どっちもどっち。

日経の法務面で、「社外取締役の充実を巡る市場関係者と企業経営者の対立」の構図が紹介されていた。


曰く、市場関係者が、金融審議会や企業統治研究会で、

「上場企業への社外取締役の原則導入」

を主張しているのに対し、経団連が4月に公表した提言の中で、

(1)金融危機を招いた米金融機関のガバナンスは法律や証券取引所が求める(社外取締役の義務付け)要件を備えながら、機能を果たさなかった
(2)特定の国(米国)のガバナンスルールを日本に当てはめることは適当ではない
(3)(日本の)監査役制度は欧米の経営監視機能に勝るとも劣らない

と、現在主流となっている監査役設置会社モデルを“自賛”し、

「効果が明らかでない社外取締役の導入を事実上強制するのはおかしい」(新日鉄の佐久間総一郎執行役員)と反発している」

状況が生じていることを紹介しているのだが・・・





率直な感想を言えば、「委員会設置会社化を強制する」わけではなく、「社外取締役を一人以上入れてほしい」といった程度にとどまっている市場関係者の要望に、意固地になって“ゼロ回答”を貫く意味はよく分からない。


今でも、名だたる大企業にはたいてい社外取締役が1人はいるし、1人でいいんだったら、どっかから社外取締役候補者を連れてくることは、そんなに大変な作業ではないはずだ。


その一方で、「社外」の人間を経営に関与させることで企業統治がより充実するはず、という発想も企業経営の実情を理解しない浅はかな議論であることは否めない*1


現在のように、“社長のお友達”や“どっかからの天下り組”を社外取締役の枠の中に収めている場合はもちろん、真に中立的な人物を連れてきたところで、状況がドラスチックに変わるとは思えない。


結局のところ、それぞれの会社が直面している経営課題や、ステークホルダーとの関係、ひいては会社のあり方というのは区々なのであって、伝統のある企業であればあるほど、社内プロパーの人間が数十年かけて蓄積してきた会社への深い理解と人間関係がなければ、会社の中にある病巣にメスを入れることはできない*2



「生え抜きだからこそ、重大な場面でNo!と言う。」


というのが自分のポリシーだし、今の時代、同じ思いを持って仕事に勤しんでいる人間も決して少なくはない。


真に企業統治の強化を望むのであれば、「社外取締役」という、効果の疑わしい(かつ無駄にコストがかかる)“劇薬”に過剰な期待を寄せるよりも、良い処方箋はあるのではないか・・・と思うのである。

*1:仮に、社外取締役の導入、といった次元にとどまることなく、「委員会設置会社化」まで求めたとしても同様であろう。

*2:「企業の経営(&経営者の経営能力)」というのは、学者や評論家が机上で考えているほど普遍的なものではない、と自分は思っている。

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