年の初めに、我が身への戒めとして。

慌ただしい時には振り返る余裕もなかったのだが、少し時間ができた隙に、昨年接した論稿の中でとても印象に残ったフレーズを思い出した。
新しい年になり、春に向けてこれからいろいろと法改正や立法政策の話題も出てくると思うので、そんな裏仕事に関わる者、何よりも自分への戒めとして、ここでご紹介しておくことにしたい。

出典は、法律時報2016年11月号、「消費者契約法改正」特集の中の山本敬三・京大教授の論稿である。

消費者契約の規制に限らないことであるが、規制にあたってその適用範囲・基準を明確化することが今日ではますます強く求められるようになっている。これは、上述したように、事業者の事業活動に対して不必要な影響が及ぶことを防ぐという観点と結びついている。」
「この点については、前提として、適用範囲・基準の明確化の追求、つまりルール化には不可避的に限界があることを理解しておく必要がある。それは、第1に、ルールをいかに明確に規定しようとしても、自然言語を用いて表現される以上、不可避的に解釈の余地が残ることになる。」
「立法にあたっては、第1の限界、つまり解釈が不可避であることをむしろ積極的に受けとめるべきだろう。どのようなルールを定めるにしても、それが適切に作動するためには、そのルールが適切に解釈されることが不可欠である。そうした適切な解釈が行われることが確保されていれば、適用範囲・基準の明確化を過度に追求し、そうした明確化ができないことを理由に規制を断念する必要もないはずである。
「私法的規制に関しては、最終的には裁判所によってそうした解釈が確保されるものの、第一次的には私人がそれぞれの解釈を主張することになるため、事業者の側は対処に窮することがおそれられている。立法過程において、事業者側が適用範囲・基準の明確化を過剰なまでに要求し、それぞれの改正提案についても、最大限広く解釈された場合に不必要な規制をもたらすかどうかに注目するのは、そのためだと考えられる。しかし、実際に立法がされれば、そのように最大限広く解釈されるとはかぎらず、むしろ杞憂に終わる可能性の方が大きい。これでは、実効的な規制のための合理的な議論が成り立たないというべきだろう。
(山本敬三「2016年消費者契約法改正の概要と課題」法律時報88巻12号14〜15頁(2016年)、強調筆者)

だいぶ、つまみ食い的な引用になってしまっているので、山本教授のメッセージをより正確に把握したい、という方には、出典元に当たっていただくことをお勧めするが*1消費者契約法に限らず、ここ数年、この種の議論をする際に、既存の法律の条文や改正案の条文を過度に広く解釈して危機感を煽る風潮が企業実務サイドにもかなり広まってしまっているのは否定できず、自分自身、時にそれに乗っかりたい衝動に駆られることも皆無ではないだけに、ここまでズバッと問題点を指摘していただいたことで、いろいろと考えさせられることは多かった。

元を辿れば、“極端な安全サイド志向”を突き詰めすぎているだけで「明確化」を求める側の主張にも何ら悪意はないのかもしれないが、自分は、法律が本来備えているしなやかさを最大限活用し、裁判所を通じて理に適った解釈を導き出すことにこそ、「法務」という仕事の神髄があると思うわけで、

「慌て過ぎず、騒ぎ過ぎず。時には騒いでる連中を蹴飛ばす。」

というスタンスこそが、今求められているのではないかな、と思う次第である*2

*1:法律時報のこの特集は、他の論稿も含めてかなり充実した内容になっているので、手元においていただいて損はない。

*2:まぁおそらく、そうは言っても、今年もいろんなところで騒ぐ人は出てくるし、その受け売りで業界世論が作られてしまうことも一度や二度では済まないのかもしれないけど。

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