セルフジャッジの危うさ

そろそろ秋の気配も・・・という期待むなしく、外を出歩けば依然として蒸し暑さだけが襲ってきたこの三連休。そして、そんなさ中のラグビーW杯。

連休最終日の早朝にはプールDで戦う日本代表にとっては最大の強敵、イングランド戦もあったのだが、4年前とは違って時差もあり、何より今の自分には「熱」も余裕もなく・・・ということで、LIVEで中継映像に張り付くこともせず、出かける前に結果を知らせるニュースとハイライト動画を見た程度だったのだが、そこで知ったのがノックオンにならなかったヘディングパス」からの失点のシーンだった。

前半を4点差で折り返し、追撃のPGも決まって1点差。さぁこれから・・・というところでの失点で、実況も「ノックオン」と言い切っていたようだから、LIVEで見ていた方々が騒然となったことは容易に想像がつくのだが、よく見ればボールを前に飛ばしたイングランドの1番の選手がボールに触れていたのは「頭」。

ゆえにイングランド側のトライは認められ、突き放された日本代表はそのまま力負け・・・という結果となったのだが、こうなると、当然、例の「ヘディング」の瞬間にプレーを止めていた日本選手たちの判断を問う声も上がってくる。

で、そこから自分が思ったことだが・・・。

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あっけなく訪れた歓喜。

今月に入って、日々アプリで試合結果を眺めるたびに「負けてないなぁ」ということには薄らぼんやり気付いていた。

地上波のテレビのニュースは見なくなって久しいし、周囲に同類がいるわけでもないから、”ムード”がどんなものかは全く察しがつかなかったが、ネットで勝利の速報を眺め、翌朝、活字でもう一度その事実を確認し、ということを繰り返しているうちにあれよあれよと「マジック」の数字は小さくなり、朝刊で残された数字が「1」ということを知ったその日に、あっけなくセ・リーグは幕切れの日を迎えた。

かつてほどの熱はない。だが、「優勝」の二文字には、格別の感慨がある。

そして、速報で踊った「18年」という数字には、より感慨深いものがあったのは言うまでもない。

「2005年」はこのブログを始めた年。

書き始めて間もなかった頃のエントリーにも確かにその痕跡はある。

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あの頃のタイガースは強かった。

故・星野仙一監督が長年低迷していたチームを夢にまで見た「リーグ優勝」にまで引っ張り上げて以来、完全に「強豪」に変貌を遂げたチームにとっては、当時の「2年ぶりの優勝」もちょっとしたエピソードに過ぎなかったし、あのシーズンのリーグでの圧倒的な戦いぶりを見れば、若き戦略家・岡田彰布監督が率いるチームにはその先何度となく栄光に浴することができるだろう、と多くのファンが信じていたはずだ。

だが、リーグ優勝の後、マリーンズ相手の日本シリーズでの大惨敗が躓きの始まり。
同じリーグで競い合う相手が、黄金時代の巨人と、落合博満監督率いる中日、というのも良いめぐり合わせではなかった。

さらに、それでもようやく・・・と思わせた2008年シーズンにまさかのV逸の憂き目にあい、岡田監督が退任してから長きにわたる迷走が続く。

決して弱くはない、が、勝ちきれない。今年は・・・と思わせても勝負どころでは失速するシーズンを繰り返し、その間、復活したカープやスワローズの引き立て役に回ったことも度々あった。

2014年にはポストシーズンに強かった和田豊監督の下で、棚ボタのような日本シリーズ出場を果たすこともできたが、応援する側の心の準備が整わないまま、2戦目からの4連敗であっけなくシーズン終了。

そこからさらに10年近い月日が流れて・・・の「アレ」。

今日の時点では、永遠の歳月のように感じていた1985年~2003年と同じだけの時間が前回のリーグ優勝から流れてしまっていたということを何度聞いても消化しきれずにいるのだが、それだけの時間を経てもチームが変わらずに存続してくれていることと、何よりも自分が普通の人生を送りながらその日に立ち会うことができた、ということに今は感謝するしかない。

18年前にはなかった「クライマックス・シリーズ」の存在ゆえ、タイガースが38年ぶりの「日本一」に挑むチャンスがあるのかどうかさえ、今はまだ分からないのだけれど、15年前の宿題に「一発回答」を示した岡田監督のこと、弱い弱いと言われ続けたポストシーズン*1でも、熟成された「対策」がきっと出てくると信じて、もう少しだけその日を待ちたいと思っている。

*1:日本シリーズでの4連敗に、2007年第1ステージ2連敗、2008年第1ステージ1勝2敗、計1勝8敗という負けっぷりである。

2023年8月のまとめ

1か月、というのは長いようで短く、短いようで長い。

ついこの前書いたと思っていた月締めのエントリーがまた巡ってきた、というのは、「短さ」を象徴するような話だし、その間、企業法務関係でいろいろと美味しいネタはありながらも、触れることすらほぼできなかった、というのは痛恨の極み。

その一方で、先月まではまだ存在した「Tweet」という概念が地球上から消滅して、たかだか3年前の最高裁判決の説明も、いずれは「昔Twitterという名前のサービスがありまして・・・」というところから始めないといけなくなるのではないか・・・という激変が起きるほどには長い時間でもある。

ということで、ほどほどに時空が歪んでいた今月のページビューは7,000強、セッション5,200強、ユーザーは4,400弱。

「夏休み」と言っても過言ではない状況でそれでもなおこのブログに迷い込んでこられた方々の分析は、以下のとおりである。

<ユーザー別市区町村(8月)>
1.→ 大阪市 275
2.→ 千代田区 214
2.↑ 港区 214
4.↑ 横浜市 96
5.↓ 新宿区 92
6.↑ 中央区 58
7.↑ 渋谷区 57
8.↑ 名古屋市 56
9.→ 札幌市 46
10.圏外神戸市 45

今月も札幌市は健在だった。

続いて検索ランキング。

<検索アナリティクス(8月分) 合計クリック数 1,427回>
1.→ 企業法務戦士 96
2.→ 学研のおばちゃん 現在 48
3.↑ 倉橋雄作 24
4.↑ 知恵を出さないやつは助けないぞ 22
5.↑ 倉橋雄作 法律事務所 15
6.↓ シャルマントサック 裁判 11
7.↓ 学研のおばちゃん 10
8.↑ 東急グループ 序列 10
9.圏外企業法務 ブログ 10
10.圏外crフィーバー 大ヤマト事件 10

Twitter(現X)へのポストもほんとに片手で数えられるほどしかなかった月だから、恒例のインプレッション数紹介もお休み。

なお、6月頃からずっと続いている「夏休み」がいつ終わるのかは保証の限りではないのだけれど、「中の人が書きたくなったらその時がタイミング」という当ブログの伝統は依然として健在なので、長年の読者の皆様におかれては、辛抱強くお待ちいただければ幸いである。

※なお、バックデートで恐縮だが、これだけは書かないわけにはいかなかった周年エントリーもひっそりとアップしたので、一応ここにも動線を引いておくことにしたい。

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○○年ぶり、の数字に感じた衝撃。

丸々一週間くらい続いた深夜のTVer生活。

PCで作業をしながらほんの僅かな視線の移動だけで臨場感ある映像を楽しめる。
そんな便利さを最大限享受できたのが今年のブダペスト世界陸上だった。

五輪前年の開催、ということで、世界中の有力選手たちが「勝負」まで意識して調整してきていることを随所に感じさせられた大会だっただけに、日本選手たちが残した爪痕にも大きな意義が感じられたのは自分だけではあるまい。

これまで、日本人がその場に立つなんて想像でもできなかった種目の決勝に日の丸をつけた選手が残っていて、その種目の「ファイナリスト」として応援することができる幸福は何物にも代えがたいものがあった。

そして、開催中の夏の甲子園107年ぶり、という途方もない数字が出たことに刺激されたわけでもなかろうが、今大会は「○○年ぶり」というフレーズが躍る機会も多かった気がする。

まず、男子400mで佐藤拳太郎選手が「32年ぶり」高野進選手の日本記録を更新。

さらに大会最終盤に入って、女子やり投げの北口榛花選手が日本女子選手としては女子マラソン鈴木博美選手以来「26年ぶり」の優勝という快挙を成し遂げ、翌日、女子5000mの田中希実選手も同種目では弘山晴美選手以来、これまた「26年ぶり」の入賞を果たす、ということで、まさに”久々”祭りともいえる状況だった。

幸か不幸か、四半世紀∔1年、という数字だけ見ればすごく久方ぶりに見える26年前の世界陸上も、自分にとってはそこまで昔の出来事ではない。

アトランタ五輪の年、トラックから転向初戦の大阪国際女子で2位という好成績を収めながらもマラソンでは代表落選、そこから再度トラックに挑戦して10000mでの五輪出場切符をもぎ取った天才・鈴木博美選手を同郷の誼で自分は長らく応援していたから、1997年のアテネ世界陸上の女子マラソンでの彼女の快走も、最初から最後までテレビの前で必死に応援しながら眺めたものだった*1

また、同じ大会の5000mで入賞した弘山晴美選手は、鈴木博美選手と全くの同世代ながらその後も長く第一線で活躍した選手だったから、「26年ぶり」と言われてもなおさらピンとこないし、「日本最古」と繰り返し連呼された「32年前」ですら自分の記憶には鮮明に残っている

何といっても、日本記録を更新した直後の世界陸上、初めての地元東京開催で決勝まで進み、日本中を虜にしたのが前日本記録保持者の高野進氏だったのだから・・・。

*1:残念ながら主要な国際マラソンレースでの彼女の勝利は後にも先にもこれだけで、マラソンで五輪に出て優勝、というファンの夢は3年後儚く消えた。

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遠き大地に思いを馳せながら。

今年も現地に行こう、と思っていながら、諸般の事情で果たせずZOOMと向き合っていた週末。
一日一日はあっという間に過ぎていくのに、登壇したのは遥か昔のことのように思えてしまうのは何でだろう・・・と不思議な感覚に襲われたりもした。

セミナーの講義の方は、初日からこれ以上ないくらい充実していたし、特に2日目、午前、午後を通じての情報量の多さはおそらく過去最大級で、「脳が汗だくになる」感じではあったのだけど、日々の慌ただしさにかまけて錆びつきそうなAround 50の頭には、これくらいの刺激がちょうどよい。

そして、どんなにヘビーな講義の時間でも、自分が喋るよりはずっと楽、という当たり前のことを改めて実感した8月最後の日曜日だった。

願わくば来年は余裕をもって会場に足を運べる、そんな環境を取り戻せていることを願いつつ、今年も関係の皆さまに厚く御礼申し上げます*1

*1:そして日程前半で早々に離脱する非礼もお詫びしなければなりません・・・。

日本女子代表の快進撃と、そこはかとなくこみ上げる申し訳なさと。

サッカー女子日本代表が出場したFIFAワールドカップ

佐々木則夫監督率いる”なでしこジャパン”が、男女通じて日本史上初のW杯制覇を成し遂げ一大旋風を起こしたのも今は昔で、既に干支は一回り。

その翌年のロンドン五輪の時はもちろん、2015年W杯で準優勝した時くらいまでは自分にもまだ熱が残っていたし、翌年のリオ五輪予選も祈るような思いで声援を送った*1が、公式戦の試合をちゃんと見たのはあの時が最後。

高倉麻子監督時代は、W杯出場、五輪出場の実績もあったのに、試合の記憶はほとんどなかったし*2、五輪後に監督が変わった時も、元レッズの人かぁ・・・程度の感想しかなかった。

リーグが一新されたタイミングとはいえ、2010年代前半に比べれば露出も控えめ、今大会前のプロモーションも控えめ、ということで、ともすれば見逃しても不思議ではないレベルのイベントだったのだが、そんな印象が一変したのは、たまたま初戦のザンビア戦をFIFAのウェブストリーミングで見た時。

みんな巧い。そして速い。

かつての日本女子代表は、良くも悪くも”根性のチーム”という印象が強かった。

もちろん選手一人ひとりを見れば、ずば抜けた身体能力を持つ澤穂希選手に、圧倒的なキャプテンシーで君臨する宮間あや選手、前線でゴリゴリ押していく永里(大儀見)優季選手、独特の走りでサイドを駆け抜ける鮫島彩選手・・・と、選手たちのキャラは相当立っていたし、スピードという点では川澄奈穂美のドリブルも当時の世界水準では間違いなく一級品だったのだが、全体的な印象としては「力で勝る敵方にどれだけシュートを打たれても跳ね返し、最後は粘りで逆転する・・・」というど根性チームのスタイルがあの頃の代表チームのカラーだった気がする。

だが、あれから約10年の時を経て、画面越しに躍動する日本代表の姿は、当時のすべてを超えていた。

徹底的にボールを拾ってつなぎまくる長谷川唯選手の動き。中盤から、サイドからDF、MF陣が図ったように送り込む決定的なクロスとスルーパス
そして何よりも、足元にボールが吸い付くようなドリブルで相手守備陣を置き去りにする宮澤ひなた選手のスピードといったら・・・

どちらかと言えばクラシカルな戦術から脱し、縦に速い攻撃を志向し始めたように見えたリオ五輪予選で様々なものがかみ合わずに敗れた。自分の記憶はその時のままずっと止まっていたのだが、それが一気にアップデートされ、何の期待もせず眺めていたことが恥ずかしくなるような爽快な展開に思わず喝采を上げる。

続くコスタリカ、スペインという昨年の男子のW杯のVTRを見ているかのようなカードでも、勢いはとどまるどころかより加速して瞬く間の3連勝。

そして、ここ数大会では「鬼門」のようになっていたトーナメント初戦のノルウェー戦も、事実上の先制点(記録上はオウンゴール)と決定的なダメ押し点を宮澤選手が決める、という理想的な展開で3-1の完勝。

長身選手が揃ったノルウェーにパワープレーで攻め込まれる危ない時間帯もあったし、そこで守備陣が見せた粘りは間違いなく伝統芸のそれ、だったのだが、熊谷紗希選手にしても、南萌華選手にしても、はたまたGKの山下杏也加選手まで、攻撃を跳ね返してボールを奪ってからの組み立てがとにかく徹底していて、前につなぐテクニックにも長けているから、ピンチが次の瞬間には絶好機に変わる。

この日、勝ち越しのゴールを決めたのが、サイドバックの清水梨紗選手だった、というのはまさにその象徴のような出来事だったし、彼女がゴール前で魅せたシュートテクニックは典型的なディフェンスの選手のレベルのものではなかった。

かくしてベスト8進出。

今大会何試合か見ているうちに、ああそういえば・・・と思い出したのが2012年に日本で行われたU-20の女子W杯で、あの時も「個」の力と、縦に速い組織戦術が見事に噛み合っていた。

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そこから11年。

当時、「新星」として脚光を浴び、自分も一人二人のみならず名を覚えた選手たちの「その後」を自分はどれだけ見ていたのか、ということを考えると、これまた申し訳ない気持ちしか出てこない。

あの時のメンバーで今大会にも出場しているのは、FWの田中美南選手と、ボランチで悲願の主要大会初出場と話題になっている猶本光選手くらいだろうか。

当然時が流れれば、選手としては皆ベテランの域に差し掛かってくるのだけれど、あれからも日本で、欧州で、様々な経験を積み重ねて今フィールドに立っているのだろうな、ということは容易に想像がつく話だけに、移り気なにわかファンのせめてもの罪滅ぼしに、今大会が終わるまでは全力で声援を送り続けよう、と心に決めている。

あと1つ勝てばさらに2試合。何とかそこまでは行ってくれ・・・と願いつつ。

*1:当時のエントリーがこちら。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:岩渕真奈選手のInstagramはフォローしていたが・・・。

ひっそりとブログ開設から18年。

ここ数か月、あまりに慌ただしすぎて、様々なエントリーをタイムリーに上げられない、という状況が続いているのだが、この年に一度の節目エントリーすら・・・というところで、ここに書けたのも1か月の時が流れてから・・・というお寒い状況*1

まぁ「節目」といっても、たまたま昔々、この「8月4日」という日にブログを書き始めた、ということ以上に何かがあるわけではなく、猛スピードで流れている日々の中でそのことがどのような意味を持つのか、ということも説明し難い状況ではあるのだが、これくらい時間が経つと、どんなつまらないエントリーでも、それを書ける場所があること、そして、それを書けるだけの認知機能がまだ自分に残っている、ということの方に有難みを感じるので、「大した意義はなくても書く」と決めている次第。

最近では、新型コロナ禍に振り回された闇も明け、あちこちで開かれる「お久しぶり~」の飲み会に顔を出すことも多いので、必然的にここ数年を振り返る機会も多くなる。

そして、どこからどう振り返っても、「順調」という言葉でしか表現しようがないここ数年の状況を顧みて安堵すると同時に、こんな幸福な状態が果たしていつまで続くのだろう、という根拠のない不安感にも時々さいなまれていたりするし、一つ大台をクリアしたら、また次の大台を目指したい、と思ってしまう自分の中の際限なき欲望を感じつつ、それに一体どこまで付き合わないといけないのか、という冷静なもう一人の自分が問いかける、そんな状況に直面したりもする。

ただ、どれだけ今、煩悩とそれが呼び込む慌ただしさのループの中にいるとしても、自分のほんの少しの意思があればそこから抜け出すことはできるし、抜け出した後にはこの表現空間がある。

それが分かっているからこそ、大して心を乱すことなく日々過ごせているのだろう、と自分は思う。

*1:本日2023年9月4日、である。

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