喫煙者に貼られていく「レッテル」

毎年恒例のJTの調査で、
成人の喫煙率が10年連続最低を記録した、という記事が
今朝の朝刊に載っていたが(日経新聞2005年10月19日・34面)、
その隣にとんでもない記事が載っている。


日本循環器学会など9学会の合同研究班が、
18日までに、診療指針「禁煙ガイドライン」を作成した、というものなのだが、
その中身がいかにも酷い。

「たばこを吸わない社会習慣の定着」には、喫煙自体を「病気」と位置付けた上で、すべての医師が患者の喫煙を把握し「治療」を勧めることが必要と判断した。

そうで、

たばこを吸うのは「ニコチン依存症と関連疾患からなる喫煙病」

ということになったそうである。


ま、医者が、特定の「症状」に「病気」というレッテルを貼る時は、
大抵、裏にどす黒い思惑が渦巻いているものである。


「病気」のレッテルを貼ることによって、
社会に新たな「患者」が生まれ、彼・彼女達が病院に足を運ぶことによって、
新たな収入源を確保する、という思惑が。


「高血圧」を病気にした時と同じく、
じきに製薬会社が、画期的な「喫煙治療薬」を開発し、
循環器系の医者と製薬業界が、総ぐるみでわが世の春を謳歌することだろう。


仮に、結果として、
誰も肺がんや呼吸器系疾患にならない「健康な社会」が実現したとしよう*1


だが、個人の嗜好を抑圧して作られる「健康な社会」は、
社会のあり方として極めて不健全なものであることもまた事実である*2


「喫煙」という病気を駆除した後には、
「飲酒」という病気が標的にされることだろう。
その後は、お菓子を間食することも「病気」扱いされるようになるかもしれない。


多くの国民は、標準的な食事として、
一日三回、サプリメントを摂取して、
優れた栄養バランスを維持することになるかもしれない。


だが、そんな世の中に生きることが果たして幸せなのか・・・?


なお、わが国を代表するのであろう、立派なお医者さまの皆様には、
タバコに依存する人間の健康に配慮していただくというご厚意に、
とりあえず感謝申し上げておくが、
同時に、タバコを毛嫌いする側の人々のメンタル面の問題にも、
十分なご配慮をいただく必要があると思うので、
是非とも、「治療」の機会は公平に設けていただきたくよう
お願いしたいものである(笑)。

*1:そういう想定自体がそもそもフィクションに過ぎないのであるが。

*2:ちなみに、歴史上、もっとも国民の健康増進に熱心だったのは、ナチス時代のドイツであると言われている。

訴訟での証拠収集をめぐる一事例

17日の朝刊の社会面に小さく載っていた記事から、
民事訴訟における文書提出命令に関する一つの最高裁判決にたどり着いた。


最三小判平成17年10月14日*1


これは、労災事故で死亡した工員の遺族が勤務先の会社を相手取って起こした
損害賠償請求事件の中で、
原告側が、労基署の作成した「災害調査復命書」の提出を求めて争ったものである。


労働者側の関係者が、訴訟において企業と争う時、
「武器対等」とは程遠い実態にあることを、
自分はこれまでの法務担当としての経験の中で痛感している。


果たして今回の判決が、そのような実態に一石を投じるものになるのか、
日を追って、少し検討してみることにしたい。

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