週明け早々から深夜に行われたカタールW杯ノックアウトステージ1回戦、日本対クロアチア戦。
「4度目の正直なるか!?」というメディアの煽り以前に、ドイツとスペイン、という優勝経験国を倒してトーナメント表上に席をつかんだ、というこれまでの経緯を踏まえれば、誰もが画面の前に食らいつくのは必定の理だった。
翌日は、午前中からいくつかの打合せの予定が入っていたのだが、そこに出てこられる方々の一様に眠そうなお顔といったら・・・。
午前3時、というのは自分にとっては普段の就寝時間だが、多くのまっとうな社会人にとってはそうではないのだ、ということを改めて思い知らされたエピソードでもあった*1。
結果は改めて書くまでもあるまい。前半先制、後半に追いつかれ1-1。延長戦30分の激闘の末、PK戦で最初の2人が止められてあっけなく敗北。
それだけ聞けば、12年前、全く同じパターンで決勝トーナメントに進出した末に敗れたパラグアイ戦と変わらないようにも思える。
だが、この2022年12月5日日本時間24時の試合を、自分はこれまでにない特別な感覚で眺めていた。
クロアチアの選手たちは確かに皆テクニックがあるし、タフに動き回ってフィジカルも強い。
ただ、この日の日本代表選手たちは、グループリーグの時以上にテンポ良く、自分たちのリズムで試合を運んでいた。
権田選手の安定したセービング、判断に迷いがない鉄壁の最終ライン、そして何よりも、地上戦ではほぼ負けない遠藤、守田という世界に誇る両ボランチが相手から面白いようにボールを奪取し、そこから繰り出されたパスが伊東、堂安といった稀代の攻め手のところにしっかり収まる。これまで散々批判に晒されていた鎌田大地選手も、これまででは一番動きがよく、良い攻撃の起点になりえていた。
だから、前半43分の先制点も、それまでの試合の流れの中で生まれた、という点で、今大会でのこれまでの得点の中では一番自然なものだったし、後半早々に追いつかれてからも、「何とか耐えてくれ・・・」と叫びたくなるような時間帯は、ほとんど訪れることはなかった。
結果的には、ABEMA解説の本田圭佑氏が「雑」と連呼していたクロアチア選手たちの敵陣へのロングフィードが、120分という長い時間の中でボディーブローのように日本選手たちの体力を蝕み、時間が経てばたつほど背番号20のDF、若干20歳のグバルディオル選手の存在感が増す、という展開の中で、日本が誇るスピードスターたちは敵陣ゴールの手前でことごとくチャンスを潰された。
ただ一方で、日本もいつものように三笘選手が存在感を示し、延長前半に自分の市場価値をさらにワンランク上げるような決定的な場面を演出する。何より、あのバロンドーラ―のモドリッチを「専守防衛」のポジションに追いやり、試合の最後までピッチに立たせなかった、というのがどれだけ凄いことか。
本当に「PK戦以外は完全に互角、ないしそれ以上だった」というのが、この日の戦評、ということになるだろう。
そしてその試合を眺めながら自分は「日本代表の興亡この一戦にあり」的な感覚とは程遠い、
「次の試合でブラジルと戦う時には、どの選手をどう使ってくるんだろう?」
とか、
「ブラジルと当たる相手としては、どちらのチームの方が面白いだろう?」
などということをずっと考えていた。
「勝つことを放棄したんじゃないか」という感覚にすら襲われた02年のトルコ戦に始まり、「負けはしなかったけど勝てる気もしなかった」10年のパラグアイ戦、「2点先制して夢は見たけど最後まで『次の試合』をイメージすることができなかった」4年前のベルギー戦。
グループリーグを突破して日本中が湧きたった余韻が冷めやらぬまま、「いよいよこの日が来た。一戦必勝!」というムードで迎えて、最後は終わってしまった虚脱感で画面のスイッチを切る。
これまで、日本代表が「ベスト8」を賭けて戦う試合は、いつもそんな感じだった。
ベスト8、ベスト4常連国にしてみれば、まさにこれから大会が始まるところに過ぎない、一種の馴らし運転、というような試合を、あたかも「決勝戦」のようなメンタリティで迎えてしまうのが、まだまだフットボールの世界地図の中では新興国に過ぎない日本の一市民の悲しい性でもあった。
だから、
「日本代表が負けてからが本当のワールドカップ」
というフレーズを自分は好み、これまでにも散々使ってきたし、負け惜しみでも何でもなく純粋にそう思わざるを得ないのがこれまでの歴史だった。
それが、今回は完全に変わった。
目の前で戦う相手が前回の準優勝国であるにもかかわらず、「その次」まで普通に予感させてくれた、そこまでの勝ち上がりストーリーの見事さと当の試合での堂々たる戦いぶり。
日本の主力選手たちが例外なく欧州を「地盤」とすることが定着した頃から、フィールド上の選手たちはまさにそういったマインドで試合に臨んでいたはずで、4年前の大会でも「ベスト16が目標」などと言っている選手たちからはいなかったはずだが、悲しいかな「観る側」の目が(それまでの悲しい歴史を知る人であればあるほど)どうしてもそこに追いつけていなかったのがこれまでの日本。
それを、この20年ぶりの「アジア」での大会の120分+αの熱闘は見事に変えてくれたのではないかと思うし、それでこそ季節外れの寝不足にも十分ご利益があった、というものである。
PK戦で蹴った日本の選手たちが12年の時を超えて再び示してしまったナイーブさは、翌日、モロッコの選手たちがスペイン相手のPK戦で示した「格の違う」蹴りを目の当たりにしてより際立った*2。
韓国が優勝候補筆頭のブラジルに「国辱」ともいうべき圧倒的な力の差を見せつけられ、同じ「トーナメント1回戦敗退」とは思えないくらい批判に晒されていると聞けば、「下手に勝ちあがらなくてよかったのかな」なんていう臆病な感想も出てくる。
だが、そういったあれこれを含めて、W杯の「頂点を目指す紙一重の戦い」の中に日本がようやく入りこめた、という充実感と安堵感が今はある。
まだまだ続く戦い。優勝候補の予測ひとつとっても、日々の戦いの結果とともに目まぐるしく変わり、一喜一憂させられることになるのだろうが、日本代表が本当の意味で「一歩」を踏み出した余韻を味わいつつ、もう少し自分も、季節外れの寝不足を楽しむことにしたい。
*1:もちろん自分とて、相対的に「慣れている」というだけで、午前中から始まる打合せが寝不足との戦いになることに変わりはない。
*2:「立候補制」をとやかく言う向きもあるが、それ以前にこういう場面でのメンタルが強そうな堂安選手や、鎌田、相馬、といった選手たちが試合終了の時点でピッチ上にいなかった、ということの問題にも目を向けないといけないわけで、「延長戦の30分の間で勝ちきる、さもなければPK戦でしっかり蹴れるメンバーを交代で入れておく(あるいは誰が出ていてもしっかり蹴れるように準備をしておく)」くらいの戦略がないと、この先に進むのはまだまだ厳しいかな、という気がする。前大会からさんざん強さを発揮しているクロアチアを見ればわかる通り、PK戦は「運」だけの世界ではないのだから。