5年後、「北里柴三郎」の出番はあるのか?

昨日、日が変わったくらいのタイミングで速報が流れ、その後、正式な発表も出た「新紙幣」のニュース。
最初は「令和元年」に合わせてタイミングよく発行するのかな?と思っていたのだが、よくよく聞いたら5年も先の話で、これはちょっとセンスないな…と思っていたところで、やはり今朝の日経新聞の1面でもいい具合に突っ込みが入った。

「政府・日銀は9日、千円、5千円、1万円の新紙幣を2024年度に流通させると正式発表した。日本は世界に類をみない現金大国で、最新技術で偽造防止を強化し、今後も安全な決済手段として維持する。一方、政府は25年に現金を用いないキャッシュレス決済の比率を欧米並みの40%に上げる方針も掲げており、お金の未来像はみえてこない。」(日本経済新聞2019年4月10日付朝刊・第1面、強調筆者)

記事の中では、「なぜ世界の潮流に合わせて高額紙幣を廃止しなかったのか?」という論調が前面に出されているが、日本は油断するとすぐ偽札が出回るような国ではないし、なんだかんだ言って、一般のクレジットカードの与信限度額を超えるような金額でも、封筒をいくつか調達すればやり取りできてしまう高額紙幣、というのは相当便利な代物だから*1、いきなり廃止、ということにはならないだろう。

むしろ、自分がいらないと思っているのは、少額紙幣とか硬貨の方で、現在、従来型のIC電子マネーからQRコード決済まで、誰でも使える少額決済のツールがボコボコ出てきていて、政府自ら旗を振ってそれを推進しよう、としている時に、「新しい1000円札」を5年後に出す、というのはどうなのか、と思わずにはいられなかった。

こういう時に決まって出てくる(新型自販機需要等の)「経済効果」にしても、余力がなくなっている今の日本社会にとっては、単なる重荷(=コスト)にしかならない可能性は高いし*2、前記記事の中で言及されている「眠っているお金をあぶり出し、消費や投資を活性化させる」という「副次的効果」にしても、「今流通している紙幣を使えなくする」といったインド並みの大胆な策との組み合わせでないとあまり効果がない、というのは、過去の紙幣刷新の歴史が証明するところ。

なので、これからこの国に訪れるであろう「ポイント還元」ブームだとか、東京五輪を契機とした「QR決済」ブームだとか*3の盛り上がりを通じて、5年後を迎えるときまでには、

「やっぱり、『北里柴三郎』はいらなかった。」

という展開になることを自分はひそかに期待している。

そして、その頃までには、自分の人生も、「千円単位」でカウントしなくて良い次元にまで浮き上がっていると良いのだが、それはさすがに無理かもしれない・・・。

*1:だからこそ、マネーロンダリング等の観点からは問題にされてしまうわけだが・・・。

*2:余計な機器改良、購入はどの事業者も避けられるならそれにこしたことはないし、小売店等の店頭でのオペレーション対応のコストだってバカにならないのに、なぜ一面的に「経済効果」とか言ってしまうんだろう・・・というのは20年前にも、その前(特に幻の2000円札の時・・・)にも思った話である。

*3:なんたって世界のアリババ集団がワールドワイドパートナーだから・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html