6月27日付の日経朝刊、1面に躍った↓の見出しを見た時、「そんなにうまい話はないよなぁ…」と思った。
「データ管理 国の監督縮小 認定企業が対象 漏洩時の報告、原則30日以内に延ばす」(日本経済新聞2024年6月27日付朝刊・第1面)
そして同日付でパブコメに付された「個人情報保護法 いわゆる3年ごと見直しに係る検討の中間整理」(案)を見て、その思いはますます強くなっている。
確かに、見出しを躍らせた「(3)漏えい等報告・本人通知の在り方」に関して言えば、一定の「合理化」の方向が示されているのは間違いない。
「漏えい等報告及び本人通知に関し、漏えい等報告の件数は、令和4年度(2022年度)から漏えい等報告が義務化されたこと等により、令和元年度(2019 年度)
以降全体として増加傾向にある一方で、関係団体等からはこれらの義務が事業者の過度な負担になっているという意見が示されている。そこで、こうした意見も踏まえつつ、委員会がこれまでに受けた漏えい等報告の内容を検証した上で、上記制度の趣旨を損なわないようにしつつ、個人の権利利益侵害が発生するリスク等に応じて、漏えい等報告や本人通知の範囲・内容の合理化を検討すべきである。」(20頁、強調筆者、以下同じ)
ただ、この件に関して言えば、この記述の前に書かれている、
「漏えい等した個人データに係る本人の数が 1,000 人以下の事案が全体の 96.0%(11,635 件)を占めており、中でも、漏えい等した個人データに係る本人の数が1人の事案が全体の 84.0%(10,184 件)を占めている。」(19頁)
という状況に照らせば、至極当然の話というほかない。
にもかかわらず、よくよく読めば、
「この点、①上記のように、委員会がこれまでに受けた漏えい等報告を件数ベースでみると、漏えいした個人データに係る本人の数が1名である誤交付・誤送付案件が大半を占めているが、このようなケースは、当該本人にとっては深刻な事態になり得るものであり、本人通知の重要性は変わらないものの、本人通知が的確になされている限りにおいては、委員会に速報を提出する必要性が比較的小さい。また、②漏えい等又はそのおそれを認識した場合における適切な対処(漏えい等が生じたか否かの確認、本人通知、原因究明など)を行うための体制・手順が整備されていると考えられる事業者については、一定程度自主的な取組に委ねることも考えられる。そこで、例えば、体制・手順について認定個人情報保護団体などの第三者の確認を受けることを前提として、速報については、一定の範囲でこれを免除し、さらに①のようなケースについては確報について一定期間ごとの取りまとめ報告を許容することも考えられる。」(20頁)
と、負担をある程度「軽減」こそするものの、「認定個人情報保護団体の関与」という煩雑さは残るし、(仮に漏洩した個人データが「1人分」に過ぎなかったとしても)「確報」は必要、というあまり慰めにならないレベルの緩和に過ぎない。
必要以上に「報告」のプレッシャーを重くしている「おそれ」要件に関しても、
「また、関係団体からは、いわゆる「おそれ」要件についての要望も示されている。「おそれ」については、個人の権利利益を害する可能性等を勘案してより合
理的と考えられる場合に報告や本人通知を求めることが適当であるとも考えられるが、その具体的な当てはめについては、現実の事例に応じて精査する必要がある。事業者の協力も得ながら、実態を明らかにした上で検討を行い、必要となる要件の明確化を行うことが必要である。」(21頁)
という何とも言い難い中途半端な表現にとどまっている。
もちろん、今の規定のままでも規定趣旨に照らした合理的な思考による限り、企業・団体側の判断で無駄な報告をなくす、ということはできるはずなのだが、そういう思考が日常的に身についている欧米諸国とは異なり、この日本という国には、ひとたび法律、ガイドラインに書かれた途端に思考停止して、字句どおりに(あるいはそれ以上に忖度して)対応しようとするし、それを事実上強制されることすらある、という何ともいえない病理が存在する。
だからこそ、規定ごと撤廃する勢いでことを進めなければ本当はいけないはずなのに、上記のペーパーを見る限り、そこまで劇的な変化は到底望めそうにないい、という点はちょっと気になるところである。
そして、中間整理(案)の中では、上記”緩和”とバーター、と言わんばかりに、他の項目に関しては厳しい評価も出ていることもまた、よく認識しておかなければならない。
冒頭の日経紙の記事では「判断を見送った」という点だけが取り上げられているが、「中間整理」(案)を読む限り、適格消費者団体による訴訟提起・遂行や課徴金の論点も、当局としては全くあきらめていない、ということが分かるだけに、まだまだこの先は多難・・・。
既に「個人情報保護」を食い扶持にする人々が一定数生まれてしまっている以上、どれだけ合理的思考を強調したところで多勢に無勢、となる事態は容易に想像がつくところではあるが、今はどの会社も足元のことをきちんとやっていくほかないのだろうな、と思う次第である。