黒い羊。

世の中には、いろんな会社がある。

「年がら年中新しい人が入ってきては、先にいた人がどこか他の会社にいってしまう」というようなところもあれば、「定年以外の退職、転職は一大事」みたいなところもある。
どちらがいいとか悪いとか、という話ではないのだけど、後者のタイプの会社から抜け出す時の摩擦はどうしても避けられない。

それゆえに、覚悟を決めるまでの時間以上に、ことが決まってからの時間の方がはるかに重く、苦しい日々になってしまった。
一応、そんな日々も、まもなく一つの区切りを迎えることにはなるのだが、
これで終わった、というよりは、戦闘態勢整ってここからが本番、というのが今の心境である。


最近、「法務機能」とか「法務組織」に関する議論が、いろんなところで行われている。
その中で有識者や一部の実務者によって語られる言葉の中には、傾聴すべきものもあるし、自分とてそういった議論を全て否定するつもりはない。

ただ、そういった議論の場が、そしてそういった議論に関与している人々が、無意識のうちに前提としているのは、「法務」という職能と、それを看板に生きる者の存在が当然に承認されている世界であり、企業であるようにも思える。

だから多くの場合、そういった議論からは、

「「法務」と名の付く部署はあっても、部門長も含めてそこが会社の長いキャリアパスの中での一通過点に過ぎない会社の中で、「法務」という部門とそこでの仕事に誇りを持つ者たちが、どうやって部門としての自律性を保ち、自分たちのキャリアとスキルを磨く環境を手に入れるか?」

という発想が、どうしても抜け落ちてしまっているような気がしてならない。

幸いにも自分は、今も昔も「法務」がキャリアの”一通過点”としか見られていない組織の中で、「企業法務戦士」としてのマインドと属性のまま、20年近く生き延びることができた。

その過程では、純粋なプレーヤーからプレイングマネージャーに、さらにはほぼマネージメントに専念する立場に、というキャリアパスを経ることもできたし、「法務」の枠を大きく踏み外すことなく、でも、伝統的な職人仕事からは大きくはみ出して事業の意思決定の根幹に食い込む、という幅の広げ方も、かなりの部分まで実現させることができた。

一方で、会社全体がこういった人事運用を正面から認め、「法務」の役割の拡大を許容していたのか?、といえばたぶんそれは違ってて、あくまで、自分の社内での実績と、流した汗と、それによって培われた人間関係が、大きな組織の中のちょっとした「特例」を許した・・・客観的に見ればその程度の話に過ぎなかった。

だから、自分の動きやマネージメント手法は、よく言えば〝飛びぬけて”いた、ということになるし、法務に良からぬ感情を持っている者から見れば〝悪目立ち”だったはずだ。

どんな人間でも一つの部門に長くいて、誠実に仕事をしていれば、頼ってくる人も増えるし、好むと好まざるとにかかわらず耳に入ってくる情報も増えるから、どうしてもその人間を中心に部門の仕事が回っていくようになることは避けられないのだけど、自分は、小さな部門の「皇帝」として未来永劫、君臨することを目指していたわけではないし、ましてや自分のポジションをいつまでも「例外」のままにしたかったわけでもない。

いつか、自分が果たしてきた役割を既存の部門の壁をぶち壊して不可逆的に組織の中にインストールし、自分や、ずっと同じチームでやってきた少数精鋭の同志たちが長年蓄えてきたノウハウを名実ともに「組織知」化してやろう、それができたら悔いなく卒業できる、だからそれまでは頑張る、という思いだけでやってきた。

だが、歳月を経て、上司も、同僚も、部下までめまぐるしく入れ替わる組織の中で、異動の声を聴くたびに思いを共有できる者は減っていく。

「人一倍自分の仕事にプライドを持ち、ハードワークも引き受ける代わりに、筋が曲がったことには上に対して物申すことも厭わない、少数勢力でも戦う矜持だけは持っていた野獣たちの群れ」は、いつしか時代の変化、若者気質の変化とともに、「おとなしい羊たちの群れ」に変わっていった。

そして、仕事のスタイルは変えても、自分のカラーだけは変えずにやってきた結果、取り残された一頭の「黒い羊」。

ここまで書けば、物語の結末がどうなったか、は、時事問題に精通した読者の方であれば容易にお分かりになるだろう*1

残念ながら、自分は、日々地道に実績を積み重ねる一実務者に過ぎず、決してプロの「表現者」ではない。
だから、何かあった時の”卒業公演”の場もなければ、大々的に不特定多数に向けてメッセージを出す、ということもできない。
姑息な「栄転」でお茶を濁そうとした卑怯者たちの喉元に、ナイフよりも切れ味鋭いサプライズ辞表を突きつける、というハイライトシーンがワイドショーのネタになることも決してない。

組織の中でどんなに輝きを放っているように見えても、与えられる仕事がなくなれば、淡々と消えていく。
残念だけど、それが自立していない組織人の現実であり、限界でもある。

ただ、これまで逆境の中でキャリアを積み重ね、会社という組織の枠の中で許容される限界ギリギリまで徹底的に挑戦してきた経験はきっと次のステージで生きる、と自分は確信しているし、教科書的な理想論ではなく、本当の意味で「リアル」な法務機能、法務組織の議論ができるようにするために、自分が果たさないといけない役割もあると思っている。

この先も引き続き、自分が「実務者」であることに変わりはないし、そこに自分のベースがある、ということは忘れないようにしたいと思っているけど、同時に「表現者」としての新たなスタートもこれから切っていく・・・その覚悟をもって、これからゆっくりと突き進んでいきたい。

*1:元々の歌詞も、それに仮託して何かを伝えようとした人のケースも、決して誰にとってもハッピーと言えるような終わり方にはなっていない。

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