人間の証明。

おそらく、今回の五輪で、一、二を争う“バッド・サプライズ”に位置づけられるであろう、男子体操の団体戦での内村航平選手の大乱調。

前回の五輪以降、世界選手権の個人総合では3連覇中。
昨年の世界選手権では団体戦決勝で少々乱れたものの、どんな大会でも、ほぼ隙のない演技を見せて、不動のエースとしての地位を確固たるものとしてきた内村選手が、予選、決勝、と、あんなボロボロの状態になるなんて、誰が想像できただろう。

最終的に、スコアの修正等もあって、団体戦決勝では辛うじて銀メダルのポジションを保ったものの、この4年間の間に積み重ねた“貯金”に救われた感は拭えず*1、メディアが求める“スポーツマン的爽やかさ”とは無縁な、演技終了後の茫然とした表情だけが印象に残った。

団体決勝の後、予選前の公式練習の映像を見る機会もあったのだが、やっぱりその頃から明らかにおかしい。
予選の時にテレビに映った内村選手の痩せこけた頬とボサボサの髪を見て、「一体、どうしちゃったの?」という感想を抱いたものだが、「何としても団体金メダル奪回」という重い十字架を大エースとして背負うプレッシャーは、常人には想像しえないような、壮絶なものだったのだろう。

日経紙の記事では、

「内村も人間だった」

という体操協会関係者のコメントが紹介されていたが、団体予選、決勝の2日間は、明らかに、そんなベタなセリフの一つも言いたくなるような状況だった。


・・・で、一日挟んでの個人総合決勝。

それまでの実績や、決勝に残っている他の選手との力関係でいえば、ぶっちゃけ、負ける要素はほとんどなかっただが、ロンドンに入ってからの姿をテレビの前で見せ続けられた者としては半信半疑で、録画もとらずに寝てしまったのだが・・・ 朝起きてあらびっくり。

何となく“普通”っぽい風体に戻り、どこかしら吹っ切れたような顔で淡々と演技した内村選手が、前日までとはまるで別人のように、全種目15点台の得点を並べて堂々の優勝を遂げた・・・(しかも日本人初の世界選手権個人総合との2冠)、というのを、“サプライズ”と言わずに何と言おうか。

極度のプレッシャーの下で、派手に調子を崩し、荷を下ろした瞬間に、いつもの自分に戻る。
どんなスーパーアスリートも一人の人間なんだ、ということを、負けてもなお、勝ってもなお証明した内村選手の魅力を、この数日間の間に、我々は思い知らさせることになった・・・。

なお、五輪での個人総合金メダルが28年ぶり、ということで、自分が子供の時のロス五輪のヒーロー、具志堅幸司氏の名前が度々連呼されている、というのは、当時テレビに食いついていた人間としては、何となく嬉しいものがある*2

ロス五輪の時は、冷戦真っただ中で、昔の東側の国々がかなりの数ボイコットしていたこともあるので、一概にその価値を比較することはできないのだが*3、いずれにせよ、内村選手が名実ともに偉大な先人たちと肩を並べたのは間違いない。

後は、4年後に、北京、ロンドンで手に入れられなかったものを手に入れて、体操の全ての歴史を貪欲に塗り替えていただくことを、今はただ願うのみである。

*1:あのあん馬の「落下」が、実績のない無名選手の演技だったとしたら、そもそも異議申し立てが受け入れられる余地すらなかっただろう、と個人的には思っている。

*2:あの当時の悪ガキは、小学校で鉄棒だのマット運動だのをやる時に、好き勝手に「グシケン!」だの「モリスエ!」だのと叫んで暴れて、先生を困らせたものだ。さすがに校庭の鉄棒でトカチェフをやろうとするアホはいなかったが、“大車輪モドキ”の技はそこそこ流行っていた。

*3:ただ、逆に、当時はまだ種目別スペシャリストが少ない時代で、有力選手は皆個人総合に挑戦していたし、当時の具志堅選手は、モスクワ五輪が幻に終わった後、年齢的にはピークを過ぎたように思えるタイミングで五輪に出場していた、といった点は考慮する必要があるだろう。

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