祈り

“同じ国の中でもちょっと距離があるところ”で起きている出来事を、テレビ画面を通してずっと見ていると、どうしてもリアルな感覚が薄れてきて、あたかもゲームか、あるいはハリウッド映画を見ているような感覚に陥りがちだ。

今日、職場のテレビの前に集まって、やれヘリコプターの水の落とし方がどうだ、とか、放水車がどうだ、などとあれこれ騒いでいた若い衆*1も、大方そんな感覚で見ていたのだろう*2

だが、自分はとてもじゃないけど、そんな気分にはなれなかった。

もし、自分が、自衛隊や警察や、あるいは東電の関係者で、放射性物質が漏れ出しているあの環境に飛び込んで作業してこい、って言われたら、どんな思いに駆られるだろうか・・・とか、自分の部下に「飛び込んでこい」っていう指示を出さないといけない立場になったら、どんな思いでその決断をするだろうか・・・とか、考えただけで心が痛んでしまうから。

結局は、テレビから目をそむけて、デスクで目の前のパソコンに向かっても、いろんなものが頭をめぐって、ロクな仕事ができないのは分かっているのだけれど・・・。


今はただ、祈るしかできない。

原発が何事もなかったように深い眠りにつき、消火や注水作業にかかわった多くの人々の身体にも何ら影響が出ない・・・そんな素晴らしい結末が訪れるのであれば、祈ったかいもあるというものだ。

だが、それが叶う保証はどこにもない。

積み重なっていく不運の連鎖を眺めるだけで、真綿で首を締められるような気分に陥る今日この頃。

自分自身、少し疲れがたまってきている、というのは事実だとしても、それ以上に、このもどかしさをどうにかすることができない・・・という現実を日々思い知らされていることの方が、ダメージとしては大きいのかなぁ・・・と思ったりもしている。

*1:若くない衆の姿もちらほらあったが・・・。

*2:もちろん、刻々と変わる情勢に合わせて営業拠点に指示を出し、顧客への対応を指示していかなければならない、という使命を負っているがゆえの「情報収集」という側面もあるのだけれど・・・。

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