たかが12万、されど12万。

北朝鮮映画の無断放映をめぐる著作権侵害事件の判決が昨年末に出された。


原審と同様に著作権侵害を否定しながらも、控訴人(原告)が予備的に追加した不法行為に基づく損害賠償請求を一部認容する、というアッと驚くような展開である。


一昨年末に地裁判決が出た時に、本ブログでは「北朝鮮の映画が、著作権法6条3号所定の保護を受ける著作物に当たらない」という判断に疑義を呈しつつ、

「我が国において北朝鮮の著作物を保護する必要性が生じたとしても、報道目的等の利用を除けば、アタリがでることはそんなにはないはず。」
「その一方で、我が国のコンテンツがかの国で保護されない、となったとすれば、潜在的に何らかの損害が出ることは覚悟せねばなるまい。」
知財高裁で、このような憂いを払拭してくれるだけの、心地よい結論が出されることを切に願うのみである。」

と述べていたのだが*1、日本のテレビ局にしてみれば余計に“心地悪い”判断になってしまった今回の知財高裁判決を、以下でご紹介することにしたい。

知財高判平成20年12月24日(H20(ネ)第10011号、第10012号)*2

控訴人(1審原告) :朝鮮映画輸出入社
被控訴人(1審被告):有限会社カナリオ企画
訴訟引受人 :株式会社フジテレビジョン
脱退被控訴人(1審被告):株式会社フジ・メディア・ホールディングス*3


裁判所は、著作権に基づく差止・損害賠償請求の準拠法を日本法、と決定した上で、本件映画が我が国の著作権法上保護されるかどうかについて、原判決をなぞりつつ、以下のように判断した。

「そこで検討するに,国家承認の性質及びその国際法上の効果については,これを定める条約及び確立した国際法規が存在するとは認められない。そして,証拠(略)によれば,我が国は,北朝鮮を国家承認していないが,国家承認の意義については,ある主体を国際法上の国家として認めることをいうものと理解し,また,国際法上の主体とは,一般に国際法上の権利又は義務の直接の帰属者をいい,その典型は国家であると理解されていること,我が国政府は,北朝鮮を国家承認していないから,我が国と北朝鮮との間には,国際法上の主体である国家間の関係は存在しないとの見解を採っていることが認められる。当裁判所は,日本国憲法上,外交関係の処理及び条約を締結することが内閣の権限に属するものとされている(憲法73条2号,3号)ことに鑑み,国家承認の意義及び我が国と未承認国である北朝鮮との国際法上の権利義務関係について,上記の政府見解を尊重すべきものと思料する。そうすると,未承認国である北朝鮮は,我が国との関係では国際法上の法主体であるとは認められず,国際法上の一般的権利能力を有するものとはいえない。
「以上を前提とすれば,原判決が,未承認国は,国際法上一定の権利を有することは否定されないものの,承認をしない国家との間においては,国際法上の主体である国家間の権利義務関係は認められないと判断したことは相当であり,この判断が国際法の解釈を誤ったものであるとする控訴人らの主張は採用することができない。」
(12-13頁)

結論としては、原審同様に、本件映画の著作権法6条3号(「条約によりわが国が保護の義務を負う著作物」)該当性を否定し、著作権侵害に基づく原告(控訴人)側の請求を退けたわけだが、最後に国際法の教科書に触れたのがいつだったか思い出すこともできない(一応必修だったから単位は取ったはずだが・・・(苦笑))筆者が、これ以上この争点に踏み込んでも仕方ないので、ここでは判旨を引用するにとどめておくことにする。

「一般不法行為責任」が肯定された、という事実の重さ。

さて、本判決の最大のポイントは、著作権侵害に基づく請求を退けた先の判断(一般不法行為に基づく損害賠償請求に関する判断)にある。


知財高裁は、本件映画について、

(1)本件映画は2時間を超える劇映画であり,その内容等(略)に照らし,相当の資金,労力,時間をかけて創作されたものといえるから,著作物それ自体として客観的な価値を有するものと認められる。
(2)北朝鮮文化省は,控訴人輸出入社が北朝鮮映画の著作権保有するものであるとしている。
(3)控訴人輸出入社は,本件映画のオリジナルフィルムを所有し,その複製物を控訴人カナリオ企画に提供している。
(4)控訴人輸出入社は,本件映画著作権基本契約の対象でもある1972年に製作された劇映画「花を売る少女」について,著作権者としてフランスの映画会社と版権の売買契約を締結し,その複製物を同映画会社に提供している。

といった事実から、控訴人輸出入社が「北朝鮮国内において本件映画を独占的に管理支配していたものと推認することができる」とした上で(17頁)、

(5)控訴人カナリオ企画は,本件映画著作権基本契約に基づき,控訴人輸出入社から本件映画を含む本件各映画著作物について,日本国内における上映,複製,頒布及び放送についての独占的な許諾権を付与され,本件映画の複製物の提供を受けていたこと
(6)本件映画が上記のとおり著作物として客観的な価値を有するものであり,経済的な利用価値があること
(7)控訴人カナリオ企画は,別紙一覧表のとおり放送局に対して本件各映画著作物に属する作品の放送を許諾することにより現実に利益を得ていたこと

を考慮して、「控訴人カナリオ企画が上記地位に基づいて本件映画を利用することにより享受する利益は,法律上の保護に値するものと認めるのが相当である。」(18頁)とした。


そして、テレビ局が無許諾放映を行ったことについては、

(1)本件映画は,控訴人カナリオ企画が管理支配をしているそれ自体が客観的な価値を有し,経済的な利用価値のある映画であり,その製作に当たっては相当の資金,労力,時間を要したものであること。
(2)控訴人カナリオ企画は,北朝鮮ベルヌ条約に加入した後も,控訴人輸出入社から利用許諾を得た本件各映画著作物に含まれる作品について,別紙一覧表のとおり,テレビ番組における放映を許諾し,使用料を得ていたものであり,本件映画についても,同一覧表「放送者名」欄記載の放送者に対しては利用許諾をすることにより使用料収入を得られる作品であると推認できること。
(3)控訴人カナリオ企画は,本件無許諾放映により本件各映画著作物に含まれる作品のビデオカセット及びDVDの販売ができない状況になっていること。
(4)本件無許諾放映は,報道を目的とするニュース番組の中で行われたものであるが,脱退被控訴人にとってはスポンサー収入の対象となる営利事業であること
(5)本件無許諾放映の時間は128秒間であり,本件映画全体の上映時間からすれば,わずかな一部の利用といえなくもないが,約6分間のテレビ番組中で2分間を超える放映をすることは,それ自体としては相当な時間の利用であるといえること。

といった事情に照らし、

「脱退被控訴人が控訴人カナリオ企画に無断で営利の目的をもって本件無許諾放映をしたことは社会的相当性を欠く行為であるとの評価を免れず,本件無許諾放映は,控訴人カナリオ企画が本件映画の利用により享受する利益を違法に侵害する行為に当たると認めるのが相当である。」(19頁)

という評価を下したのである。


古くは木目化粧紙や車のデータベースに始まり、最近ではヨミウリオンライン(YOL)から「通勤大学」に至るまで、「知的財産法」による保護を超えたところで不法行為の規律が働くかどうか、というのは大きな問題とされ、本件でも、テレビ局側は

著作権法とは別個に一般不法行為を認めることは、立法府が許容することとした行為まで禁圧することとなり、法の意図に反し、かつ、表現の自由を保障した憲法上も重大な疑義がある。」

と激しく反論したのであるが、知財高裁はこの問題に対し、

「著作物は人の精神的な創作物であり,多種多様なものが含まれるが,中にはその製作に相当の費用,労力,時間を要し,それ自体客観的な価値を有し,経済的な利用により収益を挙げ得るものもあることからすれば,著作権法の保護の対象とならない著作物については,一切の法的保護を受けないと解することは相当ではなく(なお,被控訴人は,著作権法により保護されない著作物の利用については不法行為法上の保護が及ばないとするのが立法者意思である旨主張するが,かかる立法事実を認めることはできない。),利用された著作物の客観的な価値や経済的な利用価値,その利用目的及び態様並びに利用行為の及ぼす影響等の諸事情を総合的に考慮して,当該利用行為が社会的相当性を欠くものと評価されるときは,不法行為法上違法とされる場合があると解するのが相当である。」(19頁)

という回答を示すことで、テレビ局側の主張を退けている。


「著作物性を欠く」という理由で著作権法による保護が否定された場合とは異なり、「国家間の関係ゆえ条約上の保護が否定される→著作権法上の保護も否定せざるを得ない」という本件においては、“著作物”そのものの財産的価値は、通常保護を受けられる場合と変わらないのであるから、上記の理屈で行くならば、当然に不法行為による救済も肯定されることになろう。



そして、裁判所は続けて、

「脱退被控訴人は,平成15年2月11日放送の「スーパーニュース」における北朝鮮制作映画の使用について,控訴人カナリオ企画に使用許可を求め,その対価として18万9000円(税込み)を支払った(略)。しかし,北朝鮮ベルヌ条約に加入したことに伴い,文化庁が我が国は北朝鮮に対しベルヌ条約上の保護義務を負わないとの見解を表明したことから,今後は同見解に従い,北朝鮮著作物について何らの制限や留保条件もなく使用する旨を控訴人カナリオ企画に通告したことが認められる(略)。」(19-20頁)

という本件の特殊な経緯を具体的に認定することで、

「脱退被控訴人は北朝鮮著作物の有する経済的価値を認めていたものの専らベルヌ条約の解釈のみに依拠して本件無許諾放映に及んだものであるから,少なくとも過失があることを免れることはできないものというべきである。」(20頁)

と、過失の存在を肯定している。



文化庁が「保護義務を負わない」という公式見解を出した以上、テレビ局側がそれに飛びつくのも無理はない話で*4、それをもって「過失がある」とされてしまうのはちょっとの気の毒な気もするが、

「日本と北朝鮮間で相互に著作権の保護関係が発生するまでは、当該映画を、弊方の必要に応じて、なんらの制限も留保条件もなく使用することが可能であることになります。」と回答しているフジテレビと、「報道・引用」の範囲内である、という主張も一応行った上で、政府見解とは別に独自に北朝鮮著作物の取り扱いに関する協議を行っている旨を伝えているNHKの対応(20頁)の違いは、なかなか興味深い。
いずれの対応にも、賛否両論あるところだろうが、他者に対して著作権を振りかざす側に立つこともある放送メディアとしては、謙抑的なスタンスを採るほうが賢明なのではないか、老婆心ながら思ったりもする。

という本ブログでの過去のコメントを見返すならば、やっぱり・・・といわざるを得ない*5


そして、以上の結果として、民訴法248条に基づき損害額10万円+弁護士費用2万円の計12万円の損害賠償の支払いが命じられることとなった*6



たかが12万円、されど12万円。


多種多様なコンテンツを日常的におカネで処理しているテレビ局としては、この程度のお金を支払うことは何てことないことなのかもしれないが*7、それでも、「報道における映像使用でも対価を支払わなければならない」という先例を残してしまった点においては、決して良い話とはいえないだろう。



結局、著作権法41条の規定趣旨が顧みられることのなかった本件訴訟に、筆者としては、どうしても後味の悪さを感じざるを得ないのであるが・・・

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20071227/1198948773参照。

*2:第4部・田中信義裁判長。両事件とも判旨は共通しているので、以下では第10011号を対象とする。http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090109151003.pdf

*3:旧・株式会社フジテレビジョンの会社分割に伴い、訴訟当事者が交替している。

*4:これは「ローマの休日」や「シェーン」とも同じ構図と言えよう。

*5:そもそも、もし本件訴訟でフジテレビが41条に基づく主張を積極的に行っていれば、「本件無許諾放映の時間は128秒間であり,本件映画全体の上映時間からすれば,わずかな一部の利用といえなくもないが,約6分間のテレビ番組中で2分間を超える放映をすることは,それ自体としては相当な時間の利用であるといえる」などという認定がなされることもなかったのではないか。

*6:控訴人(原告)側は、「許諾料相当額の損害」を主張したが、さすがに「著作権法による保護が認められない本件映画について、著作権の認められる著作物と同様の損害を認めることは相当ではない」(20頁)と退けられている。もっとも、平成15年に同じ番組でフジテレビが本件映画を使用した際に支払った額は18万9000円だったから、額としては決して低い額ではない。

*7:不法行為」が根拠とされている以上、映像の使用が差止められる可能性は低いので、それで良い、という考え方もありうる。

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