いつか見たような騒動〜「ポケモンGO」に思うこと。

先週末に「ポケモンGO」が日本でリリースされて以降、やれ交通違反で検挙されただの、どこそこの施設管理者が申入れをしただの、挙句の果てには期待を過ぎた関連銘柄が暴落して個人投資家が翻弄されているだの、と、このゲームにまつわる話題を聞かない日はないような状況で、1週間経った今日になって、天下の日経新聞までもが、「社説」で「熱狂的ともいえるブーム」として取り上げるに至った*1

このゲームがリリース直後からこれだけ注目を集めている背景には、「海外で配信され、熱狂的なブームになっている、という報道が先行したこと」が、何と言っても大きいだろう。
昔から日本人は舶来ものには弱いし、ましてやそのゲームのメインコンテンツが日本由来のキャラクター、とくれば、ちょっとした愛国心もくすぐられる。

そんなわけで、おそらく中の人が立てたであろう宣伝戦略*2に見事に乗っかる形で「ブーム」は作られた。

日経の社説などを読むと、「従来のゲームとは全く異なる楽しさ」とか、「新たなマーケティングの手法」といった言葉が躍り、挙句の果てには「地域振興にも一役買うかもしれない」といった夢想的なコメントが躍っているが、冷静にゲームそのものの本質を眺めるなれば、

所詮は位置ゲー

である*3

そして、これまでにありとあらゆる位置ゲーをやり尽くし、現在も細々とどこか見知らぬ土地に行くたびに電池の消耗と戦いながら位置登録やらチェックインやらを繰り返している身としては、「ポケモンGO」もまた、

・最初は物珍しさもあって、多くの人が登録する。
・自分の日常的な通勤、通学ルートの過程でゲームを繰り返し、たまにちょっと寄り道をしたりして、できるだけのアイテムを取りまくる。
・たまに旅行に出た時に、珍しいアイテムを取って自慢する。(とはいえ、遠くに出かけられる機会が年にそう何度もあるわけではないし、ゲームのために出かけるという人も一部のコア層に限られる)
・だんだんと新しいアイテムを取れる機会が少なくなり、飽きてきてゲームが放置されるようになる。(移動して地道にアクションを繰り返す、という単調な作業を年単位で続けられる根気のある人はそういるものではない)

というプロセスを免れることはできないと思っている*4

今回は、夏休み前にリリースできたのが幸運なところで、8月の終わりか、9月の連休時期くらいまでは何とかブームは続くだろうけど、年が変わる頃にはアクティブユーザー数は激減し、血眼になって探したモンスターもアイテムも多くが眠りに付くのではないか、というのが自分の見立てである。

もちろん、これまで「ゲーム」はもちろん、初期インストールされているもの以外には「アプリ」のダウンロードすらほとんどしたことがなかったような層に新たな視点を提供した、という意味では「ポケモンGO」ブームの貢献度はそれなりにあったと思うし*5、あまり景気の良いニュースがない今の日本に一時的にでも“祭り”を起こしてくれたことには、素直に感謝すべきだと思うのだが・・・。

*1:日本経済新聞2016年7月29日付朝刊・第2面。

*2:海外での“クールジャパン”に関する報道などを見ていても良く思うことだが、一部の盛り上がっているところだけを切り取って、あたかも全体が“熱狂”しているように見せる、というのは日本のメディアのお家芸だし、あえて時間差でリリースした背景にも当然そのようなメディアの行動様式を見込んだ思惑はあったのではないかと推察する。

*3:ゲームそのもののコンセプトのインパクト、という点では、「セカンドライフ」なんかの方が数段大きかった。

*4:出始めた頃は盛り上がっていたのに、今になって「まだやってる」というと、「信じられない!」というアクションをされるゲームの何と多いことか(笑)。

*5:WiiFitの時などもそうだったが、こういう「新しい顧客層を開拓する」アイデアについては、任天堂は他の普通のゲームメーカーとは圧倒的に異なるものを持っていて、今回も(任天堂本体の企画ではないとはいえ)そんなDNAが存分に発揮された、ということができるのではないかと思う。

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