「非常識」でも「英断」でもない、冷静な判断。

今年の4月に「球速163キロ」を記録し、「岩手から再び怪物登場!」とばかりに俄然フィーバーに巻き込まれることになってしまったのが、岩手県立大船渡高校の佐々木朗希投手だった。

それまで全国的には全く無名に近い存在だったし、チーム自体、岩手県内の大会でも決して突出した成績を残していたわけではなかったのだが*1知名度が上がったところで”最後の夏”を迎えたことで、佐々木投手目当てにファンもスカウトもメディアも球場に押し寄せる、という異様な(でも高校野球の世界にはありがちな)雰囲気の中で毎試合戦うことに・・・。

本人にもチームメイトにとってもかなりのプレッシャーだったと思うが、そんな中、佐々木投手の投打にわたる傑出した能力と、”注目される”ことで勢いに乗れる若者たちのエネルギーがうまく重なったゆえか、岩手県大会でも決勝戦まで勝ち上がる快進撃。

これまでは、他県と同様、もっぱら花巻東盛岡大付一関学院専大北上といった私立校勢で甲子園への切符が争われていた岩手県予選に大きな一穴を開けた*2

大船渡は県立高校、それも盛岡や一ノ関といった「都会」ではない海岸部の小さな町の学校だけに、メンバーも地元・大船渡の中学出身の選手ばかり。
「3・11」で大きな被害を受けたエリア、ということもあって、もし35年ぶりの甲子園出場がかなっていれば、さらなるフィーバーと”美談”の嵐が飛び交っていたことだろう。

だが、そんなフィーバーは意外な形で終幕を迎えた。

「第101回全国高校野球選手権大会岩手大会の決勝が25日、盛岡市岩手県営野球場で行われ、最速163キロの球速で注目の佐々木朗希投手を擁する大船渡は、米大リーグ、エンゼルス大谷翔平選手の母校、花巻東に2-12で敗れて、35年ぶりの甲子園大会出場はならなかった。3年生の佐々木投手は出場することなく、高校生最後の夏が終わった。」(日本経済新聞2019年7月26日付朝刊・第35面、強調筆者)

自分は古い世代の人間だから、最初にこのニュースに接した時はやっぱり仰天したし、自身のマネジメント経験に照らしても、甲子園切符がかかった決勝戦、しかも、本人が連投できる状態で「投げたい」という意思を明に暗に示しているような状況だったとしたら、登板を回避させる、という判断はおそらくしなかった、というか、情が先立ってできなかっただろうと思う。

高校球児であれば誰もが憧れる舞台に「あと1つ」にまで迫った状況。
3年生主体のチーム構成の中、勝てばさらに同じメンバーで長い夏を戦えるが、負けたらそこでチーム解散。

いかにそれまで連投を極力回避し、複数の投手を併用する方針で戦ってきたとしても、「ここだけは頼れるエースの連投で行けるところまで・・・」と思うのが、自分も含めた凡人の発想*3

にもかかわらず、「連投させない」という選択を貫いた若干32歳の監督のブレない哲学には心から感服するし、肝の据わり方も生半可なものではないな、と思わずにはいられない*4

何となく想像できたことではあるのだが、今回の大船渡高校の國保陽平監督の判断と、「投げられる状態であったかもしれないが、私が判断した。理由としては故障を防ぐこと」(前掲記事)という趣旨のコメントに対しては、メディアの取り上げ方もSNS上のコメントも概して肯定的だし、むしろ「英断」とか「こうであるべき」くらいの論調の記事すら目立つ状況である。

高校時代に酷使された選手たちが、故障に苦しみ、選手生命を絶たれるケースが多い、という野球界特有の話に加え、安易な精神論、根性論に対する反発が根強い世の中になっている、ということも背景にはあったのだろう。

ただ、これまでの大船渡高校の戦い方を見れば、國保監督自身もコメントされているように、今回の判断が「佐々木投手が将来のある特別な選手だから温存した」というところから来ている、というわけでは決してなく、「エース以外の選手にも出場機会を与える」という教育的観点に、相対的にコンディションの良い投手を相手に応じて登板させる、という戦術的な観点が加味されたものだ*5、ということも窺えるわけで、佐々木投手にだけフォーカスしてあれこれ論じるのは少々ピント外れな印象もあるところ。

そして「本人の意に反して無理やり登板させる」とか、「故障を抱えているのを承知で無理使いする」といったことでない限り、「本人の意気と若者の回復力に賭けてエースと心中する」という選択肢はあり得るし、逆に今回のように「思い切って出場させない」という選択肢もあり得る*6わけで、そのどちらを取るかは、あくまで監督とそのチームの「哲学」であり、時間をかけてはぐくんできた「戦術」によるものなのだから、どちらが良いとか悪いとかといった議論の俎上に載せるのは、そもそも適切ではないと思うのである。

7年前の大谷翔平選手と同様に、「甲子園に出なかった」ことが佐々木朗希投手のプロ選手としての価値を高める可能性はある一方で、「甲子園のヒーロー」になり損ねたことで、この先の人生が変わってしまった選手も、もしかしたらいるのかもしれないし、千載一遇のチャンスを逃したことに悔いを感じない選手はいないとは思うのだけれど、逆に、3年間、肝の据わった若き監督の下でチームとしての価値観、考え方を共有してきたメンバーだからこそ消化できるものもあるはず。

終わった試合を巻き戻すことができない以上、勝者にとっても、勝者以上に「主役」となった敗者にとっても、今後、この日の試合がポジティブな何かにつながってくれることを今は願うのみである。

*1:昨年秋の県大会でベスト4まで行ったのが最高の戦績。

*2:一昨年こそ久慈高校が決勝進出、盛岡四高、大船渡東がベスト4、という特殊現象が起きていたものの、その他の年は概ね同じような顔ぶれの私立高同士で「1」枠を争う、という傾向になっていた。岩手大会 過去20年成績 - 高校野球地方大会2019 : 日刊スポーツ参照。

*3:もちろん、自分自身が甲子園出場監督になりたい、という欲や、エースを出さずに負けた時に浴びる批判をかわしたい、といった思惑も当然絡んでくる。

*4:それが、盛岡一高から筑波大、というロジカルさを感じさせるご経歴ゆえなのか、それとも、米国の独立リーグまで経験して広く世界を見てきたゆえなのか、あるいはもっと本質的なご本人のパーソナリティによるものなのか、は分からないが、延長戦までもつれ込んだ準々決勝に続き、決勝戦でも「ローテーション起用」を貫いた一貫性は見事だな、と。

*5:甲子園の常連校、かつ直近の県大会でも昨秋準優勝、春季優勝の花巻東を相手に、連投で球威の落ちた本格派投手をぶつけるより、大会初登板のサイドスローの投手を当てた方がいい勝負に持ち込める、という発想は当然ありうる。

*6:あるいは、98年夏の松坂大輔投手のように、終盤の山場で登板させて試合の流れを変える、という選択もある。今回の決勝戦にしても、もし最後の最後まで試合がもつれて、終盤で一打勝ち越し・逆転といった場面が生まれていたとしたら、少なくとも代打での出場機会くらいは佐々木選手にも与えられたのではないかと思う。

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