コンフェデは眠れる日本代表の目を醒まさせたのか?

歓喜と悔しさが入り混じった南アフリカW杯の記憶は、今でもついこの前のことのように蘇るのに、早いものであっという間に3年。
1年後のW杯を控えるブラジルの地で、コンフェデレーションカップが開催された。

日本代表にとっても2005年のドイツ大会以来、2大会ぶりの出場、ということで、欧州、中南米の強豪国との久々のガチンコ勝負に、期待するところは大きかったのだが・・・。

結果は、見事なまでの3戦全敗。

コンディションが十分ではないまま臨まなければならなかった初戦で、勝利へのモチベーションもコンディションも極めてよかった地元ブラジルと対戦しなければならなかった、というのが、ある種の不運だったのは確か。
そして、2戦目以降は、イタリア戦で、ユーロ2012準優勝の相手を、あわや・・・というところまで追い込みかけたし、メキシコ戦でも前半の立ち上がりだけみれば、互角以上の見せ場を作っていた。

それゆえ、1勝もできなかったことへの罵声より、健闘を称える声の方が、日本国内では大きかったような気がする。

だが・・・


元々、プロサッカーの歴史では、海外の強豪国に大きな後れを取っていた国の代表ゆえ、強豪国と対戦してコテンパンにやられる、ということは、これまでにも多々あったことだし、決めるべきところで決められず、守るべきところで守り切れず、フィールド上の選手たちもテレビの前で見ている方も天を仰ぐ・・・というのも、昔から代表の試合を応援してきた人間にしてみれば、慣れきった光景ではあった。

でも、今回のコンフェデの3試合を見て感じたのは、これまでとはちょっと違う感覚。

ズタボロの敗戦を何度喫しても、次の瞬間には、「いつかJリーグが定着してレベルがもっと上がれば」とか「世界レベルで活躍できる選手がもっと出てくれば」という思いから「その次」への期待を抱き、「代表が世界で経験を積めばもっともっと強くなる」という言葉を信じて、代表チームを応援し続けることができたこの20年超の感覚は、この大会を眺めている間には、最後まで戻ってこなかった。

国内リーグのレベルはともかく、選手のレベルは、香川真司選手を筆頭に、欧州の主要リーグの上位チームで、主力として活躍できる選手を多数輩出するところまで既に来ている。

そして、代表チーム自体、試合中の攻撃陣の連携や、自陣内での堅実な守備など、場面場面を切り取れば、W杯の優勝争い常連国と遜色ないようなプレーを何度も見せられるようなチームへと変貌している。

もはや、「気合と根性」だけで世界に立ち向かい、運を天に任せて勝ち星を拾っていたような時代ではない。

それなのに、伴わなかった結果・・・。


日本代表が進化した以上に、世界の強豪国が進歩を遂げている・・・という現実はあるのだろう。
特に今大会のブラジル代表は、攻守のスピードといい、前後半、開始直後に機先を制し、終了間際にとどめを刺す試合運びといい、これまでにない凄味があった。

また、チームが進化したゆえの負け、という一面もあるのかもしれない。
世界が遠かった頃の日本代表なら、とことん守りに徹して、運が良ければドローに持ち込むことができた試合も一つくらいはあっただろうに、今大会では、ブラジル戦からメキシコ戦まで、前線の選手たちが果敢に攻めて、そして散った。

そう考えると、今回の苦い敗北は、進化のプロセスにおける通過儀礼のようなもので、あと1年あれば、世界を驚かせることも不可能ではない・・・ということもできるのかもしれないけれど、最終予選終盤から明らかになりつつある、レギュラーとそれ以外の選手の圧倒的な経験値の差、だとか、一向に冴えを取り戻せないザッケローニ監督の采配*1だとかを見ていると、希望を抱くことに躊躇せざるを得ないのも事実。

それでも、ちょうど今と同じような歩みをたどった挙句、ドイツで苦杯を舐めた中田英寿氏は、Number831号に掲載された特別寄稿の中で、以下のようなフレーズを残されている。

「来年のブラジルワールドカップで、彼らを出発点として、「日本のサッカー」が定義付けられることを願っている。そこから、強く、魅力的なサッカーを数十年続けてこそ、日本のサッカーは、国民に愛されるようになり、強豪国への仲間入りを果たすことができる。」
「『コンフェデで目が覚めた』 来年の今ごろ、今回の敗戦をそう語れるように、日本代表が進化していくことを心から祈っている。」(27頁)

中田氏が予言したように、1年後の結果が強豪国としての一里塚となるのか、それとも、沈滞or低迷の始まりとなってしまうのか。

今、確信を持って言えることは何一つないのだが、“予言者”に敬意を表し、もう少しだけ、希望を胸に声援を送り続けることとしたい。

*1:特にメキシコ戦の選手交代は、最後に中村憲剛選手が出てくるまで、何がしたいのか全く理解できない酷いマネジメントだったように思う。様々な意味で日本代表監督にふさわしい人物だったのは間違いないし、アジア杯優勝をはじめとするこれまでの実績は評価されて然るべきだろうが、“代表監督初経験”という事実がここに来て重くのしかかってきているように見える。

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