北京五輪・敗者の掟(その2)

なでしこジャパンの奮闘が、ここ数日静かに話題になっている。


本来この時期、お茶の間をわかせていなければならないはずの陸上陣やバレーボールチームが散々な結果に終わっていることもあり、卓球だとかレスリングだとかいったマイナー競技が、ゴールデンタイムにテレビ中継を“勝ち取る”シーンが目立っている。


そんな流れのなか、昨日夜10時から堂々とお茶の間の主役を張った「女子サッカー」も、間違いなく今大会の「勝ち組」と言えるだろう。


五輪の場合、予選リーグを突破してベスト8に入っても、そこで負けてしまえば試合数は1つ増えるだけで終わってしまうが、一つ勝てば、準決勝に負けても3位決定戦、と2粒美味しい経験を積むことができる。


閉幕までカウントダウンが始まっているようなこの時期に、五輪のサッカーで自国の代表を見られるなんて、なんと幸せなことか*1


次、勝とうが負けようが、自分はただ感謝せずにはいられない。

男子サッカー

で、そんな“なでしこ”とはうって変わって、見せ場らしい見せ場もないままに、五輪の舞台からフェイドアウトしてしまったのが、我らが“反町ジャパン(笑)”。


元々本気で期待していた人はそんなにいなかっただろうから、たいした自慢にもならないのだが、「3戦全敗」というのは、最終予選の最終戦の時点で予見できた結果だ*2


期待した「大幅な血の入れ替え」は、確かになされたのだが、もっとも入れ替えが必要だったはずのFW陣は、李忠成岡崎慎司といった“宇宙開発事業団職員”が、相変わらず入れ替わり立ち替わりフィールドに登場していたし、イタリアからわざわざ呼び寄せた森本貴幸選手の良さも、結局引き出すことができずに日程を終えることになってしまった*3


元々の競技人口や諸外国の選手層の厚さの桁が違う女子チームと比べたのではあまりに気の毒だし、大久保の派遣拒否、遠藤の病気とオーバーエージ枠を使うことがままならなかった“不運”もある。


強化日程にJリーグが配慮してくれなかった、という恨み節も、あちこちで伝え聞くところだ。


だが、五輪の舞台にふさわしいFWは、大久保嘉人選手しかいなかったのか?
メンバー選考時に、元々持病持ちの遠藤選手を招集するリスクを何ら考慮していなかったのか?*4


チームの核になる選手がいなかった、と言うが、それなら2年前から守備陣の核になっていた伊野波選手や青山直晃選手を何で外してしまったのか?*5


策士として知られる反町監督ではあるが、今回ばかりはちょっと策に溺れすぎたんじゃ・・・?というのが、素人がみたときの素直な感想である。



ちなみに、メディアというのは残酷なもので、以前のエントリーで述べた3つのパターンにあてはめるなら、今大会の男子サッカーは、よくて、

(1)「残念でした」と一声かけるが*6、大会のハイライト映像からは削除。

実際のところは、限りなく

(3)無視。

に近い状況といえる。


アトランタ五輪のときなどは、“チームの隠された秘話”を描いた金子達仁氏が一躍著名ライターへの階段を駆け上がる、なんておまけもあったが、仮に今大会の代表チームに関して、無名のライターが何か記事を書いたとしても*7、さして話題になることもなく消えていくだろう。


それっくらい、今回の五輪での男子サッカー代表は影が薄いし、勝ち負けが注目されることもなかった。



正直言えば、敗れた彼らのことを「敗者」と呼ぶのは少し抵抗がある。


五輪日程を終えて帰国した彼らを待ち受けていたのは、その週末に行われるJリーグの試合で、多くの選手はレギュラーとして早速試合に出ている。


マイナー競技であれば、惨敗の場合はもちろん、入賞やメダル、といった輝かしい成績を収めても、「これから先どうやって競技を続けていこうか」という心配をしなければならないところだが、幸か不幸か、若きサッカー五輪代表の選手達には、そんな心配はほとんど無用、といって差し支えない。


創設から既に15年を経たJリーグは、一応の安定期を迎え、その日程は毎年のカレンダーに組み込まれるようになった。海外移籍のような大きな変化も時には訪れるが、そういった“イベント”がなければ、淡々と“仕事”としてサッカーを続けられる、そういう環境に選手達はいる。


しかも最近では、ユースから順当に昇格してくる選手たちも代表に多く入っているから、なおさらだ。


アトランタ(96年)の時のような、草創期のリーグでプロに成り立ての新鮮さや、久々に代表チームが世界の大舞台に復帰した、という感動が選手達に欠けていることが、今回の淡白な結果につながった、そういう見方もあろう。


絶望的な点差を付けられても、後半のロスタイムに執念の1点を返す。


女子代表のそんなシーンには、自分も心を打たれたが、今大会の男子の代表には、そんな雰囲気を見て取ることは到底できなかった*8


だが、五輪の舞台では“感動”を与えられない「敗者」でも、アスリートとしては彼らは間違いなく恵まれた勝ち組に属する。


勝ち組の中の勝ち組、といえる、メッシのような選手が、五輪の舞台で躍動しているのを見ると、我らが代表に物足りなさを感じるのは当然のことといえようが、かといって、五輪で見せ場を作らなければ競技環境自体が揺らぐ、といったような追い込まれた状況で、選手達に“活躍を強いる”ことがいいことだとも思わない。


それゆえ、前大会に引き続いてメダルラッシュに沸く日本選手団の中で、いつのまにかフェイドアウトした我らが五輪代表を思い出すたび、複雑な気持ちになるのである・・・。

*1:東京、メキシコ五輪を記憶している世代ならともかく、自分らの世代にとっては全くもって未知の体験である。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20071121/1195664906

*3:終戦の後には、相当な確執を感じさせるような出来事もあったようで、彼の今後の代表チームに対するロイヤリティが下がってしまわないか懸念されるところだ。

*4:この点については、4年前の高原選手招集断念の反省が全く生かされていない。

*5:確かに長友選手や森重選手、吉田選手といった選手は伸び盛りだし、実力的にも外された選手たちを上回るのかもしれないが、“チームの核”という要素を勘案したときに、あの選手選考が賢い選択だったのか、疑問も残るところだろう。

*6:それもごくごく軽い一声

*7:伝え聞くところによると、まぁ何もなかったわけではないらしい。

*8:アトランタ五輪の時は、予選リーグの最終戦で終了間際に2ゴール、という奇跡のような逆転劇があったが、それも今は昔である。

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