憂鬱な日々の中で。

「新しい年」が始まる時には、何もなくても、何となくいいことがありそうな気がするもので、何となく気合いも入るもの。
そして、今年も例外なくスタートした時は、それなりに思いをもってパソコンに向き合い始めたはずなのだけど、身の周りは慌ただしく、気が滅入ることばかり。
そして、世事に目を向けて気分転換しようにも、日に日に、目にするもの耳にするものが、ことごとくげんなりする方向に向かっていっていて、なかなか筆を取りたくなるような気分にならない。


政権が、この3年ちょっとの間の“成果”をアピールしているのを嘲笑うかのように、世界中で景気が変調をきたして、通貨相場も株価もコントロール不能な状態に陥っている。
どっちに転ぶか分からないTPPのような博打や、“成長戦略”などと言う、真面目に働いている民間人にとっては余計なお世話以外の何ものでもない施策に力を注ぐより、もっと国としてやるべきことをきちんとやって足元を固めてほしいなぁ、と思っていたら、案の定・・・。

追い詰められた日銀が繰り出した禁じ手が、後々効果を発揮するのかどうかは、今の時点では何とも言えないところだが、世界規模の景気変動とマネーの動きに対して、ちっぽけな日本政府ができることなんてほとんどない、ということを、年明け早々思い知らされるような結果になってしまっているのは、何とも残念である。

東アジアでも、米国でも、中東でも、結構とんでもないことが起きつつあるのに、新聞では早くも“選挙”をキーワードにしたせせこましい記事が躍るようになってしまっているし、テレビを付ければ“下衆”な話題ばかりに時間が割かれていて、ほとんどカオスの様相を呈している、というのが、いかにものどかな日本らしいのだが、意識の高い人も、そうでない人も、「安保」や「改憲」や「下衆不倫」のような分かりやすい話だけでなく、もっと冷静に、今の日本と日本人が置かれている環境とそこから生まれる問題に目を向けて、将来を任せられる人をふさわしいポジションに選んでいかないと・・・と思わずにはいられない。

誰かに未来を託したくても、受け皿となってくれるような政党も候補者もいない、声を上げようとしても、目の前で繰り広げられているのは“極右”と“極左”の泥仕合ばかりで、中産階級の地道な経験と賢慮に根ざした地に足の付いた主張をしっかりと受け止めてくれる勢力もいない、という現状では、「週刊文春」を広げて溜飲を下げることくらいしかできないのかもしれないけれど、そう遠くないうちに再び政権選択の機会は訪れるはずなので、もう一度、有権者としての怒りを示すエネルギーは貯めておかないと、と思うのである。

かくいう自分も、“忙しい”を連呼しているくせに、某ネタ目当てに「週刊文春」を10数年ぶりに買ってしまい、それで時間を浪費しているようなうつけなことをしているので、こんな偉そうなことを書ける義理はないのであるが・・・。


この先、世の中がどう回っていくにしても、胸を張って議論に参加したくなる・・・そんな土壌だけは残ってほしい、と心から願っている。