怒りの炎。

会社の人事というのは、自分の思うようにはならない、というのが世の常である。会社というのが、人の寄せ集め組織である以上、その時々のある程度の不利益は甘受せねばならない、ということは、いかに我侭な筆者でも一応は理解できる。


だが、物事には限度というものがあるはずだ。


頻繁に人が出入りする会社、というのは、世の中に結構あるし、そういう会社で人が辞めていくのは、一種の新陳代謝ともいうべきものだから、少なくともやめられる側にとっては、そんなに大きな痛手となる話ではないだろう。


だが、ゆりかごから墓場へ直行するような、根拠のない終身雇用幻想がいまだ根付いている古典的大企業において、人が次々と辞めていく、それも明らかに優秀で仕事のできるタイプの人間がいなくなっていく、という現象が起こっている場合、それはもはや笑い話では済まされない深刻な事態となる。


悲しいことに、筆者の会社では、もう何年も、そういう事態が続いている。世間ではそこそこ持て囃されていても、皮を一枚めくれば、それは沈みかけた船。あたかも、氷山に直撃した直後のタイタニック号のように、ゆっくりと沈みかけている姿がそこにはある・・・。


本来であれば、将来、自分と同じフィールドで、会社の中核を担うはずだった後輩がまた一人会社を去った。しかも、不可思議な人事運用を繰り返した挙句、何度も訴え続けた本人の声にも一切耳を貸さなかった会社に絶望して・・・。




法務パーソンというのは極めて正直な人種だ。


会社の価値観よりも、常識的な法理に照らした“あるべき価値観”を、組織の論理よりも、自らが美徳とする“あるべき論理”を優先できる数少ない人種である。


群れないし、媚びない。そして筋を曲げない。


そんな潔い人種だからこそ、理不尽な組織運営に愛想を尽かすのは早いし、機能不全に陥った組織に見切りをつけるのも早い。ゆえに、ここ数年、我がタイタニック号から続々と法務系の人材が流出しているのも、職種ゆえの必然として、受け止めなければならないことなのかもしれない。


しかし、何も会社が背中を押すことはあるまい。未来ある若者を追い詰める必要はあるまい・・・。


今、筆者が感じているのは、激しい憤りと絶望である。


「前例がない」「一人だけ特別扱いはできない」


そんな決め台詞を繰り返し述べるだけの、何のポリシーも持たない傀儡たち。“慣性の法則”に乗っかって、天上人たちの思い付きで降ってきたお達しを右から左へ、左から右へとベルトコンベアに載せるだけの無能な民。そんな連中を人は“人事族”と呼んで怖れる。怖れすぎたがゆえに直属の部下さえ守れない、そんな管理職さえ数多いる。


だが自分は恐れない。


腐った林檎の樹を根っこから掘り返して、木っ端微塵に叩き潰すまでは。そして、汚れた血と膿を洗い流すまでは、夜叉になってでも大事なものを守り抜く。今はそんな覚悟でいる。


これまでだって要所要所で喧嘩をしかけてはいたものの、どうでもいい時は、自分の仕事が楽しければいいや、と日和っていた自分。しかし、そんなことではもう何も守ることはできないと知った今、総玉砕的テロリズム精神で、日々壁に立ち向かわなければならぬのだ。


残念ながら自分は一介の雇われ労働者に過ぎない。紙一枚でジョブのみならず職場まで失いかねないか弱い存在の自分が、社内のエスタブリッシュメント達に戦いを挑んだとしても勝算は薄いし、それ以前に、おそらく、戦いを“挑む”状態になるはるか手前で、干し挙げられて万事休す・・・そんな状況になるのは目に見えている。


それでも、立ち止まるわけには行かない。


法務という仕事は、社内の太い幹のような仕事に比べれば、か細い糸のような存在でしかないが、細い糸でも、奥深くまで毛先を伸ばし、心臓部にまで絡まれば、いざという時に大動脈を断ち切れるくらいの存在感を発揮できるようになるかもしれぬ。そして、そういった存在感を発揮することこそが、法務という弱小職能が生き残るための唯一の道だし、我々は常にそういうポジションを奪い取ることを目指さなければならないのだ!


残された猶予は決して長くはないが、行けるところまでいくしかない。心の中で青白い炎を燃やしつつ、我ら弱小職能が背負った怨念を晴らすための戦いを前に、胸をときめかせている自分が、ここにいる。

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