「法科大学院正念場」

日経新聞の月曜日の法務面に「法科大学院正念場」という記事が載っている*1


いわゆる「未修者」に初めての受験機会が巡ってくる、2度目の新司法試験実施を前に、「昨年実績が伸びなかった大学院の修了者が不安から挑戦を先送りしたり」、「社会人学生が仕事との両立を断念する」といった現象が生じていたり、「予備校に応援を求める大学院もあ」るなど「理想との落差」が見えてきた、というのが、記事の主な趣旨になっている。


まぁ、難関と言われた旧試験だって、2年次の終わりくらいから「法律の」勉強を初めて、4年次、5年次で合格する者は決して少なくなかったのだから、

「未修者が新試験に臨む場合、最低でも大学院と合わせて四年の勉強期間が必要」(早稲田セミナー・村越恵美子本部長のコメント)

というのは言い過ぎのような気もするし、仕事との両立を「断念」する学生が多いのは、仕事よりも勉強に魅力を感じる(あるいは法曹と言う職業に就くことに魅力を感じる)人々が多いことの裏返し、と善解すれば*2、そんなに悲観すべきことではないように思う*3


ここぞ商機、とばかりに参入してくる予備校に対しては、

法科大学院は受験テクニックに走る予備校に対する反省から生まれたはず。後戻りしていいのか」(文部科学省・小笠原千寿法科大学院係長のコメント)

というコメントも掲載されているが、いかに崇高な理念を掲げても「試験」である以上、一定のテクニックが要求されるのは当然の話だし*4、「テクニック」というのはそれを生かすだけの基礎的素養があって初めて生きてくるものであるのだから、予備校が手助けをすることが、そんなに非難されるような話だろうか、という疑問も残る。


大体、我が国の制度の一種のモデルとなっている米国においても、

「司法試験に合格するためには、司法試験予備校(bar review)に通うことが必須と考えられている。これらは私設の営利企業でそれぞれ特徴を持った予備校が多くある。中にはMBE(編注:全国司法試験協議会が作成する択一式の試験)専門の授業をやるところもあり、人によっては複数の予備校を掛け持ちすることもある。」(渋谷年史「米国ビジネス方のダイナミクスVol.7」NBL852号77頁(2007年)

ということなのだから、予備校を積極的に参入させることによって、「大学は試験に直接関係しない理論や実務テクニックを教えるところ。予備校は試験対策を行うところ。」という役割分担をはっきりさせた方が、元々の理念にも叶うというべきではないだろうか。


筆者の経験も踏まえて言えば、「大学院で勉強できる」というただそのことだけで、その人の人生にとっては大きな価値があるのだから、「質の高い法曹養成」といった、崇高な理念に必要以上に固執する必要はないと思うし、ましてや新司法試験の合格率といった些細な話にそんなに拘らなくてもいいだろう、と思ったりもするのであるが、それはあくまで、かれこれ十年働いていろんな人間の人生模様をとりあえずひと通りは眺めてきた(つもりになっている)若年寄の戯言*5


世の中には、そうも割り切れない人々もたくさんいるのは承知の上なので、ここのところは読み流していただいて一向に構わないのだが・・・。

*1:2007年4月2日付朝刊・第19面。

*2:そもそも会社に籍を置きながら学校に通っていた人にしても、「法科大学院に行こう」と決めた時点でいつかは職を離れる覚悟はあったはずで(それがなければわざわざ法科大学院に行こう、などとは思わなかったはずで)、当の本人にとっては周囲が思うほど深刻な話ではないのでは、と思う。

*3:個人的には、仕事する時は仕事する、勉強する時は勉強する、とはっきり切り替えた方が、本人にとっても周囲にとってもベターだと思う。

*4:逆に、テクニックが全く使えないような予測不可能な問題が毎年出されるとしたら、それはそれで非難されるべき話であろう。

*5:いろいろ考えて行き着いた先は、地位とかステータスとかはどうでもよくって(金は一応大事w)、「今が楽しければそれでいいじゃん」というところだったわけで(笑)。

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