、刑事訴訟法の改正で裁判所の呼び出しに応じない場合に罰則を設けることを想定している。同省は法制審議会(法相の諮問機関)に諮問する方針。」(日本経済新聞2020年1月7日付夕刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

「保釈中の被告人の逃走」は、ゴーン氏に始まったことではないから、元々こういう話自体はあったのだろうが、年明け以降、森雅子法相から検察当局関係者まで、相次いで出されている「必死」の見解に接すると、やはり今回の事件も、立法に向けた取り組みを加速させる引き金の一つになった可能性はあるだろうな、と思う。

で、この問題に関しては、伝統的な「愛国者」の方々や捜査当局側との共感性が高い方々から、日本の刑事司法制度の在り方に懐疑的・批判的なスタンスの方々まで、様々な人が発言しているが、「保釈中に保釈条件を無視して逃げ出すやつが一番悪い」という点に関しては、思いのほか意見が一致しているように思えるところはある。

もちろん自分も、日本の司法制度の下で生きている者だし、仕事柄、日本以上に刑事司法制度の運用が滅茶苦茶な国が多数あることも十分承知しているだけに、「日本の刑事司法制度が信頼できない云々」ということを露骨に言われてしまうと、ちょっと悔しい。

英米法圏や西欧諸国を除けば、日本など比べ物にならないくらい「推定有罪」の原則で運用がなされ、賄賂でも渡さない限り真っ当な裁判を受けることすら難しい、と言われてしまうような状況は、”比較的発展している”と思われている国々においても未だ存在しているところはあって、グローバル化が進んで、紛争解決機関を選べばどこの国でもそれなりの審理が受けられるようになってきている商事紛争などと比べると、刑事手続、刑事訴訟の世界は、まだまだ”未開”の地が多い、というのが実情だから、いくら西欧的価値観に合致しないからと言って、日本だけを殊更に叩くのは違うんじゃないのかな、と思うところはある。

ただ、この事件が起きた後に、「司法権に服すことを拒むなんて日本をバカにするにもほどがある」という論調を目にしたとき、自分の脳裏には、かつて話題になった「米国でカルテルや贈賄の疑いで刑事訴追され有罪判決を受けた会社の役員が服役するかどうか」問題がよぎったのも事実である。

最近の傾向はよく知らないし、現実に収監されている人も多い、というニュースは時々伝えられているが、ちょっと前までは「収監されたくないから米国にはいかない」とか「たまたま米国に入ったら捕まってそのまま・・・」みたいな話もよく耳にした*2

また、少し話は変わるが、もし仮に、自分が駐在していた新興国で全く身に覚えのない容疑で身柄を拘束され、勾留ないし自宅軟禁のような状況に置かれたとして、そこでどこかの親切な同胞の大富豪が「俺の用意したプライベートジェットに乗って日本に帰れ」と耳元でささやいてくれたら、ほとんどの人はそれに乗っかってその国を脱出しようと考えるだろうし、捕まっていた国によっては「よくぞ帰ってきた」と多くの日本人が喝采することだって十分考えられる*3

「いやいや、日本は適正な手続きの下、公平な裁判が行われる国なのだから、そんな遅れた新興国の話と一緒にされても困る」と言い出す人は当然出てくるだろうが、何をもって手続きを「適正」と受け止めるか、裁判所での審理を「公平」なものと受け止めるかは、それぞれの人の主観に左右されるところが大きい

また、仮に「適正」だの「公平」だの、というのがそのとおりだったとしても、自分に理解できない「言語」によって手続きが進められ、通訳を介してしか関係当事者とコミュニケーションが取れない、という状況に置かれたら、よほど達観した人間でなければ、そこから逃げ出したい、という思いを止めることはできないだろう。

要は、異国に拠点を持ち、異なる文化、言語の下で生きている者にとって、たまたま所在した異国の司法権に従順に服する、というのは、決して合理的な選択肢とはいえないし、今、逃亡した被告人を力いっぱいバッシングしている日本人の中に、異国で似たような境遇に置かれる羽目になる人がいないとも限らない*4

そう考えると、決して当事者ではない以上、皆、今回の事件の帰趨をもっと冷静に見守っても良いのではないかな、と自分は思っている。

そして、もう一つ。

日本の刑事訴訟法では、

「被告人が公判期日に出頭しないときは、開廷することはできない。」(286条)

というのが第一審(事実審)での大原則になっているから、今回の逃亡劇によって、日本国内での公判手続きを進めることはかなり難しい状況になっているし、それが被告人に対する批判の最大の要因にもなっているのだけれど、この条文を「被告人の在廷義務」に重きを置いたものとみるか、それとも被告人の権利保護に重きを置いたものと見るかによって、今後の日本の刑事手続法の見直しの方向性もだいぶ変わってくるような気はする。

検察官が公訴提起した時点で、有罪立証できるだけの証拠が一通りそろっていて、公判でそれに対する被告人・弁護人側の反論が効を奏しない限り有罪になる、というこれまでの実務*5を踏まえるなら、公判期日に被告人を出頭させられないことで不利益をこうむるのは、まさに被告人側にほかならないわけだから、被告人が反論の機会を自ら放棄した以上、罪の軽重にかかわらず、弁護人が在廷すれば公判を続行して判決まで持っていく、という制度設計もあり得るはず*6

現行法の解釈でそんな特例を認める、というわけにはさすがにいかないだろうし、そもそも今回のケースでは、被告人側からも「日本で裁判を受けるつもりはない」という意思が現時点では示されているようだからどうしようもないのであるが*7、明日のレバノンでの被告人の会見が無事行われるようなら、そして、その際に「無実を確信しているので裁判は堂々と受ける。でも、日本には戻らないけどね。」的なコメントが出てくるようなら、また新しい議論が誘発されるような気もして・・・。

ということで、記者会見の直前に「ゴルゴ13」が暗躍しないことを祈りつつ*8、本件を通じて、刑事訴訟の在り方そのものに、もう少し目が向けられることを願う次第である。

*1:直接的に描くかどうかはともかく、こういう素材が大好きなハリウッドが放っておくはずはないだろう、と個人的には思う。「オーシャンズ」シリーズででもネタに使ってもらえると、ちょっと嬉しいかもしれない。

*2:一種の都市伝説みたいなところもあって、どこまで本当なのか、そもそも刑事訴訟手続が始まる前の話なのか、終わった後の話なのかもよく分からないのだが・・・。

*3:そこまで極端でなくても、罰金刑レベルの罪に問われるかどうか、という状況で、身柄拘束までは受けていなければ、そのまま駐在員を日本に引き上げて難を逃れさせる、というケースは十分に考えられるところである。

*4:いくら清廉潔白に生きようと思っても、あらぬところで罪を着せられるリスクからは決して逃れられないのが、この世の現実だったりする。

*5:もちろん、これが刑事訴訟法が本来予定している姿だ、というつもりは全くないが、現実問題として未だにこの構図は変わっていない、と自分は思っている。

*6:もちろん、有罪かつ実刑判決が出た場合、刑の執行をどうするか、という問題は出てくるのだが、そこは、起訴前に国外逃亡した被疑者の話とも何ら変わらないわけで、日本の領域に一歩でも踏み込んだら・・・というスタンスで、切り分けて考えるほかないだろうと思うところである。

*7:この点に関しては、ゴーン氏側もちょっとやり過ぎている感があって、必要以上に日本国民を敵に回した、と言わざるを得ない。

*8:あくまで、あの漫画はフィクションに過ぎないが、世の中では時にフィクションを超えたことも起きることがあるので、個人的にはちょっとハラハラしている・・・。

我々はこの山をどこまで登ることができるのだろう?~田村善之『知財の理論』との格闘の途中にて。

昨年の秋頃に公刊予定であることが発表されるや否や、SNS上でも「発売まで待てない!」*1的な声が沸き上がったのが、田村善之教授の論文集、『知財の理論』である。

知財の理論

知財の理論

自分も、早々に入手することが叶い、冬休みに読み切るつもりで温めていたのだが、先週末に切ってしまったスイッチを入れ忘れたままダラダラと1週間過ごしてしまったこともあって、未だに最後まで読み切れていない。

だが、このタイミングで、Twitter上で「田中汞介」のクレジットで活躍されている知財クラスタの方が、自らのブログ(「特許法の八衢」)で、本書の読後感を丁寧にまとめておられるのに接したこともあり、自分も、少しでも多くの方に本書に目を通していただきたい、という思いを込めて、少し雑感を書き残しておくことにしたい。

patent-law.hatenablog.com

※本書の構成や、後半部分の概要等に関しては、田中氏のブログのまとめをご覧いただければ十分だと思うので、以下では割愛する。

市場志向型の視点から政策形成過程プロセスに向けられた視点、そして「役割分担論」へ。

知財をある程度勉強したことのある方なら、田村教授のお名前を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「インセンティブ論」ではないだろうか。

自分もちょうどこの分野の勉強に手を付け始めた直後に『著作権法概説』に接し、まさに”田村説から入った”状況で、古典的な自然権論の土台がないまま著作権周りの業界に片足を踏み入れてしまったものだから、その後、様々なぶつかり合い(?)の中で若干の軌道修正を強いられることにもなったのだが、いずれにしても、市場におけるインセンティブに基づいて知的財産法制度が設計されるべき、という観点からの一貫したご主張が、長らく田村教授の代名詞のようになっていたような気がする。

だが、あの頃から20年近く経って出された本書に収められている論文では、そういったシンプルな「市場志向型」の着想に留まらず、その後、著作権法に限らず様々な場面で唱えられるようになった「政策形成過程のバイアス」や、「市場と法」/「市場・立法・行政・司法」の役割分担、そしてそれらを裏付ける「正統性」の探求といったところにまで踏み込んで、終始一貫した視点で「知的財産法制度」のあり様が描かれ、様々な問題提起がなされている。

思えば、今世紀の初頭、自分が手にした『機能的知的財産法の理論』や『競争法の思考形式』、さらには『不正競争法概説』といった書籍の中には、必ずと言って良いほど、単なる机上の条文解釈のレベルに留まらない、立法過程、法形成過程を強く意識した論稿が収められていた。

当然ながら、知識はもちろん、実務経験もほとんどゼロに等しかった当時の自分にはそういったスケールの大きな話を消化できる余地は乏しかったし、いま改めて読み返しても理解できるかどうか、心もとないところはあるのだが、その頃感じた田村教授の論文のスケールを「富士山」に喩えるならば、本書に収められている各論文は、まさに「エベレスト」級、というべきだろう。

田中氏のブログでも紹介されているように、本書の各論文は、既に過去の何らかの媒体に掲載されている。

そして、掲載媒体のうち「知的財産法政策学研究」はある時期から毎号送っていただいているし、その他の媒体も(マニアックな論文集等も含めて)ほとんどは既に購入したり、先生ご本人からご紹介いただいたりしたものだから、これらの所収論文はいずれも一度は拝読したはずのものである。

だが、軽装にリュック一つでは世界最高峰に挑むことができないのと同様に、本書の所収論文は、一度や二度、さらっと読み流した程度では、到底そこに描かれている理論の神髄まできちんと理解することはできないし、(脚注も含めて)質量ともに圧倒的に充実した情報が収められているだけに*2、繰り返し、時を置いて読めば読むほど、新しい気付きも生まれる、そういったものだと自分は思っている。

あいにくのガサツな性分、しかも、集めた雑誌や論文の抜き刷りをきちんと整理してストックしておくようなスペースも持てないしがない身の上ゆえ、「一度拝読した」ものを読み返そうにも、肝心な時に出てこない、なんてこともしばしばあったのだが*3、そういった事情はさておいても、今回、田村教授の体系的な理論に貫かれた論文がまとめられ、書籍として公刊されたことで、一連の論稿にまとまった形でアクセスできるようになった、ということは、実に意義深いことだと思っている*4

「政策形成過程」に関わる人にこそ読んでほしい一冊。

既に述べた通り、自分自身がまだ本書をすべて読み切っていない上に、自分の言葉で消化して、各論文のエッセンスを語れるようなレベルには到底至っていない。

ただ、最近何かとはやりの「政策形成過程への関与」に関心をお持ちの方々には、(知財法に関心があるかどうかにかかわらず)是非、第1章冒頭の論文(「知的財産法政策学の試み」)の第Ⅱ章を読んでいただきたいな、と思っている。

効率性に関わる問題に関しては、かりに市場が機能しているのであれば、市場に委ねれば足りる
「市場が機能していない場合には、権威的決定による介入の方途を探ることになるが、肝要なことは、権威的決定により、効率性の観点からみて最適な制度を設計するということは極めて困難な作業であるということである。」
「そもそも市場が機能していないのか、十分に機能していないとしても権威的な決定により状態がはたして改善するのかということを判断したり、できる限り効率的な制度の設計を構築したりするのに適した機関はどこなのかという視点が必要となる。市場の動向を踏まえつつ、迅速に対処する機関としては立法や司法よりも専門機関のほうが優れていることがある。」
「本当に効率的な決定であるのかどうか不分明なところが残るのだとすれば、なおさら正統な手続によって決定されることが望まれよう。そして、このような政治的責任を負えるのは、司法ではなく立法が優れている。」
「もっとも、だからといって、立法に委ねれば全てが済むというほど話は単純ではない。」
「トータルでは大きな利益となるにもかかわらず組織化されにくい者の利益は、(中略)組織化されやすい者の利益に比して、政策形成過程に構造的に反映されにくいという問題がある。そして、こうした政治過程に拾われにくい利益を擁護するのに最も適した機関は、やはり司法であろう。」
(以上、本書12~13頁)

田村教授ご自身も総括されているように、2008年、「21世紀COEプログラム」終了の節目に公表されたこの論文は、その後、現在に至るまでの”田村理論”のベースラインになっているものであり、田中氏が紹介されている「日本の著作権法のリフォーム論」や、「プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through」*5といった各論へのアプロ―チもすべてここで述べられたエッセンスがベースになっている*6

だから、知財法政策に関わる者としてはこの論文は「必読」ということになるのであるが、上記のような「役割分担」論を理解することには、「知財」のフィールドを離れてもなお、大きな意味がある、と自分は思っている。

何かルールを変えよう、創ろう、とするときに、ともすれば、”自分の得意な領域”や”接点のあるところ”からのアプローチに固執しすぎて、ルールメイクのプロセスを歪めていないか? と首を傾げたくなるような動きは、最近でも各法領域で散見されるわけで、「それをする前にできることはないのか?」ということを、上記のような「役割分担」を意識しながら考えてはどうかな、と思った次第である。

なお、田村教授は、本書のあとがきで、

まだまだ研究は未完成であり、これまでもmuddling throughを続けていこうと思っている」(本書494頁)

と書かれており、本書の最後に収められた論文にも「旅の途中」という副題が付されている*7

既にこれだけの山が築き上げられた上に、さらに高みへ、ということだとすれば、「登る」側としては「いつになったら山頂からの景色を見ることができるのだろう?」ということにもなってくるのだが、高い山だからこそ登りがいもあるというもの。

そして、本書の所収論文公表後も、それぞれのテーマで新しい動きが次々と起きている、というのが、動きの激しい知財法政策界隈の実態だけに*8、、足元で起きていることを刮目しつつ、しっかり地面を踏みしめて食らいついていければな、と思うのである。

*1:本書の発売日は12月20日、定価は本体9,800円+税。それでも当初の予定価格よりは大幅に値下げされており、著者、出版社をはじめとする関係者の並々ならぬ思いがそこに込められているものと推察する次第である。

*2:田村教授の書籍や論文は脚注での文献引用も豊富で、しかもミスリードが少ない的確な引用がなされているため、「文献インデックス」としての資料価値も極めて高い。

*3:知的財産法政策学研究は、Web上にもアップされているのでそちらにアクセスすれば目的は達成できるのだが、「紙」でしか保持していないものに関しては未だにどうにもこうにも、という状況である。

*4:大学の図書館くらいでしかアクセスできない論文集所収の論稿まで「市販」されるようになった、ということの意味はそれだけでも大きいと言えるはずだ。

*5:蛇足だが、自分の本書を踏破しようというエネルギーは、この、ページ数にして150、脚注の数にして484、パート(1)公表から完結まで7年(それゆえ、自分は「未完」だと勝手に思い込んでいた)の超大論文の前に見事に打ち砕かれた。「近年の特許制度史料」も兼ねたような大論文で、到底何とかやり過ごして通り過ぎることはできないものだけに、日を改めて読み直すことにしたい。

*6:この論文に加えて、「『知的財産』はいかなる意味において『財産』か?」(本書52頁以下)で投げかけられた「知的財産」を「財産」や「物」にたとえるメタファへの批判(+知的財産法は「行為規制」法である、という整理)を基礎として頭に入れておけば、それ以降の論稿も比較的読みやすくなるのではないかと思われる。

*7:この論文については、昨年の年頭のエントリーでも少し”つまみ食い”をさせていただいたが(「立法」の議論に参加する上で常に自覚しておきたいこと。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~)、当然まだまだ消化しきれていないので、これも改めて読み直すつもりである。

*8:例えば、著作権法の世界でも、最近は「組織化されにくい」と思われていた側が、むしろ一種の「利益集団」化して発言権を増している現象も起きており、より政策形成過程が複雑化している、と言える状況があるように思われる。以前、京俊介先生が「ロー・セイリアンス」と評されていたような状況(著作権法改正の歴史を振り返りながら読みたい一冊 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)が変わったのか、それとも一過性のブームに過ぎないのかはもう少し見極める必要があるが、そういった点も含めてキャッチアップされていくと、また一段と理論の深みが増すのではないかと思う次第である。

走ったのは靴ではなく、人間だ。

興味関心の移り変わり、というのは恐ろしいもので、今年は年末からずっと日本にいたのに、元旦にサッカーの天皇杯決勝があったことすら忘れていて、翌日の昼くらいにようやく「そういえば結果は・・・?」とスポーツニュースを見返すような事態となってしまった*1

まだ未成年の頃、テレビ番組にしても、目白押しのスポーツイベントにしても、年末から年明けにかけての一つ一つのイベントにわくわくして、実際に現場に足を運んだこともたびたびあったことを思うと、歳を重ねるというのはこういうことなのかなぁ・・・とちょっとやるせない気分にもなったりして。

だが、さすがに2日、3日で10時間電波をジャックする一大イベントだけは、今年もちゃんと見た。

かつて(昭和の終わりくらい)は、2日のお昼過ぎにダイジェストが放映されるくらいだった関東陸連のローカル駅伝大会も、メジャーエンタテインメントになって久しいし、加えて、東京五輪を控えた今、「箱根駅伝⇒五輪」というルートが再び脚光を浴びていることもあって*2、今年は陸上専門誌だけでなく、Number誌まで昨年末に大特集を組み、さらに付録で顔写真付きの「選手名鑑」まで付ける、というフィーバーぶり。

うがった見方をすれば、どの大学もチームの実力が底上げされた結果、傑出したチームやスター選手が生まれづらい状況になっていて、それゆえ、大会自体のブランド効果を前面に出さないと人気を持続できない、という状況なのかもしれないが、結果的に、日々秒単位のパフォーマンス向上に汗を流している選手たち一人ひとりにまでスポットが当たることは決して悪いことではないと思うだけに、斜陽の時代にわずかながら陸上をかじったことのある者としては、「五輪後」もこの流れが続いてくれることを切に願っている。

で、2日間終わってみれば、青山学院が2年ぶり5度目の総合優勝を飾り、昨年優勝の東海大が2位、という結果。

昨年、名将両角速監督率いる東海大が青学の連覇を阻んで初優勝を遂げた時は、これでしばらく時代が続くな、と思ったし、当時のエントリーでは慎重にお茶を濁したものの*3、主力が抜ける青学と、主力がまだ3年生だった東海大とでは勢いの差は明らかで、原晋監督の時代もいよいよ終焉を迎えるのかな・・・と想像していた*4

だが蓋を開けてみれば、青学は、スーパー1年生・岸本大紀選手、5区の2年生・飯田貴之選手が抜群の輝きを見せ、不安視された4年生も3区・鈴木塁人主将、4区・吉田祐也選手がきっちり仕事をして往路で貯金を作ったのに対し、これまでチームを支えてきた現・4年生世代のエース級をエントリーさせることさえできなかった東海大は、往路でのもたつきが仇となって、後塵を拝する結果となってしまった*5

この辺は、「4年間」名を轟かせた青学のブランド力と、躍進を遂げてからまだ1,2年という東海大のそれとの差によるところも大きいと思われるだけに、後者に関しても、箱根での「成果」に触れて大学の門を叩いた高校生たちが主力に成長する来年、再来年になれば、より拮抗した戦いになるのだろうが、いずれにしても、チームマネジメントというのは、かくも難しいものなのだな、ということを傍観者ながら痛感させられる。

また、前評判どおり往路2位、総合でも3位に食い込んだ国学院大学*6は、元々往路優先シフトを組んでいただけに、復路でも粘り切り、最後の10区(2年生の殿地琢朗選手が集団4チームの争いに競り勝って区間4位で順位を押し上げた)で3位に順位を押し上げた、ということが、来年以降の大きな財産になるはず。

東京国際大、明治大、創価大といった面々がシード権を奪い、早稲田大学も予選会の不振が嘘のような激走を見せて返り咲いた一方で、名門・駒沢大は優勝争いに全く絡めず、さらに2年連続往路優勝を遂げていた東洋大がシード権ギリギリの10位、と、ちょっとした潮目の変化で結果に大きな差がついてしまうこの世界の怖さは今年も存分に発揮されていたのだが、それ以上に、上位2チームが大会新記録を更新するようなスピードレースだったにもかかわらず、途中区間での繰上スタートは1度だけ、最下位の筑波大学でも首位との差は30分程度(昨年なら17位くらいに食い込めるタイムで走っている。また10位~18位くらいまでのチームは12分弱くらいのタイム差の中に納まっている状況である)というところに今の学生駅伝の選手層の充実ぶりを見たような気がして、予選会敗退校も含めて、また来年はがらりと勢力図が変わる可能性もあるな、と思わせる結果だった*7


なお、今大会で、往路・復路の7区間区間新、しかも、区間によっては傑出した1人の選手だけでなく、複数の選手が一気にそれまでの記録を塗り替える結果になったこともあって、「靴」論争が湧き上がっている。

ただ、冷静に見ると、記録更新が相次いだ4区、5区は、3年前に距離が大幅に変更されて、元々記録の蓄積が薄かった区間

5区などは今年、区間賞をとった東洋大の宮下隼人選手以下、3選手が区間新を記録し、さしづめ山の神八百万化、といった感じになっているが、先にご紹介したNumber誌(「山の神座談会」という企画があって、今井正人(初代)、柏原竜二(2代目)、神野大地(3代目)が仲良く学生時代の思い出を肴にクロストークをしている)での元青学・神野選手のコメント*8によれば、1分10秒台ではまだまだ「神」とはいえない。

また、復路の6区、7区、10区といった区間に関しては、10年前と比べて起用される選手のレベル層が格段に上がったことが背景要因といえるだろうし、3区に関しては純粋に東京国際大のヴィンセントという留学生の力が凄すぎたことに尽きるような気がする。

何よりも、大会の注目度が上がり、レベルの高い学生が大学に進んで競技を続け、高いレベルで競り合う中で、より良い記録が生み出される、という好循環があってこその話なのだから、あまり「靴」のことばかり言うなよ、というのは当事者でなくても思うし、NHKラジオのゲスト解説者として登場していた佐藤悠基選手が、同趣旨のコメントを、それもかなり強いトーンで言っているのを聞いたときは、彼が今大会も塗り替えられることのなかった現時点で最古の区間記録(1区)保持者であるがゆえに、なおさら説得力があった。

10キロ28分、29分の世界で日々切磋琢磨してしのぎを削り合っている選手たちだからこそ、「厚底」も「カーボンファイバー」も生きてくるわけで、10キロ50分くらいで走るのがやっとの者には、人より先に「靴」を称える気には到底なれない。

もちろん、ルールの中で道具を使いこなして競技力を向上させる(さらに選手への肉体的なダメージを減らせるならなおよい)、というのもスポーツの醍醐味の一つではあるし、それを起点にして一般向けのマーケティングにどう活用していくか、といったところも、見ているとなかなか面白いものなので、こういう形で火が付くと、自分も何だかんだ言って、各競技会のたびに「靴」には目が行くことになるのだろうと思うのだけれど、それはそれ。

そして、選手たちの努力がかすんでしまわないように、報道の節度は保っていてほしいな、と思った次第である。

*1:ここ数年はリアルタイムで中継を見る機会もなかったうえに、一昨年、変則日程で12月上旬に決勝が行われたことで、記憶の中のカレンダーもズレてしまっていたことも原因かもしれないが、つい5年くらい前までは考えられないことで、自分でも驚きである。

*2:一時は、箱根駅伝で活躍してもその後伸び悩んでいる選手がほとんどじゃないか、ということで、シニカルな目を向ける論調も多かったのだが、MGCで上位を争った選手たちが軒並み”箱根組”で、陸連自身も積極的に広報を展開していることで、また少し空気が変わった気はする。

*3:蹉跌を超えて辿り着いた頂点。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~の最後の段落あたり。

*4:自らアドバイザーを務め、教え子も多数送り込んできたGMOアスリーツ(Athletes/Staff[アスリーツ、スタッフ一覧] - GMOアスリーツ)が今季から実業団駅伝に本格参戦(ニューイヤー駅伝では初出場5位の大健闘)したこともあって、そろそろ・・・というのが自分の毎年の妄想である。もっとも、今年の4年生は誰もGMOに行かない、という報道を見て、いろいろと考えさせられるところもあったのだが・・・(箱根駅伝ランナーの進路は?2020年3月卒業選手の就職先実業団一覧

*5:関選手は16人のメンバーにすら入れず。阪口選手も出番なし。鬼塚翔太選手は1区で10秒差の4位、ときっちり仕事をしたし、館澤亨次選手は6区で区間新の快走を見せて大会新記録での復路優勝に貢献する意地は見せたのだが、結果的に最後の年を集大成にできなかった無念さは残るだろうな、と。ちなみに、鬼塚、館澤両選手はDeNAに入社内定、ということで、駅伝で走る姿はしばらく見られないのかもしれない。

*6:監督が自分とも世代が近い、元市立船橋-駒沢大の前田康弘氏ということで以前から気になっていたのだが、監督就任10年超でようやくここまで来た、というのが感慨深い。

*7:個人的には、弘山勉駅伝監督率いる筑波大から金栗四三杯をとる選手が出てくると面白いのにな、と思ったりもする。

*8:「僕の記録を今の距離で換算してみたことがあって、1時間8分45秒くらいなんですよ。だからそれを超えたら「4代目」認定かな、と」(17頁)。

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