「お家芸」の強さと運と。

期待された「10秒の壁」は今回も破れず、その他の競技を含めても、目立ったニュースはサニブラウン選手の200m決勝進出くらい、という状況の中で、“リオ五輪の銀メダルに続け”という掛け声が勇ましく響き渡っていた男子4×100mリレー。

その一方で、肝心のサニブラウン選手は200m決勝で痛めた足の影響で欠場、そして、多田・飯塚・桐生・ケンブリッジの4選手で組んだ日本チームの予選の走りは決して万全なものではなく、パッと見た感じ、リオ五輪を上回る成績など望むべくもないのはもちろん、メダルを取るのも今回は苦しいかな、という状況だった。

だが、朝起きてみたらどうだ。

速報には堂々の「銅メダル」の文字が踊り、朝から繰り返し歓喜に沸く日本選手たちの映像を見せられることになった。

正直、レースの中身に関しては、何度映像を見ても、肉眼で「ここが良かった」というのを見つけ出すのは難しいし*1、最後の直線は、ウサイン・ボルト選手がもんどりうって倒れてしまったシーンにどうしても目が釘付けになってしまうので*2、コメントできることはほとんどないのだが、100m、200mのファイナリストは一人もおらず、補欠のメンバー2名を投入したチーム構成で100mのファイナリストを擁する中国、フランスといった国々を抑えたのだから、やっぱり日本の4×100リレーはお家芸だな、というほかない。

かけっこの速い子供であれば、誰もが小学校に上がる前から「バトンを渡す」という行為を教えられ、前の走者と呼吸を合わせることがいかに大事か、というのを体で覚えていく・・・そんな国で育った選手たちが、バトンワークの魔術で、個々の能力差をひっくり返す痛快さ。スポーツに限らず、「個」の勝負で世界に伍していくことが難しくなっている今の日本人にとっては、「力を合わせれば何とかなるかも」という感覚*3は、熱狂的な応援に不可欠な「共感」を呼び覚ますものでもある。

よって、応援がヒートアップするのも故なきことかな・・・といったところだろうか。

今大会、ジャマイカチームを襲った悲劇は単なる偶然に過ぎないし、ちょっとしたミスで全てが水泡に帰す繊細な競技だけに、日本チームへの期待が高まれば高まるほど、逆に大こけするリスクも高まってくるわけだが、それでもリオ五輪からロンドンに続いた「メダル」リレーのプレッシャーは、少なくとも次の世界陸上までは続くだろうし、もし、そこでまたメダルでもとろうものなら、選手たちが2020年の東京五輪でどれだけの期待を受けることになるのか、想像するだけでぞっとする。

なので、できることなら、その頃までには、期待が「リレー一本」に集中することのないように、個人種目でもメダルを狙えるレベルにまで個々の選手たちが成長を遂げていてくれればなぁ・・・と思わずにはいられないのであるが・・・。

最後は磨き上げた技術に天の運が再び味方する、と信じたい。

*1:元々、4×100mリレーというのは、そういう競技だし、特に今回は周りと比較しづらい大外のレーン(9レーン)でバトンをつないでいたので、なおさら分かりにくかった。

*2:何度か見ているうちに、日本の藤光選手の走りは何とか追えるようになったが、デッドヒートを繰り広げていた英国、米国のどっちが先にゴールしたのか、というところには最後まで目が向かなかった。

*3:もっとも、日本チームがここまでのレベルにたどり着いたのは、「10秒の壁まであと一歩」というレベルにまで個々の選手たちの力が伸びたから、ということに起因することは言うまでもあるまい。

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