以前、連載記事の中で、
「みなし弁済」に関する一連の最高裁判決を取り上げたのだが、
(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060215/1139933099)
これらの判決群に関し、
NBLの2月15日号(No.827)の巻頭言として、
オリコの法務部長によるコメントが掲載されている*1。
吉元氏は、利息制限法をめぐる判例理論や貸金業法の制定経緯、
最近の訴訟の背景分析などを簡潔に行ったうえで、
次のように述べられる。
「それにつけても、最近の最高裁判例では、いくら「消費者」を救済するためとはいえ、「書面の交付時期のわずかな遅れ」「リボルビングの法律未対応」「休日等の記載の不足」など他の取引では考えられない事項を理由にしたり、「支払の任意性」の解釈を大きく変更してまで、みなし弁済の成立を否定し、いまや、「債権者となった借主」を保護し、5%の付利を認めることにはいささか疑問である。取引の安定性が阻害されるだけでなく、モラルハザードを惹起する懸念もある。」
このコメントのような内容(特に前段)は、
金融業界嫌いの自分ですら感じたことであり、
まして業界の方のコメントとなれば、
当然指摘されることが予想されるものであった。
吉元氏は、この後、
「この機会に、みなし弁済問題だけでなく、利限法も含めて、また貸金業制度の枠組みと業規制のあり方が議論され、現在の法環境と経済環境およびIT環境にマッチした立法的な解決が図れるならば、むしろ一連の最高裁判決は、功ありといえるのではないか。」
と前向きにまとめられているが、
内心では、苦虫を噛み潰したような思いに駆られていることであろう・・・*2。
自分は決して貸金業者の肩を持つわけではない。
「ご利用は計画的に」と偽善的に微笑むCMは、
見るたびに嫌悪感を感じるし、
ひどい取立てにあっている債務者に、
何らかの救済の手を差し伸べる必要性も否定しない。
だが、学生時代に培われた自分の“貧乏性”が
いまだに治らないのと同じように、
世の人々の一部に存在する“浪費癖”もそう簡単に改まるものではない。
また、別に“浪費癖”がなくても、やむにやまれず・・・
という方も少なからずいるだろう。
どこかの石油王がボランティアの金貸しでも始めれば別だが、
リスクとリターンのバランスの上に成り立っている“貸金業”の世界では、
一定以上に金利を引き上げない限り、
すべての人にお金を貸すことはできない。
だが、それでもお金を借りたい、と思う人は必ず出てくる。
それゆえいつの時代でも“高利貸し”は生き延びている。
いざとなれば裁判所で争えばいいや、
と思ってお金を借りる人はそうそういないだろうが、
この業界が、貸し手と借り手の微妙なバランスの上に成り立っている、
という事実は、常に頭の片隅に留めておく必要があるだろう。