20年の時を超えた「Jリーグ」の奇跡。

気が付けば、もう20年・・・だそうである。

毎年この時期になると、当然のように始まり、国際大会を挟みつつ、間断なく秋(冬)まで続いていく・・・というカレンダーに慣れきってしまったせいもあって(&贔屓のチームがここ数年、ずっと下部リーグでもがいていることもあって)、「開幕」といっても今やそんなに特別な感慨はない。

だが、1993年、この国で初めての「プロサッカーリーグ」の幕が開けた頃のことは、今でも鮮明に覚えている。

西が丘とか秋津、といったこじんまりとしたスタンドに、ささやかな応援を繰り広げる会社関係者と、たまたま何かのついでに立ち寄っただけの近所の老若男女・・・という感じの観客しかいなかった*1JSL時代の雰囲気こそが“サッカー観戦”のデフォルトだと思っていた自分にとっては、テレビ画面の向こうで、キラキラしたユニフォームに身を包み、スタンドを埋め尽くした観衆の下、カクテルライトに照らされながら、選手たちが艶やかにフィールドを駆け巡っている・・・という現実が、まるで別世界の出来事のように思えたものだった*2


ネット上で偶然見つけた「Jリーグ開幕戦(1993年)メンバーリスト」という貴重な資料*3がある。
http://www.jsports.co.jp/football/jleague/blog/staff-blog/-1-gk-2-df-3-df-4-df/

そこに乗っている各開幕カードの中で自分の記憶に残っているのは、名実ともに「幕開け」となった横浜マリノスヴェルディ川崎の一戦と、ジーコアルシンドが爆発して今日に至るまでの“伝説”の第一歩をしるした鹿島アントラーズ名古屋グランパスの一戦くらいだし、「記憶に残っている」といっても、自分の人生の半分の期間さえ優に上回る「20年」という歳月を経てしまった今、その記憶は断片的なものでしかない。

テレビに張り付いて見ていたはずのマリノスヴェルディ戦ですら、良く覚えているのは、記念すべきゴール第1号を、ヴェルディのマイヤー、というアフリカ系オランダ人選手が豪快なミドルシュートで決めたシーンくらいで、その後、マリノスを逆転勝利に導いたのが、エバートンラモン・ディアスという名門の助っ人たちであったことはすっかり忘れていたし*4、あの日の入場者数が60000人に迫ろうか、という、今見ても凄い数字、だったことも、記憶からすっぽり抜け落ちていた。

でも、あの頃、これまでにない新しい何かが始まろうとしている・・・という興奮で胸が高鳴っていた、ということだけは、今でも昨日のことのように思い出すわけで・・・。


今でこそ、ナショナルチームが“W杯に出て当たり前”というレベルになり、プロリーグも当然のごとく用意されているような感覚を抱かせてくれるようになったこの国も、当時は、“W杯を知らない”小さなアジアの島国だった。

Jリーグ開幕年の最後の最後で起きた“悲劇”とそれに伴う「世界」の強烈な刺激が、“寝ても覚めてもサッカーから目を離せない”自分のようなフリークを生み出したことは否定しないが、純粋にリーグ運営、という観点から言えば、あれが、開幕直後の“Jリーグバブル”を早々と冷やすきっかけになってしまったことは否めないし、98年W杯に初出場した直後にも、折からの不景気のあおりで、「フリューゲルス消滅」といった、リーグの在り方そのものを揺るがすような出来事があった。

一度やり始めたら、いい意味でも悪い意味でも“あきらめない”日本人のことだから、20年くらい続くのは当然・・・と思っている人も多いのだろうけど、スポーツ文化が必ずしも根付いているとは言えないこの国で、「20年」運営を続けるというのがいかに大変なことか、というのは、他のプロスポーツと比べれば一目瞭然。

だからこそ、今年は、例年と同じように繰り広げられる“恒例行事”であっても、惰性で眺めるだけでなく、一つひとつの勝負を楽しみながら、この奇跡を噛みしめられるようにしたいなぁ、と思った次第である。

*1:もっとも、熱心に試合を見ている一部の人々は、非常に目が肥えていて、その会話に聞き耳を立てるだけで“サッカーを知る”ことができるような気がしたものだ。

*2:とはいえ、いざスタジアムに足を運んでみると、慣れないチアホーンを手に、どう応援したらよいのか分からずに戸惑っているうぶな観衆たちがその空間を構成していることに気づき、そんなに変わらないなぁ・・・と安心したのであるが。

*3:ちょうど一年前の開幕の頃に書かれたエントリーのようである。

*4:マリノスが逆転勝ちした記憶は辛うじて残っていたが。

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