どうしようもない喪失感。されど・・・。

それは、「一つの時代が終わった」なんて簡単な言葉で片づけるには、重すぎるニュースだった。

フィギュアスケート男子の羽生結弦(27)=ANA=が19日、東京都内で記者会見し、競技の第一線を退く意向を表明した。「競技会に出るつもりはない」と話し、今後はプロとしてアイスショーなどを中心に活動する。」(日本経済新聞2022年7月20日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ)

本来なら、すべての競技者がメダルの色を競う4年に一度の舞台なのに、彼だけがただ一人、別の次元で戦い、歓声を浴び続けていた今年2月の北京。

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そして「ただ一人違う世界線というのはあの大会に限ったことではなく、ここ数年、彼が滑る試合ではずっとそんな感じだった。

だから、このタイミングで「競技の第一線を退く」というのも全く意外な話ではないし、とうとうこの日が来てしまったか、というのが、彼を見てきた多くのファンの思いだろう。

ただ、自分はこのニュースを目にした瞬間から、「どんなアスリートでもいつかは…」といったありきたりな言葉では割り切れない喪失感にさいなまれているし、彼がいない2022-2023シーズンが始まれば、その思いはより強くなるだろうな、という気もしている。

思い返せば、まだ10代半ばの羽生選手が世界の舞台に飛び出してきたのを一目見て、思わずこのブログ「特筆」したのは、かれこれ12年も前のことだった。

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その時の彼のイメージは、線の細い純真無垢な表現者。だが、その翌年に東北を襲った災厄は、彼の滑りに全く異なる熱量を与えた。

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”不死鳥”の勢いが、伸び盛りの青年の成長ストーリーを神話にまで昇華させた2014年・ソチ。

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改めて自分の書いたものを眺めると、当然ながらその過程ですら一緒に並んで出てくる選手たちの顔ぶれはどんどん移り変わっているし、今現役の選手たちと見比べると、「大昔」と言いたくなるような世界ですらある。だが、その頃から時空を超えて、羽生結弦という選手は競技を代表する選手として第一線で戦い続けていたし、試合に出ているときはもちろん、出ていない時ですら、大きな「存在感」を感じさせる選手であり続けた。

報道記事的に構成すれば、彼の実績は、「2014年、2018年の五輪連覇に同年の国民栄誉賞とシンプルにまとめられてしまう。

あえてそれに付け加えるとしても、2度の世界選手権優勝、6度の全日本選手権優勝、というフレーズくらいしか出てこないのかもしれない。

だが、このシンプルな結果の行間、特に2014-2015シーズンから平昌五輪に至るまでの苦闘の道のりや、五輪を連覇した後の一種悟りを開いたかのような表現者としての姿を画面越しであれ見てきた者としては、残した結果以上に超越したアスリートだったな、という思いしか出てこないし*1、だからこそ、普通のアスリートの引退報道と同じように今回の会見を報じたメディアには、がっかりさせられたところもある。

そして、そんな中、羽生選手が残してきた演技の意義、価値を見事なまでに書き記してくれた日経紙のスポーツ面は、やはり別格だった。
特に自分の心情に見事にヒットし、涙腺を刺激したのは、以下の引用中の最後の2つの段落である。

「五輪2連覇、グランプリ(GP)ファイナル4連覇、ジュニア・シニアの主要国際大会全制覇の「スーパースラム」達成――。輝かしい戦績は他の追随を許さないが、羽生が放つまばゆいばかりの光の源泉は、毎シーズン、毎試合付加されていく起伏に富んだストーリーにこそあるように思えてならない。」
「羽生の成長と14年ソチ五輪優勝に、人々は東日本大震災からの復興の歩みを重ね合わせた。18年平昌五輪前には右足首にけがを負い、ぶっつけ本番で現地のリンクに登場。劇的な形で五輪2連覇を成し遂げた。」
「今年の北京五輪でもけがと戦いつつ、世界で誰も成功したことがない「クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)」をテーマに定めた。着地を決めることはできなかったが、試合後は「挑戦しきった、自分のプライドを詰め込んだ五輪だった」と振り返った。」
「表彰台の真ん中は、羽生とは違うアプローチで競技にまい進したネーサン・チェン(米国)に譲った。それでも北京の地まで羽生が紡いできたストーリーに国境を超えて多くの人が没入し、最後まで主演の座は譲らなかった。」
スコアという数字で表される競技者としての力量。そして見ている者の情感を揺さぶる表現者としてのスター性この2つを高い次元で融合させてきた羽生が競技から去ることは、一つの時代の終幕を意味する。」
強いスケーターはこれからもきっと現れる。ただ、羽生が果たしてきたアイコニックな役割を代演することは困難だろう。折も折、チェンも学業優先のため競技を一時離れることを表明している。後世に立って振り返ってみれば、2022年はフィギュアスケートという競技そのものの大きな転換点になっているのかもしれない。」(日本経済新聞2022年7月20日付朝刊・第41面、木村慧氏執筆)

どんなに英雄視された名選手でも、いつかは必ずそれを乗り越える者が出てくる、というのがこの世の定めとはいえ、この先、自分が生きている間に、羽生選手を超えて心を揺さぶってくれるようなフィギュアスケート選手を目にすることができる自信は全くない。

そして、あてもなく「新しいスター」に期待するよりは、何年かの時を経て、再び羽生選手が競技者としてリンクに戻ってくる日を待つ方が、健全なことであるかのようにすら思える。

万が一、の舞台が2030年の札幌だったら、あまりに出来すぎたドラマ、ということになるのだが、果たしてどうなるか。
少なくとも微かな希望は捨てずに持っておきたい、と思っているところである。

*1:ソチ五輪以降も、フィギュアスケートの主要な大会を見る機会はそれなりにあったが、羽生選手が出ている大会は、追い立てられる者の悲壮感が切なくて文字化できないことも多かったし、逆に出ていない大会はなんか物足りなくて筆が進まない、ということが多くて、結果この競技にブログで触れる機会自体がかなり減ったような気がする。

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