一人旅

学生時代、「青春18きっぷ」片手に、ふらっと思い立って旅に出かけることが時々あった・・・。


というと、いわゆる“マニア”な人と誤解されがちなのだが、あの頃は単に、遠くに行くための手段が他になかった、というだけの話。


計画性がない人間なので、予約が必要なバスは使えないし、飛行機は財布の問題と、千秋真一も真っ青の“飛行機恐怖症”*1ゆえに使えなかった。


となれば、田舎出身の友人たちが使いまわした「18きっぷ」の余り分を、なけなしの資産で買い取って、遠くに行くくらいしか楽しみはなかったのである。


初めて行ったのは、夏の日本海だったか。


新潟経由で海を見ながら富山、金沢、福井、そして大阪へ・・・。


帰省中の友人の実家に二泊、野宿一泊、そして梅田のカプセルホテルに一泊。


最後はコーヒー一杯飲む金すらなくなり、餃子の王将で皿洗いして定食食わせてもらおうか*2、と思ったくらい、貧乏旅行ここに極まれり、という感じだったのであるが、それでも見るものが目に新しく、いろんな発見ができた旅として、鮮明に記憶に残っている。




最近、通勤以外に、各駅停車に乗る、という機会がとんとなくなりつつある。


出張でもプライベートでも、新幹線だの飛行機だの、と便利な道具を使えるようになって、それでいて現地で寿司(時々回転するが・・・)食えるくらいの身分にはなった。


たまに余興で乗ることはあるが、出張中はもちろん、オフの日でも日ごろの疲れを取るのに精一杯で、窓の外の景色を見ながら、想像力を働かせる、なんてことはずいぶん減ったような気がする。


だが・・・


自分はそんなふうに目を瞑れるほど、世の中のいろんなものを見尽くしたのだろうか。何もかもが予測できてしまうほど、すべてを知り尽くしているといえるのだろうか。


仮に戻れたとしても、二度と味わいたいとは思わない学生時代の貧乏生活だが、あの頃の新鮮な気持ちは、それはそれで大切なもの。それが失われかけているのだとしたら、やっぱり哀しい。


日常と違う環境では、いや、ささやかな日常にさえも、常に昨日とは違う新しい何かが転がっているはずで、それが見えなくなってしまったら、生きている意味なんてないんだと思う。




自分が常日頃思っていること。


新しい何かが見えなくなったら、新しい場所を自分で探して行くしかない。そして、それは旅に限った話でなく、人生も同じだ・・・。


今年の夏は、久しぶりに旅に出ようと思う。


その先にある、果てしない長旅に備えるために・・・。

*1:ジェットコースターも乗れない(これは今でも変わらない)のに、飛行機なんて乗れるわけない、と勝手に思っていた食わず嫌い・・・。

*2:西のほうの学生街の王将には、よくそういう店があった。

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