加速するマンネリと、動かないランキングと。

年末の風物詩、となっている日本経済新聞の「企業法務・弁護士調査」。
今回で実に14回、ということだから、このブログとほぼ同じくらい続いている、ということになるが、一方で近年“マンネリ化”の風潮が強いというのも、例年指摘しているとおりである*1

そして、「法務部門の拡充 1年で3割が増員」という今年の大見出しを見て、とうとうマンネリもここまで来たか・・・という思いがより強くなった。

日本経済新聞社がまとめた第14回「企業法務・弁護士調査」で、弁護士を社員として雇用している企業が全体の6割を超えたことが分かった。こうした企業内(インハウス)弁護士を過去1年で増員した企業は3割に上り、1社当たりの平均人数も3人に迫ったグローバル化を背景に専門性を持つ法務人材のニーズは大きく、今後も法務部門を拡充する企業が多い。」
「多くの日本企業が法務部門の強化を迫られている格好で、専門性が高く即戦力となるインハウス弁護士の採用を増やす動きが強まっている。過去1年間で増員したのは62社で、回答した208社の30%。2人以上増員した企業は27社ある。
インハウス弁護士がいる企業は135社(65%)となり、およそ3分の2が弁護士を配置している。60%弱だった前回(2017年)調査から約5ポイント上昇した。5人以上抱える企業が40社(19%)あった。」
日本経済新聞2018年12月17日付朝刊・第11面)

ネタとしては、昨年と全く同じ。
そして、取り上げられている内容も、画期的な何か、では全くなく、これまで法務部門を支えてきた社員が抜けた穴を有資格者で埋める、という話の域を全く出ていないように思われる。

昨年のエントリーでも書いた通り、今、全体的な傾向として、「社内弁護士」の数が飛躍的に伸びている、という傾向は、法務業界には全く存在しない。

変化の激しさとしては、職にあぶれた“新修習”組が大量に企業の門を叩いた2010年代前半の方が遥かに大きかったし、一時は「弁護士資格」が必須要件になっていた採用エージェント経由の「採用条件」も、最近では再び「資格不問」となるケースが増えている。

企業の中に弁護士が大量に入り始めてからもう10年近く経っているから、どの会社でも、記事の最後の方に出てくる、

「高度な法務知識と経営センスなどを兼ね備えた人材であれば、弁護士の資格の有無は問わない」(化学)
「適切な人材が不足している」(食品)

といった意見を出したくなるような経験を一度や二度ならずしているわけで、それが「おおむね3年以内に法務部門全体を増員する」という考えを示した134社のうち、「弁護士で」数を増やそうと考えている会社は79社しかいない(一般社員を増やす企業は120社、弁護士登録をしていない「有資格の未登録者」を増やす企業は25社)という結果にもつながっている。

そのような状況で「変化」を取りあげるとしたら、ここ数年、「法律事務所からの転職」や「法律事務所志望だったけど実らず企業入り」というパターンよりも、

「最初から企業の中でキャリアを積みたい」

という志向が強い有資格者が増えている(一方で、採用の枠が少ないために断念して法律事務所に就職する、という以前とは逆のパターンも増えている)、ということくらいなのだが、この記事の中ではそこには一言も触れられていない。

そして、(これは十分想像できたことだが)今回の結果を今年のBuzzトピックになっていた「経産省報告書」の話と無理やり結びつけて結論に持っていこうとすることで、例年のこの企画と同様、極めてミスリーディングな記事となってしまっている*2

自分は、そもそもこういう分析を、一般メディアや、ポジショントークにしか関心がない組織弁護士の団体関係者等に委ねること自体に無理があると思っていて、このエントリーも、本来積極的に情報を出していかないといけない「現場の人間(=我々)」が忙しさにかまけて口を閉ざしていてはいけない・・・という自戒を込めて書いているのだが、願わくば、元号も変わる来年からは、地に足の付いた議論がきちんとできる環境、というものを作り上げていかないといけないな、と思っているところである。

なお、最後に、一部では依然として関心が高い「企業が選ぶ弁護士ランキング」、今年の結果は以下のとおりだった。

<企業法務分野>
1.中村直人(中村・角田・松本)24票
2.太田洋(西村あさひ)17票
3.野村晋右(野村綜合)12票
4.武井一浩(西村あさひ)11票
5.柳田一宏(柳田国際)10票

毎年、中村直人弁護士のトップが揺るがないので代わり映えしない印象があるものの、13年前の調査*3に比べると、やはり上位の顔ぶれは大きく入れ替わっているわけで、これまた、「平成」という時代の終わりとともに来年以降さらに新しい風が吹き込まれることを自分は期待してやまない。

*1:昨年のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20171218/1513703568

*2:個人的には「法務部門が果たすべき機能」という話と、「法務部門の体制」や「企業の法務部門に入ってくる人々の志向、属性」の話は、きちんと区別して分析されるべきだと思っていて、それを無造作にごちゃ混ぜにしてまとめられてしまうと、所詮は素人の調査だな、という感想しか出てこない。

*3:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051223/1135306868参照。今見て思い出したが、当時のトップは武井一浩弁護士!だった。

意外なところで第1号。

そんなに大きくは取り上げられていなかったものの、「消費者の財産的被害の集団的な回復のための民事の裁判手続の特例に関する法律」という長ったらしい名前の法律の成立を受けて、感度の高い各企業の担当者が戦々恐々としていたのは、もう5年くらい前のことになる。

現実には、当時想定していたとおり*1、この集団訴訟の類型に馴染む事件、というのはなかなか登場してこなかったし、その後の消費者契約法改正の議論の中でも何度か取り上げられたように、適格消費者団体自身の財政状況や業務執行能力がなかなか覚束なかったこともあって、制度はまだ日の目を見ていなかったのだが、意外なところから「第1号」案件が出てきそうな気配になっている。

「東京医科大が女子受験生らを合格しにくくする入試不正をしていた問題で、特定適格消費者団体であるNPO法人消費者機構日本」(東京)は11日、消費者裁判手続き特例法に基づき、近く同大に受験料の返還を求めて東京地裁に提訴する方針を固めた。特例法は悪質商法などで被害に遭った消費者に代わり、国が認めた特定適格消費者団体が損害賠償を請求できるとした。2016年10月に施行され、同法人が提訴すれば初めてのケースとなる。」(日本経済新聞2018年12月12日付朝刊・第41面、強調筆者)

このテーマに関しては、そもそも入試において「完全に公平な選考を行う」ということが、受験生・大学間の契約内容になっているのか?(誰を合格させるかは、本来、募集する大学の裁量で決められるべきものではないのか?)*2、という問題もあって、そう簡単に特定適格消費者団体側の請求が認められることにはならないだろう、という気はしている。

ただ、これで“一番風呂”を免れることができる、ということになれば、どの企業もほっと安堵するのは間違いない。

そして、振り返れば、消費者契約法の違約金条項の規制に俄然注目が集まったのも、立法に関与した方々が適用場面として想定していなかった、とされる「大学」での「学納金返還」に係る最高裁判決がきっかけ、であった。

消費者訴訟に関して、節目節目でなぜか主役の座に躍り出る「大学」が、今回どこまで争う方針を立てるのか、現時点では想像もつかないが、今回は無関係で済みそうな当事者としては、この際、集団訴訟制度の合憲性(笑)から徹底的に争ってもらって、また歴史に残る判例を作り上げていただきたいものだ、と思わずにはいられないのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140114/1389715313参照。

*2:もちろん、人種、性別による差別的取扱い等、大学側の裁量が公序良俗に反するレベルのもの、と評価されれば別だが、その場合でも不利を受けた受験生との関係で個別的な主張立証が必要な面もあるように思われ、本当にこの“集団訴訟”のスキームに馴染むのか、という点では疑問なしとはしない。

「立場」も必要性も理解はできるのだけれど・・・。

東京地検による日産のカルロス・ゴーン元会長らの起訴、そして再逮捕。
捜査手法に対するグローバル級の批判が鳴り止まない中、会見に臨んだ東京地検次席検事のコメントが報じられている。

「適正な司法審査を経て再逮捕に至ったことを理解してほしい」日本経済新聞2018年12月11日付朝刊・第43面)

本件に限った話ではないが、今の状況で検察関係者がオフィシャルな会見に臨めば、こうコメントするほかない。
そして、組織の中で生きる者として、立場上「適正」と繰り返し言い続けなければいけない苦しさもよく分かる。

だが、20日の逮捕後勾留期間をフルに使った挙句、再びの身柄拘束を「同一罪名」、それも役員報酬の「直近3年分」の過少記載、という“微罪”で行わなければならない状況で、形式的な手続きの適正性をいくら強調しても説得力は乏しい。

巷の報道では「司法取引」がなされた、と言われているし、日産自身も捜査に対しては積極的に協力しているとも言われているのに、「役員報酬の虚偽記載」という入り口からまだ一歩も踏み出せていない理由がどこにあるのか、外野の人間には知る由もないのだが、これからの20日+αの間に、特別背任なり、所得税法違反なり、といった“本丸”の被疑事実で立件するメドまで付けておかないと、検察の立場がかなり苦しくなる、というのは、改めて言うまでもないだろう。

日本国内では、検察関係者やOBがメディアに入れ知恵をしたのか、批判的報道に続いて「日本は欧米に比べて捜査側で使える手法が限られているので、捜査段階の身柄拘束が長期化するのもやむを得ない」的な論調の記事がここにきて散見されるようになってきているが、そもそも逮捕後の勾留は、取り調べの便宜のために認められているものではないから、中途半端に検察を擁護したところで、後で恥をかくのがオチである。

長期間、国境を越えて経営トップの座に君臨した大物経営者、かつ、油断するとプライベートジェットであっという間に国外に転じてしまうリスクも強い被疑者であるがゆえに、逃亡、証拠隠滅を防ぐために勾留する、という大義名分は十分にあると思っているのだけれど、話をそこに持っていくための材料があまりに希薄、かつ強引すぎる、というのが自分の率直な印象である。

この後、さらに“余罪”での起訴までたどり着けるのか、それとも、今年のうちに捜査の区切りが付いてしまうのか。
捜査の進展とともに、より多くの人々が腑に落ちるような展開となり、更にそこに持ちこむまでの過程とロジックが明確になれば、何も言うことはないのだけれど、今の時点では、そうなりそうな雰囲気が全く伝わってこないのが何とも残念である。

驕る経産省久しからず。

ここしばらく新聞紙上を騒がせていた「産業革新投資機構」をめぐる経産省と機構経営陣の対立は、田中正明社長以下、民間出身取締役9名が全員辞任し、新規投資凍結、ファンド活動の事実上の休止、という形で幕を閉じた。

役員の「高額報酬」の話から、機構自体の意思決定方法に係る問題まで、どちらの側もメディアを自分たちに都合よく使おうとしているのが透けて見えるような喧嘩だったから、ここでの勝ち負けはこの際どうでもいい*1

むしろ、今回辞任した取締役たちに称賛されるべき点があるとしたら、本来であれば使命を終えて消える運命だったはずの「産業革新機構」を、こういう形で姿を変えて蘇らせようとした経産省の思惑を完全に頓挫させたことにある。

どんなに高邁な理想を掲げたところで、「国」が背景にある以上、集めた資金の使途には多かれ少なかれ“国家の思惑”が反映されることは避けられないし、それは本来もっとも自由であるはずの経済活動を歪めることになりかねない。
それゆえ、どんな形であれ、自分はこういった「官製ファンド」を生み出すことには大反対で、この話が浮上した時から冷ややかな目で眺めていたし、経過のやりとりはともかく、結果だけ見ればオーライ、というのが、冒頭の幕引きに接した率直な感想である。

思えば、この6年という歳月は、安倍政権の庇護の下、経産省が他の省庁の領域から「民」の領域まで、あちこちに顔を出し、調子に乗って自分たちの“利権”を膨らませようとし続けてきた年月でもあった。
その多くは空転し、さしたる成果もないままいつの間にか消えていったプロジェクトも数多あるのだが、今回ほど派手に、自分たちの失敗を白日の下に晒したケースはなかったように思うだけに、これでようやく・・・という思いは強い。

できることなら今回一斉辞任した取締役たちの「後任」が空席のまま、この忌まわしい「機構」がそのまま眠り続けること、そして、経産省が大人しく静まり返って露骨な“領空侵犯”を自制する時代になることを心から願うばかりである。

*1:個人的には、国の後ろ盾の下、純粋な私企業としてのリスクを取らずに運営される法人である以上、その運営にかかわる人たちは“政治的な事情”で大臣の認可が得られない事態も最初から想定しておくべきだし、ここで私企業と同様の「取締役会によるガバナンス」を絶対視するのは、いささかナイーブ過ぎるようにも思う。

「自爆テロ」を「効果的手法」に変えた「司法取引」という裏ワザ。

依然収まらない日産のカルロス・ゴーン会長をめぐる一連の騒動。「容疑者」としてこれだけ報道され続けながら、未だに「代表取締役会長」という肩書を持ち続けているのは何とも不思議な気がする*1

海外在住のボードメンバーもいる会社だから、(既に取締役2名が欠けている状態で)簡単には取締役会を開けない、ということなのかもしれないが、やはりこういうところ一つとっても、何となく“日本の常識”から乖離しているように見えてしまう(不正検査問題以来ずっとそういう状況ではあるが)のが、この会社の最大の弱点なのだろう、と思わずにはいられない。

で、今日になって俄然盛り上がったのが、今回の金商法違反の捜査に先立って「司法取引」が行われていた、というニュースである。

最初そのニュースに接した時は、「なるほど、両罰規定があるにもかかわらず、会社が「金商法違反」という材料を会長追い落としのために使うことができたのは、『(日本版)司法取引』を使ったからなのか・・・」と勝手に納得してしまっていたのだが、続報によると、「司法取引を使ったのはオランダ子会社を統括していた外国人専務執行役員」とも言われている。

「かねて噂されていたゴーン会長の会社資金の公私混同。極秘の社内調査が始まった。当時、外国人の専務執行役員がゴーン会長の自宅購入に使っていたオランダの子会社を管理していたことを把握。調査の協力を取り付けた結果、ゴーン会長らとやりとりしたメールなど不正行為を示す直接証拠を収集し、東京地検特捜部に持ち込んだ。その後、外国人の専務執行役員らと特捜部が司法取引で合意。カリスマ経営者ら2人が逮捕に追い込まれた。専務執行役員らが取引に応じた理由には、自身の刑事処分の減免につなげる目的があったとみられる。」(日本経済新聞2018年11月21日付Web)*2

会社自身も「司法取引」の対象となっているかどうか、というもっとも重要な点はいずれ明らかになるのだろうが、仮に会社が直接適用対象になっていないとしても、一連の捜査協力で寛容な処分となる可能性は十分にあるから、当初は一見すると「自爆テロ」のような様相を見せていた本件も、実際には周到な用意の下、「肉を切らせて骨を絶つ」対応をした模範事例となりそうな気配である。そして「司法取引」というツールが社内不正の責任追及にも有力だ、ということを知らしめてくれた、という点でも本件には大きな意味がある。

自分は古い人間だから、どうしても、「次のタイミングまで待って・・・」*3と言いたくなるし、昨日のエントリーでも書いたように、「外からの力」に頼らないと正常な状況に戻れない会社、というのは、やはり組織としては異常だと思っているから、今日に入ってからの報道を眺めていても非常に複雑な思いだったのだが、今回の出来事が(トップ起因の)企業不祥事対応の転換点になるかどうか、もう少しじっくり様子を見守っていきたいと思っている。

*1:上場企業トップの逮捕といえば、思い出すのは未だにライブドア事件だが、当時現役バリバリのカリスマ経営者だった堀江社長ですら、代表取締役と社長職を退いたのは逮捕後1日か2日くらいのことだった。

*2:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37998330Q8A121C1EA2000/?n_cid=TPRN0003、強調筆者

*3:いきなり外に持ち出して、ドラスティックな公開捜査で事を世間にさらす前に、社内での真相解明と自浄作用の発揮をできるところまでやってみよう・・・という主旨で。

権力は常に腐敗する。

月曜日の夕方、いきなり飛び込んできた「カルロス・ゴーン会長逮捕へ」のニュース。
瞬く間に続報も配信され、長年、日産自動車の「改革」の象徴だったカリスマ経営者の名誉は地に堕ちた。

報道されている事実が真実かどうかは、いずれ第三者委員会の報告書なり、司法府での審理の過程で明らかになることだとは思うのだが、本件の筋の悪さは、

(1)実際の報酬よりも少ない額を有価証券報告書に記載した
(2)私的な目的で投資金を支出した
(3)私的な目的で経費を支出した

という3つの「罪」が内部の調査で明らかになった、とされながら、今回の逮捕劇が3つの中で一番どうでもよい(・・・というと語弊があるかもしれないが、要は会社にとって責任追及すべき本丸ではない)(1)の金商法違反でなされていること*1、そして、「私的な目的で会社資産を費消した」という企業経営者としては致命的な問題点を会社が事前に把握していたにもかかわらす、自主的な引責辞任や取締役会での議論ではない「司直による捜査」が“解任劇”のスタートラインになっている、ということにある。

ここに至るまでの経緯は、今後、様々なところで、多少の盛り付けを経つつ克明に描かれることになるのだろう。
ただ、後日、どれだけ話が美化されたとしても、今日の時点での一連のドタバタ劇は、会社が「自主的に統治機能を発揮してトップの首をすげ替える」という責任を放棄した結果、あるいは、「責任を発揮したくてもできないくらい統治機能が崩壊していた」結果であることは全く否定できないわけで、自分も含め、会社の中で大なり小なり内部統制に関わっている人々からすれば、実に背筋が寒くなる話でもある。

最近話題になっているゴールドマンサックスの不祥事*2の例でもそうだが、どんなに立派な企業統治、内部統制の仕組みを作ったとしても、トップが自ら不正を指揮している場合には何ら機能しない、ということを、これまで経営改革、組織改革の手本とされてきた日本有数の自動車会社が証明してしまった、ということの意味は重い*3

そして、ありふれた話にはなるが、今回の事件の背景に「カルロス・ゴーン氏が20世紀の末から足掛け20年近く事実上のトップの座に君臨していた」という事実があることは間違いないわけで、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する。」という言葉の重さを、企業経営に関わる全ての者が改めて顧みなければならない、とも思うところである。

*1:外形的に立証が容易なので、東京地検も事件の入り口としては手を付けやすかった、というのは容易に推察できるところで、今後、過少納税等の方にも捜査の手は及ぶのだろうが、今日の時点では、何となく本質からずれたところで火ぶたが切られた印象を受ける。

*2:1MDBの巨額不正事件にCEOレベルで関与していた、という話題。

*3:中には、「日産が(指名)委員会設置会社ではなかったからこんな問題が起きたのだ」といったピント外れの意見を述べる“有識者”も出てくるのかもしれないが、東芝の例を引くまでもなく、トップ自身の確信犯的不正に対してはいかなる内部統制体制も無力なのであり、それは監査役会設置会社だろうが、監査委員会、指名委員会設置会社だろうが変わらない。唯一違いがあるとしたら、取締役会議長を社外取締役に委ねている委員会設置会社だったら、「これから取締役会に解任を提案する」のではなく、「即日解任」という処理ができたかもしれない、ということだろうか。だが、それで何かが決定的に変わるわけでもない。

3年の時を経て現実となった「色彩商標」への懸念。

今日の法務面に、何となく懐かしささえ感じる記事が載った。

「2015年の改正商標法施行で「音」や「動き」など新しいタイプの商標登録が可能になってから3年たった。いずれも審査の基準は高いが、特にハードルが高くなっているのが「色彩」だ。1つの色(単色)での登録はいまだにゼロだ。同じような色に複数の申請も出ており、登録実現には消費者の認知度を高める取り組みが欠かせない。」(日本経済新聞2018年9月17日付朝刊・第11面、強調筆者、以下同じ。)

制度開始から3年あまりで、登録に至ったのはわずかに4件。既に500件以上も出願されているにもかかわらず、だ。

本ブログでは「新しいタイプの商標」が導入された平成27年施行の商標法改正前からこの問題を取り上げているのだが、施行後、同じ法務面に掲載された心ない特許庁担当官のコメントと記者の“感想文”に悪態を付いたのはもう3年近く前のことになる*1

そして、驚くべきことに、あの頃から状況はまるで変わっていない。

今日の記事でも、欧州のルブタンの話とか、いくつかの色彩商標出願企業の担当者の声をひとしきり掲載した上で、「そんなことは言われんでも分かっとる」という類のコメントを丁寧に載せている。

「ただ色彩は身の回りにあふれている。強い効力を持つ商標権を特定の企業に認めてしまうと、他社の商品で使えなくなったり、新サービスの足かせになったりするなど影響が大きい。特許庁は商標認定には「極めて高い著名性が欠かせない」(商標課)とする。色と商品やサービスの関係が幅広く認知される必要があるというわけだ。」
「新井悟弁理士は「制度導入から間もない日本では特許庁が登録基準作りに慎重になっている」との見方を示し、「それだけに企業は出願した色が有名であることなどの細かな証明が求められる」と話す。出願企業からも「どうやって認知度を調査するか検討している」との声が出始めた。」(同上)

2015年の制度開始に合わせて出願した企業の担当者の多くは、少なくとも半年以上は前から資料を集め、説明会に出て、手探りながらも方針を立てて新しい制度に挑もうとした者たちだ。だから、出願した色彩商標、特に単色の商標が早いものがちですんなりと登録されるなんてことは誰も期待していなかったし、当然ながら著名性を立証するための準備もしていた。

だが、同年暮れから2016年にかけて、一斉に拒絶理由通知が出た後の特許庁の対応の融通の利かなさぶり、トンチンカンぶりは、多くの実務家の想像を遥かに超えていた。

例えば、メーカーであれば自社製品のパッケージに、サービス系の会社であれば店舗や広告等に長年、かつ大量に使い続けている色彩を出願する場合、その製品なり、展開している店舗やサービスなりが市場で高いシェアを占め、多くの人の目に触れているのであれば、それだけで使用による識別力取得を立証するには十分な材料になるはずである。

ところが、特許庁の言い分は、「ロゴマーク等の他の商標と一緒に使用していたらダメ」と、かつて立体商標の世界で裁判所に否定された理屈だったり、似たような色*2を使っている会社がある、と、商標的使用でも何でもない、たまたま見つけたデザインカラーの広告媒体等を拾ってきたり、というものだから、どうにも噛み合わない。

挙句の果てには、「識別力を客観的に示す材料を持ってこい」と、アンケート調査の活用まで押しつけてくる。
調査会社は大喜びだろうが、そのために多額の費用を出さないといけない出願人にとってはたまったものではない。

何よりも、企業側の担当者にとって一番困るのは、会社のCI戦略や大々的なマーケティング戦略に則り、文字通り何年もかけて「企業ブランド」を守るために育て、使い続けてきた色彩とその意味を、「自分たちの作った審査基準を形式的に適用することしかできない」特許庁の審査官が一向に理解しようとしてくれないことにある。

自分だけでなく多くの企業の商標に関わる人々は、自社の色彩商標が登録されたからと言って、類似の色を使っている会社に片っ端から権利行使する、なんてことは考えていないし、登録された色彩商標の権利範囲自体、たかが知れている(基本的には狭い)、と思っている者がほとんどである*3

広告、ブランドの専門書で、ブランドとしての力を発揮している「色彩」の例が紹介されることは多いが、そういう例も場面も当然ながら限られているし、世の中に氾濫する多くの色彩は、「商標」としての機能とは無関係に単なるデザイン、装飾の一部として使われているものに過ぎない。

だから、(これは色彩商標に限った話ではないが)権利行使場面の判断基準まできちんと頭に入れて対応するのであれば、色彩商標が登録されたからといってそれが直ちに様々な商業活動の足かせになる、ということにはならないし、真に企業のCIが揺るがされるような悪質な第三者が現れた時に初めて抜く(そうでもない限り、極力抜きたくない)“伝家の宝刀”くらいの認識でいれば十分なのである*4

それなのに、あたかも「自分たちが認めたら絶対的な権利になってしまうから、そう簡単には登録させない」とばかりに特許庁が意固地になって対応するものだから、審査コストもそれに対応する出願人のコストも飛躍的に増していき、ストレスの種もどんどん増える。

そして、今思えば遥か昔、6年前に危惧していたこと*5が、今まさに現実の問題となってしまっていることに暗澹たる思いしか湧かない*6

「色彩商標」などというものは、登録審査時点で識別力を厳格に審査する日本の商標制度には本来整合しない制度、しかし、いったん制度ができてしまえば、企業としてはそれに乗っからざるを得ないし、それに対して、特許庁がこれまで通りの商標の建前論を振りかざせばとんでもない軋轢が生まれる・・・。

ちょっと事情と法律が分かっている人なら誰にでも想像が付くストーリーが見事に展開されている中で、それでもなお、特許庁が自らの建前論に縛られたガチガチの審査運用しかできないのであれば、一向に状況が改善することはないだろう。
どこかの会社が思い切って審決取消訴訟まで持ちこんで、知財高裁にさばけた判断を出してもらえば、また状況が好転することがあるのかもしれないが、そこまで行く前に何とかしろよ、というのが、一実務家としての切なる願いである。

なお、ここまで書けば、日経紙の記者が今日付けの前記コラムで呟いた以下のフレーズが、いかにピント外れか、ということも分かるはず。

「企業と色の関係性をどう消費者にアピールするか――。企業にとって、認知度を高めるマーケティング戦略もカギとなりそうだ。」(同上)

多くの企業は「マーケティング戦略」の結果、積み上げた信用(色彩と会社の商品・サービスとの結びつき)を元に商標出願を行っているのであって、商標登録のためにマーケティング戦略を・・・などというのは、ピンボケにもほどがある。
もちろん、これまでのマーケティング戦略の成果を定量化して特許庁の審査官に示す、という戦略が現状必要になっていることは否定しないが、企業にそこまでの手間をかけさせないと登録査定一つ出せない審査官の技量(ブランド戦略に関する知識欠如)の方が問題なわけで、特許庁サイドのコメントを無批判に載せ続けて「企業側に」宿題を課そうとする記事のスタンスにも、また大いに問題がある、と思うのである。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20151201/1449416848参照。

*2:素人目に見ても(同系色だが)明らかに違う色、というケースも多いが。

*3:新しいタイプの商標の導入に合わせて「商標的使用」の法理が明文で規定された今となってはなおさらである。

*4:ちなみに、今回の記事で取り上げられている「ルブタン」をはじめ、欧州で登録されている色彩商標の例が取り上げられることも多いのだが、欧州域内の原則実体無審査の制度の下で、異議を受けずに登録されている商標がいかにたくさん存在するからといって、それらを全て権利行使可能な代物と捉えることは相当でない(「ルブタン」の話は当の欧州域内でも大ニュースなのであって、この話がこんなに話題になる、ということは、それだけ権利行使が認められる機会が少ないことの裏返しだと自分は思っている)。もちろん日本でも、審査を受けて登録されれば、いつでもどこでも誰にでも商標権を行使できる、という制度にはなっていないのだから、効力が狭いという点では何ら変わりはない。

*5:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20121126/1354466589参照。

*6:拠って立つ基盤が全く異なる欧米の制度を「国際調和」の名の下に日本に持ちこんだらどうなるか、を証明してくれた、という点では意味があるのかもしれないが・・・。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html