未履修の何が悪いの?

最近巷を賑わせている履修漏れ問題。


今朝の朝刊には都内私立高校の調査結果も掲載されていて、
ドキドキしながら読んでみたが、
母校の名前は、残念ながら(笑)掲載されていなかった。


筆者のいた高校では、社会も理科も高1の時は全科目必修で、
高2から一定の選択が可能になる、という仕組みだったのだが、
自分の場合、社会は日本史・世界史選択、理科は物理・化学選択。


当時から一番ハードといわれる組み合わせで、
「労多くして利薄い」「無謀」と言われまくった記憶があるが*1
自分の場合、理科の方はともかく*2
社会に関しては世界史、それも近現代史に興味をもったがゆえに、
政治思想史やりたい→法学部 となったのが実態だから、
科目選択としては決して間違っていなかったと思うし、
別に政治学系の学科でなくても、
社会科学系の学部学科を目指す者が、
世界史もロクにやらずに大学に入ろうというのは、
あまりにおこがましいのではないか、と思ったりもする*3


もちろん、理科だの社会だのを手広くやれば、
その分、英語だの数学だのといった、
入試的観点からいえば“必須”の科目に少なからずあたりが出るわけで、
自分の母校の場合、そもそもカリキュラム上、
英語の時間が異常に少なかったし*4
それ以上に本人も勉強しなかったから(苦笑)、
外の模試何ぞを受けに行くと、結果は散々。


でも、入試には関係ない*5と周りが内職に励む中で、
ひとり目を輝かせて戦後の日本史だとか世界史だとかの授業を聞いていたのは、
決して無駄にはならなかったと思う*6


・・・と、ここまで書くと、
「未履修の皆さん〜、頑張って補習受けてね(ハート)」
という流れになりそうなものだが、
自分が言いたいのはそういうことではない。


世界史の講義は文系、理系問わず有用だと思うし、
それ以上に生きていく上で家庭科は重要である。


だが、そういった有意義な授業の効用を享受しうるのは、
あくまで“生徒”自身なのであって、
生徒自身が自らそれを望んで放棄したのであれば、
本来、何ら咎めを受ける話ではないはずである。


進学実績を上げるために、
学校が作為的にいびつなカリキュラムを組む、
それ自体が大きな問題であることは間違いない。


だが、それはあくまで、
そういったカリキュラムの元での履修を余儀なくされた生徒と
学校との間で問題にされるべき話に過ぎず、
お国がわざわざ口を出すような話ではない、と思うのである。


さすがにここに来て、
「生徒の負担軽減」を求める動きが見られるようになってきたが、
今回の“騒動”の初期段階においては、上記のような視点からの検討が
全くもって欠けていたように思えてならない。


そもそも「学習指導要領」は、文部科学省の単なる「告示」に過ぎず、
法律の下の下にある一基準に過ぎないのだから、
一応は法的拘束力が認められるとしても、
それはあくまで法律の委任の範囲内のものにとどまるはずである。


「学習指導要領」で、世界史が必修になっているのが
いかなる趣旨によるものなのかは知らないが、
単にそれを必要時間履修していない、というだけで、
高校の卒業資格をフイにするような措置をとることが、
学校教育法の趣旨に照らして適法かどうかは、
争う余地があるように思われる*7


にもかかわらず、「学習指導要領」を金科玉条の如く受け止める、
「教育界の論理」(それも公立学校に限られたものに過ぎない)だけで、
ことを論じようとするから、
こういった奇妙な騒動になってしまうのではないだろうか。


学校側(特に私立学校)としては、
「生徒の利益になる」と思ってカリキュラムを組んだのだから、
自信を持って卒業資格を認定してやれば良いのだ。
そこに何らかの干渉が入るのであれば、
体を張って生徒を守ってやればよい。


それなのに、マスコミにちょっと叩かれたから、
といってあたふたして、
生徒を不安に陥れるような真似をするから、
余計に騒ぎが広がってしまうのである。


そのあたり、端で見ていると、
歯がゆくて仕方がない。


かつて、筆者の母校には、

「学習指導要領なんてくだらないものがあるから、日本の教育はダメになるんです」

と言って、年度初に教育委員会か何かの指導文書を
生徒の目の前で破り捨てる気骨ある教員がいたりもした(笑)*8


ゆえに、今回母校がブラックリストに上がらなかったのは、
筆者としては、ある意味残念でならないし、
気骨ある母校の教職員たちはもっと残念がっているかもしれない(笑)。


いずれにせよ、こんな馬鹿騒ぎはさっさと終わりにしたほうが良い。


「履修した生徒との間の公平性云々」などという議論もあるようだが、
「世界史」の授業は別に“罰ゲーム”ではない。


文部科学省が課したカリキュラムが真に理にかなったものであれば、
授業を受けることによって得した生徒はいても、
損をした生徒はいないはずなのであって、
ゆえに誰からも文句が出るはずはないのである*9


なお、私立灘高校の、未履修に関する以下のニュース。

「同校によると、理系クラスの一部74人が二科目必修の「日本史または地理」で一科目しか履修していなかった。また「家庭科」について同科の教員免許を持たない物理などの教員が教えていた。同校は履修したことにならないと判断した。」(2006年11月1日付朝刊・第39面)

心から同情する。


生徒に対して、というよりはむしろ、
物理教えるはずが、家庭科教えるハメになってしまっていた
灘高の先生に・・・。

*1:当時は今と違って世界史が必修にはなっていなかったから、文系でも日本史・地理選択が主流だった。

*2:高3の夏までは理系で、しかも一番の得意科目が物理だったこともあって、他の選択肢をとりようがなかった・・・(2番目に得意な生物と物理の選択の組み合わせが某大学の入試事情により、自分の学校ではNGだったこともあって、苦手な化学を嫌々取らされるハメになったというのが実態)。

*3:倫理や現代社会だけではカバーしきれないし、そもそも世界史を知らずに倫社を学んでも理解できるのか、疑問である。

*4:何せ週3コマだから(笑)。それゆえ、他の選択科目で時間数が足りなくなることもなかったのだろう。もしかすると、全員全科目必修の高校1年目だけで、必要時間数をクリアしてるのかもしれない(計算方法が良く分からないのだが、どの科目も週2コマ入ってたから、70時間なんぞ1年でクリアできそうなものだ。他の学校はその時間何に使ってたのか、そっちのほうが気になるのだが・・・。

*5:某大の二次試験には、現代史はほとんど出題されていなかったから。

*6:結局、大学に入ってから興味が二転三転したがゆえに、そっちの方の研究の道に進む、という夢は叶わなかったのだけれど。

*7:そもそも、時間数をこなせば必要な学力が付く、というのは単なるフィクションに過ぎないというのは、誰しもが知っていることで、極端な話、日本史の授業をこと細かく時間をかけてやった学校の生徒が身につけた「世界史」の知識が、適当に時間数を消化した学校の生徒のそれを上回っていたとしても不思議ではないのである(日本史と世界史は密接に連関している。地理だってそうだし、倫理・現代社会だってそうであろう・・・)。

*8:しかも、まだ義務教育の中学生に向かって(爆)。パフォーマンスと分かっていても、取りあえず面白くて、皆喝采を上げていた。

*9:もし文句が出るとすれば、それは「学習指導要領」が合理的なものではなかったことの何よりの証明であろう。

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