過ぎ去りし「20年」に思うこと。

8月4日は、このブログの開設記念日。

ここ数年は、薄らぼんやり意識していながらも、慌ただしさにかまけて節目の日のエントリーをしばらく放置しがちだったのだが、今年は2025年

初めてエントリーを上げた2005年8月4日からちょうど「20年」の節目、となれば、さすがに書かないわけにはいかない。


で、今更か、と言われてしまいそうだけど、この歳になってはっきり分かったのは、「光陰矢の如し」ということに尽きる。

研修所から戻って全力疾走していた30代まで遡っても、感覚的には「つい最近」。

さすがに10代の日々は少し遠く感じる*1が、研究会等で母校のキャンパスに足を踏み入れようものなら、20代の二度目の学生時代の頃まで一気に記憶が蘇る。

新陳代謝の激しい大都会、街を行く人々も、立ち並ぶお店も相当入れ替わっているはずなのに、要所要所で変わらない景色を目にすると、過去と今が一瞬でつながる。

だから、「20年!長いですね!」と言われても、本当に全くピンと来ないのだけれど・・・。


始めた頃はまだ「法務部員」ですらなかったブログ書きが、一端の「法律専門家」という目で見られるようになるまでの時間*2

その先どこに向かうかすら定まらない状態で、密かに詰め込んだインプットを誰かに必死に伝えようとしてアウトプットを書き殴っていたブログ書きが、毎月のように人目に触れるアウトプットを求められるようになり、必死で時間をやりくりして仕入れたインプットで何とかミッションを切り抜けるような状況になるまでの時間。

認知が歪んでいるのでなければ、これまでの時間の中で、自分を取り巻く環境も自分の立場も相応に変化しているし、それは決して小さな変化ではないような気もするから、「20年」というのはきっとそれなりの長さの時間だったのだろう。


残念ながら、それだけの歳月を経ても、ブログのエントリーの最初の一文を書き出すまでのスピード(特にかしこまった、本気度高のエントリーであればあるほど)は一向に早くなる気配はないし*3、何とかひとまとまりのエントリーを書き上げても、「公開する」のボタンをクリックするまで逡巡を重ねる、というマインドも一向に変わらない。

ここ数年は、多少書き出すまでにてこずっても何度も頭の中で構成を練り直して書き始めるところまでたどり着けるような贅沢な時間、もなければ、アップロードを逡巡している間にまた別のネタを思いついて書き上げて二本同時にアップするような気力と根性、も薄れてしまっている状況だったから、どうしても更新が滞ることになりがちだった。

特に、今年に入ってからのこのブログの放置っぷりを見れば、いつフェイドアウトしても不思議ではない、そんな感覚で時々訪ねてくれている往年の読者の方も決して少なくはないことだろう。

だが、ちょっとした興奮、ちょっとした不条理への憤り、そして何よりも、知的刺激を与えてくれるささやかな気付きや発見は、20年経った今でも日常の中で決して尽きることはないから、いつかまたどこかで、サバティカルのような贅沢な時間が訪れてくれることを信じて、もう少しこの場を守り続けたい、というのが、今の偽らざる思いだったりもする。

さすがにこの年代になってくると、「次の20年」は軽々には語れないし*4、「10年」ですら正直怪しい。

だから、一年、また一年、と同じようなボヤキを繰り返しながら、小さな石を積み上げていくしかないのだけれど、それでもよろしければ、もう少しだけ、暫しお付き合いいただければ・・・と思う次第である*5

*1:とはいえ、ふとしたきっかけで、学生時代のちょっとしたエピソードを昨日のことのように思い出すことはままあるのだが。

*2:それは決して良いことばかりではないが、今日の主題ではないのでまた後日。

*3:誤解されている方も多いが、自分は典型的な”遅筆”人間である・・・。

*4:そもそも、20年後、自分がこの世の存在であるかどうかすら、50/50、あるいはもっと低めの確率かもしれないな、と思っている。

*5:そしてその帰結が「次の20年」になってくれたりしようものなら、もはやこの世に思い残すことはないだろうな、と思っている。

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