フライング気味に表に出て、それから一週間経つか経たないかのうちに公式に発表された「Business Law Journal(ビジネスロージャーナル)休刊」の報*1。
ブログにもSNSにも、既に多くの方が惜別の言葉を寄せられていて*2、かなり出遅れた感はあるのだが、金曜日まで絶賛年末進行だったことに加え、最終号となってしまった2021年2月号が配達人の気紛れ(?)か手元に届くのがちょっと遅れてしまったことを言い訳に*3、以下、何度も深呼吸しながら書いたエントリーである。
そこからすべてが始まった。
最後のリリースにもあるように、BLJの創刊号は2008年2月発売の「2008年4月号」である。
だからこの雑誌を振り返るときは、どうしても「2008年」にフォーカスされがちで、他の方が既に書かれているエントリーもその頃の思い出から始まることが多いのだが、どうせ振り返るなら、ということで、ここではさらに遡り、前身誌『LEXIS 企業法務』が世に出された2006年にまで戻ってみる。
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斬新なレイアウト、そしてそれまでの他の法律雑誌とは少し角度を変え、企業法務部門へのインタビュー等も取り込みながら、「本当に仕事に役に立つ情報だけを伝えていく」というスタイルは、同時に公刊されていた『LEXIS 判例速報』と合わせて相当なインパクトはあった。
それが1年半ほどで『企業法務』『判例速報』ともにまさかの休刊*4。
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で、そこから数か月経って世に出てきたのが、
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というわけだ。
横書きから縦書きへ、サイズは大判になりビジュアルも増えた。何より、読者層が「法務担当者」に明確にフォーカスされた。
そういった大きな変化はもちろんあるのだが、自分がBLJを初めて手に取った時に一番安心したのは、「執筆者が書きたいものではなく、読者が読みたいコンテンツを提供する」というスタンスがよりスケールアップする形で貫かれていたことで、だからこそ自分も、他の当時の法務系ブロガーたちもこぞってこの雑誌に熱狂し、最新号が出るたびに毎月エントリーを上げる、というルーティンを繰り返すことになったのだと思っている。
改めてこのブログの過去記事を検索してみたら、2008年中にBLJを取り上げたのは実に7回。翌年以降も2~3か月に1回くらいは取り上げている*5。
前身の雑誌が2年経たずに休刊となり、後発組にとっての市場の厳しさを嫌というほど味合わされた後に、さらに尖った新しいものを立ち上げる、という試みに挑んだわけだから、創刊当時の編集部の危機感は並大抵のものではなかったはずで、創刊当時からの編集者が最終号の編集後記に書き残された「3号雑誌どころか1号で終わるんじゃないかってくらいの綱渡りでした」というコメント*6も、ギリギリのところまで市場に出すクオリティを求め続けたからこそ、のエピソードだったのではないかと推察する。
だが、そういった過程を経て磨き抜かれたコンセプトと紙面の裏に隠れた編集部の「熱」は、間違いなく業種も、会社の規模も、企業内でのレイヤーすら超えて「法務担当」のアイデンティティを持つ人々の心を揺さぶった。
この雑誌には、自分自身、創刊当初から多くのチャンスをいただいていて、2008年7月号に掲載していただいた匿名論稿*7を皮切りに、座談会等も合わせると20回くらいは書く機会をいただいてきた。だからこれまでも、今も、BLJという雑誌の評価に大なり小なりの”身内びいき”が入っていることは否定しないが、間近で「熱」に接する機会を得ていたからこそ、それを少しでも多くの人に伝えなければ、という使命感も湧いてきたのは事実*8。
そして、「ここで終わってしまう」ことを惜しむ人は多いのだけれど、創刊当初の、”手を変え品を変え”の斬新なハンドメイド的特集を、毎号楽しみに(でもかなりハラハラしながら)読み、時にはそれに乗っかって、より編集部の手を煩わせてしまっていた者としては、「よくぞここまで・・・!」という思いの方が強かったりもするわけで、往年の編集部の方々には、どれだけ賛辞を送っても足りないような気がするのである。
変わっていったのは雑誌か、自分自身か、それとも・・・?
さて、ここまでなら”いい話”のままで済むのだが、「終わる」背景にはそれなりの理由がある、ということにも、思いを巡らせなければいけないだろうと思う。
紙の雑誌、しかもニッチな業界の専門雑誌である以上、商業的に順風満帆なはずがない、というのは分かり切ったことだし*9、今年に入ってからの新型コロナの影響も決して無視することはできなかったのかもしれない。
ただ、この13年弱、BLJという雑誌を見てきた中で、そういった外部環境以外の面でも、ここ数年はいろいろと気になることが多かった。
それは、2016年7月号、ちょうど「100号」の節目にこのブログに載せたエントリーに少し書いていたことでもある。
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インディーズ的な香りを漂わせていた創刊当初から一気に存在感を高め、広告や多くのタイアップセミナーを掲げる”商業雑誌”化が進むにつれ、「法務担当者の生の声」を伝える特集の存在感は薄れていった。
その一方で増えていったのは、大手・中堅企業法務系法律事務所の弁護士たちの論稿。
「プロ」の書いた記事をメインに構成すれば、雑誌としての一定の品質を保ちやすくなるのは確かだろうし、「読者層を広げる」という戦略との兼ね合いでも、それ自体は決して悪いことではない。問題はそういった記事の中に「経験知」に裏打ちされた論稿がどれだけあったか、批判されるリスクを取ってでも”攻める”論稿がどれだけあったか、ということではなかったか、と自分は思っている。
ジュリスト、NBL、ビジネス法務、といった先行する競合雑誌が市場に存在し、しかも、そういった雑誌の方に権威のある専門家が原稿を載せている、という状況もある中で、同じ土俵で勝負しようとすれば、いかに編集サイドに「熱」があったとしても、自ずから形勢は不利となる。
惜別のエントリーでkatax氏*10がBLJを「企業法務担当者の雑誌だった。」と評したのはまさしくその通りだと自分も思うし、それは失礼でも何でもなく、読者ニーズと生き残り戦略の両面で、まさに”そうあるべき”だったはずだ、とすら自分は思う*11。この点に関しては、中の人たちもきっと同じことを考えておられたはず。
だが、そういった思いのとおりに、BLJは最後まで「企業法務担当者の雑誌」であり続けることができたのか?
そこには様々な評価があり得ることだろう*12。
もちろん、この13年弱の間に、読者である自分自身を取り巻く環境が大きく変わった、ということにも、触れておかないと不公平かもしれない。
創刊当時、まさに現場で経験を積みながら手を動かしていた「法務担当者」だった自分の立ち位置は、年々マネジメント側に寄り、フィールドも国内から海外へと大きくシフトしていった。
子供の頃あんなに熱中して奪い合っていた「少年ジャンプ」が今目の前に転がっていても全く興味を惹かれないのと同じで*13、見方を変えれば、本当は一担当者であれば食いつくような記事なのに、自分の方が変わってしまったことでその良さや意味合いに気付けていなかっただけ、という解釈もあり得ることは否定しない*14。
ただそれでも、ここ数年の号であっても、「法務担当者の生の声」がきちんと拾われて載っていればどんなテーマでも興味深く読めていたことを考えると、それを何らかの理由で集めづらくなった、載せづらくなった、ということにこそ、問題の核心があるのかもしれないわけで、(ここではこれ以上触れないが)この部分を「なぜ?」と掘り下げていくことが、「この先」にもつながっていくのではないかな、と思ったりしている。
「見送る」立場になってしまったことへの反省と後悔と、この先への何か。
以上、長々と書いてきたが、自分が生まれる前から延々と続いているようなものも稀ではない法律雑誌の世界で、結果的に創刊直後から休刊まで立ち会うことになってしまった、ということへの忸怩たる思いはやっぱり強い。
特に、この雑誌の「営業」には全く貢献できなかった、という思いはあって、他の熱心な愛読者の方々のように「会社で定期購読の稟議を回す」という貢献はできなかったし、自分自身、最後まで定期購読の契約はしなかった。
後者に関しては、「どうせ店頭で買うから」と思っていたゆえではあるし、現に今、家にあるBLJを全て積み重ねれば天井に届くくらいのボリュームはあるかもしれない。
ただ、2010年代、会社の中で仕事が猛烈に忙しくなっていく過程で、書店の店先で手に取ることもなく買い逃した号も結構あった。
前者に関しても、この雑誌を他の法律雑誌のように、「届いても偉い人の机の上で長期滞留した末に、担当者は誰も開かないままオフィスの片隅のロッカーに収納され、倉庫行きを待つ」ような目に合わせたくなかった、という理由があったとはいえ*15、雑誌の長期存続を考えたら、”お布施”になっても定期購読しておくのが正解だったともいえる。
よく、廃線間際の赤字ローカル線にファンが押し寄せて「名残を惜しむ」光景が報道されることがあるが、そういった心理に共感力を持てない自分は、「お前らそこに住んでコンスタントに乗って路線を盛り上げてたらこんなことにならないだろう、今さら何やってるんだ」といつも悪態を付く。
だが、今、消えていこうとする雑誌をひたすら惜しみ続ける、というのは、まさにそんな「間際のファン」の所業に他ならないわけで、仮にそこに「一人二人頑張ったってなにも変わらなかったよ」という現実があったとしても、あまり慰めにはならない。
だからこそ、というと、いささか都合が良すぎるかもしれないが・・・
自分は、この「休刊」を、終わりではなく「さらなる進化に向けた第一歩」と捉えたい。
「法務」の仕事が会社の中に残っている限り、「今、現場で起きていること」を、第三者のフィルターを通じて抽象化した上で広く伝え、共有することの重要性とそれに対するニーズは決して失われることはないし、商業雑誌という「型」を離れることで、より引き出せるものもあるはず。
もちろん、型を離れれば収益化のアイデアも一から考えないといけなくなるし、Webメディアにしても、映像・音声メディアを使うにしても、純粋な実務志向のコンテンツをマネタイズして、自律したビジネスといえるレベルにまで持っていこう、というのは、壮大な社会実験に近いものがある。
ただ、それでも、「場」さえできれば、そこから広がっていくものは必ずあるはずだから・・・
2020年代、再びの革命を。
そのプロローグだと考えれば、悲しい知らせも実に明るい便りになる。そして、受け止める側としてはそれでよいのだ、と、もう二度と更新されることがないWebサイトの「最新号の目次」を眺めながらつぶやく2020年最後の週末。
4年半前に、皆が夢見た「200号」を目にすることはできなかったし、最終号なのに編集後記以外には、フィナーレを飾るような演出をするいとまさえ与えられていない。きれいに飾った会社のリリースの裏からは、様々な冷淡さが滲み出ている。
でも、そんな終わり方の方が次につながる、ということは、我が身をもって証明した筆者自身が、自信を持って保証する。
そして、いつかこれも楽しい笑い話になる日が来ることを、今は心から願っている。
*1:https://www.businesslaw.jp/pdf/BLJ_announcement_202012.pdf/個人的には編集長名のコメントが掲載されていない、というところがちょっと引っかかる。
*2:ご自身のコメントに加え、著名ブロガーのコメントを紹介していただいているエントリーとしてhrgr_Kta氏の「Business Law Journal」の休刊に寄せて - hrgr_Kta - g.o.a.tに接した。自分はもろもろ、涙なしには読めなかった。
*3:「最後」の号を見届けるまでは書けなかった、というのが正直な思いである。
*4:久しぶりにこの時のエントリーを読んだが、ここには13年後の展開にもつながる何かがあるような・・・。
*5:後述するとおり、自分自身がこの雑誌にコンテンツを提供したこともあるのだが、そういったものにブログの中で触れることは意図的に避けていたから、取り上げた回数=純粋に読者として共鳴した回数、である。
*6:136頁、「ま」さんのコメント。
*7:ちなみにこれを書いたのは、ちょうど最終合格した年の短答試験の直前の時期だったが、当時の感覚としてはそんなことはどうでも良いと思うくらい嬉しい機会だったのだ。
*8:そして、その「熱」があるからこそ、書く側としても常に必死の真剣勝負だった。
*9:首都圏の大型書店で次々に法律書コーナーが縮小されていったことの影響も否定できないような気がする。雑誌購入者の多くは、(定期購読者を除けば)店頭で手に取って買う価値があるかどうかを吟味してから買う、という行動をとりがちだし、BLJの潜在読者層と重なる法律書読者層の購入ルートが軒並みネット書店に遷移した結果、「お目当ての本のついでに買う」という機会が失われてしまえば、より状況は厳しくなる。
*10:Business Law Journal休刊に寄せて : 企業法務について
*11:一口に「企業法務」というが、外部の弁護士から見たそれと、企業内の「法務担当者」が見るそれとは全く異なる。だからこそ、後者の視点で光を当てることに意味がある。
*12:他の方が書かれている惜別エントリーの中で振り返られているエピソードの多くが創刊初期のそれである、ということも何かを示唆しているのかもしれない。
*13:最近の「鬼滅」の大ヒットからも分かる通り、掲載されている漫画の質自体は、おそらく今も昔もそんなに変わっていないのだろうけど。
*14:コミック誌や女性誌のように、読者の環境変化に合わせて「ヤングジャンプ」みたいな複数の媒体を用意できればまた違ってくるのだろうが、それを小所帯で回している法律系出版社に求めるのは酷というものである。
*15:会社にいた最後の頃に、一度だけ「購読してほしい」という要望を部下から受けたことがあって、その時に思い切って購読に踏み切ることもできたのだろうが、入れ替わりに購読を中止する雑誌の選択に迷って結局踏み切れなかった記憶がある。とにかくいろんなものを削れ、というプレッシャーが強い中、新しいものをそう簡単にアドオンできるような空気はなかったのだ。