2016年8月7日のメモ

昼までゆっくりできる休日、ちょうどメイン競技の時間が地球の裏側の住民の行動パターンにぴったりハマってくれたおかげで、いつになくじっくりと五輪を見られたのは良かったのだが、その裏で高校野球が“いつのまにか”始まっていた。

諸々のリソースを考えると、東で五輪、西で甲子園、というわけにもいかないと思うのだけど、4年後は一体どうするのだろう・・・と考えてみたりもする。

当たり前のように金メダルを持ち帰る凄味。

前評判の高かった競泳陣は、初日から日本新連発、4つの決勝種目のうち3つまでリレーも含めて決勝に残る、という絶好の出だし。
そして、その中でも特に期待を集めていた男子400m個人メドレーで、萩野公介選手が金、瀬戸大也選手が銅、という素晴らしい結果を残した。

400m個人メドレーに関しては、前回の五輪で萩野選手(3位)の前にいたライアン・ロクテ、チアゴ・ぺレイラの両選手、そして4位だったマイケル・フェルプス選手がいずれもエントリーしておらず*1、また五輪後に行われた2度の世界水泳ではいずれも瀬戸選手が優勝している、ということで、萩野選手か瀬戸選手のどちらかは金メダルが取れる可能性は元々高かったわけだが、“魔物”が時折出没する五輪の舞台で、そんな机上の計算を全く裏切らない展開で勝ち切った萩野選手にはやっぱり別格の貫録があった*2

ゴール後も全くサプライズ感はなく、淡々と水から上がって表彰台に上る。インタビューでは歓喜よりも安堵感の方が伝わってくる。そんな姿に、日本競泳の新時代の訪れを感じたのは、自分だけではないはずだ*3

銀より重い銅メダル。

逆に、全てを出し切った凄味を感じさせてくれたのが、女子重量挙げで2大会連続のメダルに輝いた三宅宏美選手。

今回が4度目の五輪出場。ロンドン五輪では3度目にして遂に表彰台に上り、史上初の父娘メダルにも輝いた。
それゆえ知名度は抜群なのだが、既に30歳。前回大会までの苦難の道のりを考えると、今回はモチベーション的にどうなのだろう?と思わずにはいられなかったし、ここ1年は故障続きで国内でもよい結果は出せていなかった。

そんな中での2大会連続の表彰台だから、これはもう立派というかなんというか・・・*4

試合後のコメントを聞いていたら、かつて有森裕子選手が2度目のメダルを取った時のことを少し思い出したが、三宅選手がかれこれ10年以上も第一人者として背負ってきたものの重みを考えると、あの時以上の称賛を受けても不思議ではない、という気がする。

曇りのち晴れ、となるか。

今大会日本初、しかも男女で揃ってメダルを取っても、「銅」だと何となく微妙な反応になってしまうのが、「お家芸」たる柔道の気の毒なところ。

とはいえ、今の柔道の世界で「日本」という国のブランドは決して特別なものではないわけで*5、実際、近藤選手は準々決勝でかなりギリギリのところまで追い込まれていたし、高藤選手も(準々決勝は少々不運な負け方だったが)競り勝って何とかメダルをもぎ取った、という表現の方がしっくりくるような勝ち方だった。

本来、日本勢が強いはずの軽量級でこれだと先が思いやられる・・・という手厳しい評価もあるかもしれないけれど、かつての田村、野村、井上康生、といった絶対的エースがいない今、「何が何でも金」という掛け声だけ勇ましくても仕方ないわけで、少々躓いてもしぶとく“メダル”にこだわり、結果を出せた、ということが評価されて然るべきなのではないかと思う。

もちろん、明日の中村美里選手を皮切りに、金メダルラッシュが続くようなことになれば、それはそれで嬉しいことこの上ないのだけれど。

*1:200m個人メドレーにはエントリーしている模様。

*2:平泳ぎ以降、2位に食い込んだ米国のケイリシュ選手の追い上げがなかなか厳しかったこともあってゴールするまではハラハラだったのだが、それでも1秒近い差は付けているから完勝だったといってよいだろう。

*3:ここ数大会、北島選手の派手なリアクションを見慣れていたからなおさら、というところがあるのかもしれないけど(笑)。

*4:しかもスナッチの試技を2回連続で失敗しあわや記録なしで敗退する寸前から、後半のクリーン&ジャークで一気に大逆転浮上。トータルで前回五輪の記録よりも10キロ近く下回っていても表彰台に上がれた、というのは天運も味方したのかもしれないが、最後の試技の鬼気迫る表情を見たら、これを「運」で片づけることなんて到底できない。

*5:そもそも「お家芸」といえるほど競技者層が厚いわけでもなかろう、と思う。

ある書店の最後の日に思うこと。

紀伊國屋書店新宿南店が、今日、20年の歴史に幕を下ろした。

新宿という大都会の真ん中にありながら、1階から6階まで広いスペースに書籍がぎっちり詰まった圧倒的な空間を誇り、規模としては池袋のジュンク堂と双璧をなす立派な書店だったのだが、時代の流れには勝てなかった、ということなのだろう。

紀伊國屋の撤退”というニュース自体は随分前にリリースされていたから*1、この日が来ることは覚悟していたとはいえ、改めてその日を迎え、実際に足を運んで店内のあれこれを見回すと、やっぱり物悲しい気分になる*2

できたばかりの新宿サザンテラスをぶら歩きしてピカピカの内装に感動したところから始まり、地方赴任時、上京するたびに足を運んだこととか*3、初めて「知財の本」を手にしたこととか*4、両手に持ち切れないくらいの本を買いあさってストレスを発散したこととか*5、個人的な思い出を数え上げたらキリがない。

正直に白状すれば、自分自身、ここまで足を運んで本を買う機会は年々減っていたし、特に数年前に法律書のスペースが大幅に縮小されてからは品揃えが微妙になったこともあって*6Amazonや他の書店への乗り換えをしていたのも事実なのだが、それでも四半期に一度「L&T」を買いに行くくらいの付き合いはあったから*7、閉店間際のスカスカになった5階奥の方の書棚を見たら、やはり胸にグッとくるものがあった。

よく「インターネットで買えるんだから、街中の本屋なんていらないでしょ」的なことを言っている人を見かけるが、自分は、“品揃えが良くて気軽に入れる書店”が街中にどれだけあるか、というのが、その土地の文化の豊かさを如実に表していると思っていて、そういう存在がなくなってしまったら、その国、その土地の文化は死んだも同然、とすら思っている*8

世間の評判に惑わされることなく、手に取ってパッと一読して(専門書なら“はしがき”にも目を通して)本当に必要なものだけを買える、ということももちろん大事なのだが、もっと大切なのは、「買う予定のなかった本との偶然の出会い」で、特定の分野で、探していた本の隣にあった本の方が気に入ってそのまま買って帰ってきたことは普通にあるし、たまたま通りがかったエリアに積んであった書籍のカバーに魅かれて、全く買うつもりのなかった新書やら経営書やら歴史書やら娯楽小説やらを“ついで買い”したことも数えたらキリがない*9

ちょっと視点を周りに向けることで、偏狭な自分の趣味関心以外の世界に踏み出すきっかけを得られる。
そんな貴重な空間だからこそ、時代の流れにかかわらず残さなければいけないし、育てなければいけない・・・。

今回の閉店は残念なことではあるが、「在りし日」を語って惜しむだけではまた別の歴史の幕が下りるだけになってしまうので、ささやかながら行動で、明日からできることをしよう、と思った次第である。

*1:そして、その直後に新しいテナントが北の家具屋、というニュースを聞いて、随分がっかりさせられたものだ。

*2:ちなみに店内には「新宿の紀伊國屋書店の歴史」を象徴するようなパネルが展示されていたが、まさか新宿本店まで撤退、ということはないよな・・・とちょっと不安になった。

*3:当時住んでいた地域に法律書が揃った書店は皆無だった・・・。

*4:決して忘れない、田村善之先生の「著作権法概説」と「商標法概説」(いずれも第2版)。

*5:そのまま積読になっている本も数知れない。

*6:同じ紀伊國屋書店でも、地方大都市のお店の方が雑誌のバックナンバーも含めて品ぞろえが良いように思えることすらあった。

*7:「L&T」を置いている店は都内でも相当限られている。

*8:その文化の担い手を、小さな書店に求めるべきなのか大きな書店に求めるべきなのか、という問題はまた別に存在するのだけれど、このエントリーの主題からは外れるので今日は触れないでおく。

*9:紀伊國屋の新宿南店に関して言えば、元々、店の構造が3階フロアの“レコメンド”エリアに必ず立ち寄らざるを得ないようになっているし、自分もちょっとでも何か引っかかればパラパラめくるようにしていたので“ついで買い”する機会も他の店よりは多かったような気がする。

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