キタサンブラックを“伝説”に押し上げたもの。

久しぶりにクリスマスイブの開催となった今年の有馬記念
古馬の看板馬として国内で活躍を続けてきたキタサンブラックの引退レース、ということで、中山競馬場はいつになく異様な雰囲気に満ちていたように見えた*1

昨年は年度代表馬のタイトルこそとったものの、G1は勝ったり負けたりの繰り返し。
そして、今年は、大阪杯天皇賞(春)連覇と来て、いよいよ・・・と思わせた宝塚記念でまさかの惨敗。
フランス遠征を断念して臨んだ雨中の天皇賞(秋)で再びファンを驚かせたものの、ジャパンカップでは、あっさりと日本馬2頭の先着を許す。

そんなふうに「ここを勝てば伝説」になれる場面ではどうしても勝ち切れなかったこと、そして、海外挑戦が当たり前になった時代に最後まで国内を離れなかったことや、ユルリと逃げて何となく勝ってしまう、というレースが多かったこと*2、実質的なオーナーが北島三郎氏であるがゆえに“芸能トピック”的なネタが取り上げられることも多かったこと、といった要素が絡み合って、目の肥えた玄人ほど、懐疑的な目を向けることが多い馬でもあった。

個人的には、高速で先導してそのままレコードタイムを出した今年の春の天皇賞と超不良馬場で足元を苦にせず駆け抜けた秋の天皇賞を見て、この馬は違うな、と思ったし、それゆえ、最後のレースも、この馬を軸に人気薄に流してみたのだが、最後まで(あるいは最後だからこそ)この馬を蹴とばした、という馬券師も決して少なくはなかったことだろう。

そんな状況で、今年の有馬記念は幕を開けた。

終わってみれば、絶好の1枠から絶好のスタートを切ったこの馬が、中山2500mの特性を存分に生かした先行策で後続に影も踏ませず完勝し、「歴史に残る名馬たちにG1勝利数で並ぶ」「賞金額で遂にテイエムオペラオーの金額を塗り替える」といった数々の記録を打ち立てることに。

元々、前半1000mを61秒台のゆったりしたペースで逃げられれば、そう簡単に後続に詰め寄らせるようなヘマはしない、というのがこの馬の強さだから、第3コーナー〜第4コーナーを先頭で回ってきた時点で事実上勝負は付いていた、と言えるだろう。

幸運だったのは、いつもならペースを作らせずに潰しにいっても不思議ではない外国人トップジョッキー*3たちが、このレースに限ってはあまり強い馬と一緒に出てこなかったこと。

唯一まともに張り合える可能性を秘めていたスワーヴリチャード(M・デムーロ騎手騎乗)はゲートで出遅れ、サトノクラウン(ムーア騎手)は馬の調子自体が戻っていない状況、サウンズオブアース(C・デムーロ騎手)も大外枠からの発走となれば多くは望めない。ルメール騎手のクイーンズリングは最終的には2着となったが、それはキタサンと同じく「引退レース」ということで、自分の競馬に徹したゆえの結果である。

もし、キタサンブラックの後ろに付けていたシャケトラ(福永騎手)やヤマカツエース(池添騎手)が一世一代の作戦で、逃げるキタサンブラックを潰しにいっていたら、異なる結果になっていた可能性も高かったのだが、その場合、自分の馬も大きなダメージを受けるのは確実。大本命馬に乗る武豊騎手にあえて突っかけ、乱したレースで(ファンの恨みをかってもなお)自分の馬を勝たせる、という自信を持てる日本人騎手などそういるものではない。

かくして、歴史に残るシンプルな逃走劇が実現し、地味な血統の日高産馬は、最後の最後で「伝説」に昇華した。

この結果を見てもなお、“作られた伝説”と揶揄するファンは決して少なくないだろうし、勝った馬のすぐ後ろで繰り広げられた外国人ジョッキーたちの潰しあい*4を見て、げんなりした気分に陥ったファンもいたはず。

だが、内向き志向が強まっているこの時代に、こういう馬がこういう勝ち方で一年を締める、というのもまた面白い話なわけで、「祭」の大合唱で湧き立つ場内の映像を見ながら、今年はこれで良かったんじゃないかな、と思った次第である。

ちなみに、過去30年で、有馬記念がクリスマス・イブに開催されたのは、1989年(イナリワン)、1995年(マヤノトップガン)、2000年(テイエムオペラオー)、2006年(ディープインパクト)の4度だけ。

キタサンブラックが獲得賞金で争っていた2頭が、勝ち馬に名を連ねている、というのは偶然にしては出来過ぎているが、それも一つのめぐり合わせ、ということで、後々まで語り継がれることになるのだろう、と思っている*5

*1:入場者数は10万人超。最盛期を知っている者としては、それでもまだまだ、という印象はあるが、ファン層がさらに変わってきたのか、前座のレースからの歓声と盛り上がりはいつになく、という感じがした。

*2:その意味で、同じ武豊騎手騎乗の馬の中でも圧倒的なスピードで先行してぶっちぎっていたサイレンススズカとは印象が大きく異なっており、どちらかといえば、騎手の腕と「格」に助けられている、という印象を受けた人も多かったのかもしれない。

*3:ダービーでルメール騎手が騎乗したレイデオロのレースなどは、まさに典型である。

*4:制裁を受けたスワーヴリチャードの斜行と、それに押し出されたシュヴァルグラン(ボウマン騎手)のカットイン、そして2着に入ったクイーンズリングが自分の進路を譲らなかったことで、2着以下の着順は極めてグレーな印象になってしまった。筆者自身、レース後のVTRで密かに狙いを付けていたサクラアンプルールが進路をカットされて無残に後退した姿を目撃したときは、何とも言えない気持ちになった。

*5:ついでに言うと、記憶が曖昧な2000年を除き、他の3度のレースは誰と見たか、ということも含めて結構克明に記憶に残ってしまっている、というのが何とも・・・である。

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