司法試験法改正は何をもたらすのか?

法改正に向けて動いている、という話は以前から聞いていたものの、いざ改正法案が成立し、こうやって記事がミスリードな形で掲載されているのを見ると、複雑な思いを抱かざるを得ない。

「司法試験を受けることができる回数を増やす改正司法試験法は28日の参院本会議で可決、成立した。5年間で3回としていた回数制限を5回までにする。受験者の心理的負担やリスクを減らして、「法曹離れ」に歯止めをかける狙いがある。2015年の司法試験から適用する。」(日本経済新聞2014年5月28日付け夕刊・第16面、強調筆者)

今回の改正法については、法務省のホームページにも、概要や新旧対照条文が掲載されているのだが*1、実のところ、改正の内容自体にそんなにややこしい話はない。

司法試験の試験科目については、

<現行法>
(司法試験の試験科目等)
第三条  短答式による筆記試験は、裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とし、次に掲げる科目について行う。
一  公法系科目(憲法及び行政法に関する分野の科目をいう。次項において同じ。)
二  民事系科目(民法 、商法 及び民事訴訟法 に関する分野の科目をいう。次項において同じ。)
三  刑事系科目(刑法 及び刑事訴訟法 に関する分野の科目をいう。次項において同じ。)

と定められている法3条1項の規定を、

<改正法>
(司法試験の試験科目等)
第三条  短答式による筆記試験は、裁判官、検察官又は弁護士となろうとする者に必要な専門的な法律知識及び法的な推論の能力を有するかどうかを判定することを目的とし、次に掲げる科目について行う。
一  憲法
二  民法
三  刑法

とシンプルに変更しただけだし*2、「司法試験の受験資格等」に関する第4条についても、

<現行法>
(司法試験の受験資格等)
第四条  司法試験は、次の各号に掲げる者が、それぞれ当該各号に定める期間において、三回の範囲内で受けることができる。
一  法科大学院(学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)第九十九条第二項 に規定する専門職大学院であつて、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とするものをいう。)の課程(次項において「法科大学院課程」という。)を修了した者 その修了の日後の最初の四月一日から五年を経過するまでの期間
二  司法試験予備試験に合格した者 その合格の発表の日後の最初の四月一日から五年を経過するまでの期間
2  前項の規定により司法試験を受けた者は、その受験に係る受験資格(同項各号に規定する法科大学院課程の修了又は司法試験予備試験の合格をいう。以下この項において同じ。)に対応する受験期間(前項各号に定める期間をいう。以下この項において同じ。)においては、他の受験資格に基づいて司法試験を受けることはできない。前項の規定により最後に司法試験を受けた日後の最初の四月一日から二年を経過するまでの期間については、その受験に係る受験資格に対応する受験期間が経過した後であつても、同様とする。

となっている現在の規定について、

<改正法>
(司法試験の受験資格等)
第四条  司法試験は、次の各号に掲げる者が、それぞれ当該各号に定める期間において受けることができる
一  法科大学院(学校教育法 (昭和二十二年法律第二十六号)第九十九条第二項 に規定する専門職大学院であつて、法曹に必要な学識及び能力を培うことを目的とするものをいう。)の課程(次項において「法科大学院課程」という。)を修了した者 その修了の日後の最初の四月一日から五年を経過するまでの期間
二  司法試験予備試験に合格した者 その合格の発表の日後の最初の四月一日から五年を経過するまでの期間
2  前項の規定により司法試験を受けた者は、その受験に係る受験資格(同項各号に規定する法科大学院課程の修了又は司法試験予備試験の合格をいう。以下この項において同じ。)に対応する受験期間(前項各号に定める期間をいう。)においては、他の受験資格に基づいて司法試験を受けることはできない。

と、「3回」という受験回数制限を撤廃し、さらに、“最後に受けた時から2年間受けられない”という(元々合理性に疑問があった)ルールも撤廃して、非常にシンプルな規定へと整理し直した、というだけである。

そして、これまでに少しでも「(競争)試験」というものに触れ、経験してきた者からみれば、この改正は、

短答式試験の科目を絞ることによって、憲・民・刑の3科目について、より高いレベルの知識水準を求める
「受験できる回数を増やすことにより、毎回の受験者数を下支えし、ひいては試験全体のレベルを上げる

という2点から、「新司法試験のレベルを引き上げ、選考試験としてのハードルを上げる効果をもたらす改正」であることは一目瞭然だろう。

なのに、記事に書かれているのは、「受験者の心理的負担やリスクを減らして・・・」という、改正を字義通り捉えただけでは到底導き出されないフレーズ・・・。

試験科目数が少なくなれば、皆、その絞り込まれた科目の対策に集中するから、受験者のレベルが変わらなければ、

「これまで6割、7割とれていればよかったものが、8割、9割とれないと厳しい」*3

という現象が起きるのは自明の理である*4
人気がピークだった頃の旧試験において、あちこちで「論文書かせればAレベルの受験生が、択一で足元を掬われるがゆえに、受験生活をズルズルと引き延ばされる羽目になった」という悪夢のようなエピソードが散見されたこともまだ記憶に新しい*5

科目数を増やした結果、旧試験でもっとも重視されていた「憲・民・刑」について合格者の知識レベルが下がり、それを憂いた当局が、“原点回帰”を狙って試験科目を絞った、というのならまだ分かるし、おそらく今回の改正をお膳立てした当局の側には、そういう思いも込められているのだろうが、それが前面に出されずに「負担を減らす」という真逆のキャッチフレーズが付けられているのを見ると、何とも言えない気分になる*6

また、「試験科目絞り込み」ほどのインパクトはないとしても*7、「5年間」をフルに使えるようになったことは、やはり多少は、試験の競争倍率にも影響してくることだろう。

この問題がややこしいのは、「3回フルに受験してしまう」受験生にとっては、今回の改正は確かにリスク回避、心理的負担の緩和につながる一方で、(よりボリュームとしては大きい)「これから試験を受けようとする」受験生にとっては、単に受験者数が増えて目前の試験が“狭き門”になる、という効果しかないことにある。

そして、前者の“救済”に目を向けた結果、後者の受験生に、より過酷なハードルを課す、という帰結になっていることが、今回の改正を考える上で、あまりに軽視されているように、自分には思えてならない*8


いずれにしても、「今回の改正によって、記事の中で書かれているような効果がもたらされる可能性は低い(むしろ逆向きの効果が生じる)」というのが、自分の見立てである。

そして、副次的な効果として、一部の“オールラウンダー信奉者”にとって、今回の法改正で手が付けられなかった「予備試験」のステータスがより高まる*9、とか、法科大学院を修了したらさっさと就職して、「5年の間に受ける機会があれば受ける」という緩やかなスタンスの受験者が増加する*10、といった、誰も予想しなかったような展開が現れるかもしれない。


これまで、制度自体が誤算続きでずっと来てしまっている以上、今さら外野が口うるさく言うような次元の話でも、もはやなくなっているのだが、どうせなら、ここで生じるであろう「誤算」がトドメとなって、次なる制度の大変革の引き金が引かれる、といった展開になった方が、皆幸せになれるのではなかろうか・・・

そう思わずにはいられない、今日この頃である。

*1:http://www.moj.go.jp/housei/shihouseido/housei10_00065.html

*2:3条2項の論文式については、選択科目も含めて現在の科目を維持。一部で囁かれていた選択科目完全廃止、という愚挙はさすがに避けられたようだ。

*3:今の短答式足きりのボーダーラインがどの程度か、自分は知らないので、この数字もあくまでたとえに過ぎない。

*4:要は、足きりのボーダーラインが上がるか、ボーダーラインの急騰を抑え受験者間で「差」を付けるために、問題に急激な捻りが加わるかのどちらか、という結果がもたらされることになる。

*5:もっと古い話になるが、一昔前には、「国立志望の現役受験生は、上位私大の人気学科は(自信なくすだけだから)受けてはいけない」という話もあった。理由は簡単で、現役生の勉強量だけではどんなに頑張っても、純粋文系科目に絞って勉強してきた浪人生に勝てないから。科目数が多いと、一見負担が大きいように見えるが、一科目ごとに求められるレベルが下がる分、勉強量の少なさをセンスでカバーできる余地も大きくなる。自分は、今の「科目数が多い司法試験」を受けた経験はないのだが、結局は同じことではないかと思っている。

*6:もちろん、旧試験とは違って、今の試験は、短答式と論文式が同時に行われるし、よほどの失敗をしなければ、論文試験の答案の採点もしてもらえるシステムになっているようだから、「論文すら書かせてもらえない」というかつての悲劇が繰り返されることにはならないのかもしれないけれど、「合格ラインから引き離されないようなレベルのスコアを稼ぐ」ためには、これまで以上の対策が必要になってくるのは、間違いないように思われる。

*7:元々「受け控え」を余儀なくされてしまうような心理状態の受験者が、最終的に合格する可能性は決して高くないはずだし、3回続けて合格を逃した受験者が、その次(あるいはさらにその次)の機会で合格までたどり着く可能性も決して高くはないと思うので。

*8:元々、学部課程を修了した上に、更に学費を払って2年、3年法科大学院で時間を費やしている受験生にしてみれば、従前の法務省のパターナリスティックな制度設計に依るまでもなく、受験生活に「5年」も費やす暇は存在しないはすで、ほとんどの受験生にとっては、今回の改正は「安心感」を与える以前に、「より不安感をかき立てる」ものになってしまうように思えてならない。

*9:一部の某有名国立大学とその出身者によく見受けられる「5教科7科目制してこそ一流だ」という思想(笑)の持ち主にとっては、「7法+一般教養」で短答式を突破し、実務基礎科目に口述試験までクリアしなければならない、という「アメリカ横断ウルトラクイズ」的な試験を突破することの方が、司法試験本番に合格することよりも、より重要視されることになるような気がする。

*10:就職して1,2年経てば環境にも馴染むし、その程度の年次の社員が「自分の時間が全くないほど仕事をさせられる」というのは一般的ではないので、毎年願書を出すだけ出して、自分のペースで受ける、という人が今以上に増加する可能性は高いだろう。そして、元々が同じくらいのレベルなら、根を詰めて何年も受け続ける人より、そういう緩いスタンスの人の方が合格できる確率は高いと思う。

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