一日に二試合の延長戦。しかもそれを全部ひとりで投げきった世界の鉄腕、上野由岐子投手。
3位決定戦では、あと一人でゲームセット、の場面から同点に追いつかれ、タイブレークに入って一度は勝ち越されたものの、相手の拙守にも救われてすぐさま同点に。冷や冷やさせられながらも最後は劇的なサヨナラ、と視聴者を湧かせるツボも心得ている*1。
日本ソフトボールチームの奮闘は、ここ数大会の五輪の風物詩のようになりつつあるが、今大会は、「これが最後の五輪の舞台になるかもしれない」というドラマ性もあるから、明日の米国戦は、再び全国の視聴者を釘付けにすることだろう*2。
だが、昨日のエントリーの続きで言えば、
「昨日も上野、朝も上野、夜も上野、明日も上野」
なんてメチャクチャなことは、五輪という舞台で必死になることが許される「ソフトボール」だからこそできることで、これが高給取りのプロ選手を揃えた野球チームだったら、とてもじゃないが無理だ。
五輪でもWBCでも、ダルビッシュ、ダルビッシュ、一日空けてダルビッシュ(ダルビッシュを松坂大輔に置き換えてもよし)、なんてローテーションは、彼らがどんなに調子が良かったとしても許されないだろうし、そこに、「競技」を生業とすることができるメジャースポーツと、そうでないマイナースポーツの違いがある。
たぶん斉藤監督は、明日も“鉄腕”上野投手を米国戦で使ってくるのだろう。
おそらくは、本人も腕が千切れてもいい、っていうくらいの思いでいるのだろうし、苛酷な連投の代償で、来年以降のシーズンを棒に振るようなことになったとしても、五輪の金メダルが取れるのであれば、それで悔いはない、ということになるのかもしれない。
結果がどうなろうが、そういう必死さは間違いなく見るものの心を打つ。
だが・・・
スポーツ競技の、そしてそこで戦う選手達のあり様としてみたときに、4年に一度の舞台でしか輝きを放てない選手たちが果たして幸福な競技者と言えるのか?
今、頂上を目指している彼女達に対してかけるべき言葉は一つしかないが、いつか、“五輪の風物詩”としてだけでなしに、彼女達が個々のプレイヤーとして多くの人から純粋に評価されるような環境が整えられることを、自分は願う。