六本木今昔

アカデミーヒルズに行った。
年に数度、大きなシンポジウムがある時に
足を向けるだけの場所に過ぎないが、相変わらず外の眺めは良い。


昨日のシンポジウムは、
「日経知的財産フォーラム」という一昨年から始まったイベントだったのだが、
去年が比較的内容盛りだくさん(個々のイベントの質はともかく)、
といった感があったのに対し、
今年は、いわゆる「知的財産(資産)経営」というテーマに偏っており、
あまり食指は動かなかった。


大体パネリストの顔ぶれを見ても、
あずさ監査法人だとか、新日本監査法人だとか、トーマツだとかの
スポンサーになっている“会計屋”さんばかりで、
自作自演の臭いがぷんぷんする・・・。


知的財産(さらにはもっと広い概念である知的資産)を
企業経営や企業の価値判断に活用していこう、という発想は、
それ自体間違ったものではないと思うが、
今の日本においては、単なる“ラベルの張り替え”によって、
“会計屋”さんにメシの種を提供するだけに終わってしまっている。


ほとんどの事業会社にとっては、
「本業」でいかにキャッシュを稼ぐか、というのが経営命題であり、
それこそが事業の本質である。


いわゆる「知的財産」は、事業を補完するツールとして、
有力な武器にはなりうるが、それ以上の存在では決してない。
「補完」物に過ぎないツールを過大評価すべきではない。


まともな企業であれば、そんなことは百も承知だから、
経済産業省がいくら「知的資産経営」の旗を振ったところで、
率先して飛びつこうとするはずがない。


形のない資産に将来への希望をつなごうとするのは、
できたばかりのベンチャー企業と、
有形資産でキャッシュを稼ぐ望みのなくなった末期状態の企業だけである。


だから、天下の日経ともあろう新聞社が、
派手に旗を振れば振るほど、
そこには空しさが漂う。


久しぶりの六本木で、自分の印象に残ったのは、
実りのないシンポジウムよりも、
回転扉のなくなった六本木ヒルズと、
エン・ジャパンの就職セミナー目当てに並ぶ学生の長蛇の列と、
六本木界隈にはためく、「ヴェルファーレ10周年」の“のぼり旗”。


学生の時分、
夜の六本木を飲み歩くほどのカネも度胸もなかった自分だが、
当時できたばかりのヴェルファーレでバイトしていた先輩に、
学生にはとても手が届かないようなお店で飲ませてもらったのを、
今でも良く覚えている。


狭い四畳半の片隅で生きてた自分にとっては、
別世界の思い出だった。


いつか稼げるようになったら、
Myボトルを入れたい、と願っていた自分ではあるが、
背伸びをしなくてもボトルの一本や二本は入れられる身分になった今、
不思議と、そういう欲求は消えている。


歳をとったせいなのか、
“大衆酒場”に馴染みすぎたせいか、
それとも、その両方か・・・。


いずれにせよ、六本木が今でも遠い街であることに変わりはない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html