「元経済産業省課長」という肩書よりも、「元・衆議院選挙宮崎3区候補者」、とか「宮崎知事選候補者」といったキャッチフレーズの方がしっくり来るのではなかろうか。
「6日午前9時40分ごろ、沖縄県今帰仁村運天の海水浴場「ウッパマビーチ」で、元経済産業省課長の持永哲志さん(48)=東京都世田谷区=がおぼれているのを遊泳客が見つけ、消防に通報した。病院に搬送されたが、死亡した。本部署は水死とみている。」
(日本経済新聞2008年8月7日付朝刊・第43面)
社保庁長官を務めた後、衆院で5期議席を守った持永和見・元自民党代議士を父に持ち、自らも東大法学部から通産官僚の道を進む。
そして、父の引退に伴い、地盤を継いで出馬・・・・
と来れば、前途洋洋たる政治家人生が開けても不思議ではなかったのだが、そこは保守陣営が随所で内ゲバを繰り返している宮崎県のこと。
最初の衆院選では同系候補との公認調整が付かず、出馬するも敗北。さらに2度目の選挙では前回選挙での敵、古川禎久氏の郵政造反に伴い、自民党の公認を得た“刺客”として再び挑むも連敗。
そして、自民、公明の推薦を得て出馬した宮崎県知事選でも、保守系候補乱立と東国原ブームの前に沈み、3度目の敗北・・・。
以前、持永氏のHPを覗いたことがあるが、まだ小さなお子さんと、夫婦が揃った幸福そうな家族写真がそこには飾られていた。
今回の死亡記事の中では、
「長男(5)を背中に乗せて泳いでいたところ、波打ち際から約メートルの所でおぼれた。長男は近くの遊泳客に助けられ無事だった。」
という短いコメントも付されている。
「選挙」という名の悪魔に取り憑かれ敗れ続けたこの5年間、そして苦闘の末にもたらされた今回の悲報。ご家族の心中は察するにあまりある。
高校−大学と進んだ経歴を見ても、通産省時代のキャリアを見ても、持永氏は、本来、宮崎のようなドロドロとした田舎を地盤とすべき政治家ではなかったのだろう*1。
それでも「宮崎」に果敢に挑み続けた一人の政治家に、筆者はどこはかとなく共感している。
残念ながら現在更新が停止されている個人ページ(http://www.mochinaga.net/index.html)が開くことは二度とないのだろうが、せめてこういった人物が存在したことくらいは、少なくとも記憶の片隅にとどめておきたいと思うのである・・・。