何が彼女を追い詰めたのか?

ある公立大学の准教授に対して行われた懲戒免職処分が、いろいろと物議を醸しそうだ。

群馬県高崎市立高崎経済大は9日、宿題をめぐる強圧的指導で、経済学部二年生だった女子学生(当時20)を自殺に追いやったとして、同学部の男性准教授(38)を9日付で懲戒免職処分にした、と発表した。」
「同大によると、准教授は2006年度後期、2年生のゼミナール「基礎演習」を担当。昨年7月ごろ、受講した3人の学生に社説の要約や経済学の演習問題5題を宿題として課した。准教授は女子学生に対し「提出が遅れれば、留年させる」とメールで通告したことがあったという。」
(2007年4月10日付朝刊・第34面)

結果、「留年することは分かっています。人生もやめます」とメールで伝えて、女子学生が渡良瀬川に入水自殺してしまったことで、同大の調査委員会が「一要因に准教授の留年通告がある」「宿題を提出しなければ留年というのは強圧的で教育としてまともなものとはいえない」という見解を出し、准教授に処分が下されることになった。



このニュース、「必修科目での課題の未提出や試験不合格があった場合には、容赦なく「落第」の制裁が下されるのが当たり前だった某大学某学部の出身者」である筆者としては、容易には理解しかねるものであって(しかも「留年」そのものが忌避されるものではなく、一種の“美徳”のようになっている学部だったのでなおさら・・・)、本当にこの理由だけで懲戒免職になってしまうのであれば、大学教員なんてとてもじゃないがやってられないだろう・・・と思ってしまう*1


もしかすると他に原因があるのかもしれないし、この少子化、大学間競争激化時代に「学生に優しい」大学であることをアピールする意図もあったのかもしれないが*2、大学というのは本来、1から10まで構成員の「自己責任」で運営されるべきもので、そこに「自由な空間」としての大学の魅力もあるわけだから、学生を過度に“かわいがる”ことは大学が持つ本来の魅力を減殺してしまうことにもなりかねない。


「ナイーブ」な時代を象徴するような事件とはいえ、いろいろと首を傾げたくなるようなニュースである。



なお、「死」という事実は、その人を取り巻く人間にとっては相当の衝撃をもって受け止められることであるが、生き続けることに理由がないのと同じように、自ら死を選ぶことにも大きな理由はないのかもしれず、その意味で、当の本人にとっては、周囲が思うほど生と死の境界線は大きなものではないのかもしれない。


それが、現実に大事な人を失ってしまった自分が今抱いているささやかな感想である。

*1:もし、そうであるとしたら、裁判所で争えば、准教授側は確実に懲戒処分の取消判決を得られるはずだ。

*2:なお、11日付のフジテレビの報道によると、高崎経済大では昨年3人の自殺者を出しており、大学側も相当、環境を問題視していたようである。