蹉跌を超えて辿り着いた頂点。

去年まで、というか、つい2日前までは永遠に続くと思われていた「深緑」の快進撃が遂に止まった。
第95回箱根駅伝、2015年から続いていた青山学院大学の連覇ストップ、そして新たに頂点に立った東海大学

青学の時代が続いていたといっても、たかだか4年、昨日10連覇が夢と消えた帝京大ラグビー部に比べたら大した話ではない*1、という声もあるのかもしれないし、勝った東海大はユニフォームこそ見慣れないものの*2、チームとしては46回の出場経験に往路優勝の実績もある名門校だから、青学が初優勝した時ほどのサプライズではない、という意見もあるだろう。

ただ、箱根を前に「学生駅伝三冠」の夢が早々と絶たれていた昨年とは異なり、今年の青学は出雲、全日本と既に2冠を達成。
しかも、昨年卒業した4年生の穴を2年生、3年生がきっちりと埋めていて、「今年は通過点、更なる連覇も可能」というのがレース前の評判だった。

だから、往路4区、5区の大ブレーキでまさかの6位、首位の東洋大に5分30秒の差を付けられた時も、「これも新たな奇跡への序章だろう」とくらいにしか思っていなかったのであるが・・・。

結果的には、往路では区間賞をとった選手は皆無ながら青学がしくじった後半4区、5区で巧みに巻き返しでトップに1分14秒差の好位置(2位)につけ、復路で“最古の区間記録”を破った8区・小松陽平選手を筆頭に全ての選手が区間の3位以内で走り切った東海大が、往路・復路とも2位ながら総合優勝、という珍しいパターンで逆転優勝を遂げることに。

青山学院にしても、復路に10000mの持ちタイム28分台の選手を4人並べる布陣だったから、たとえ5分30秒の差でも全くあきらめてはいなかったはずで、現に、往路で首位だった東洋大は最終10区できっちり捕まえて、復路新記録、総合タイムでも新記録、という見事な結果を残している。

ただ、9区の吉田圭太選手*3にしても、アンカーの鈴木塁人選手にしても、追いかけようとする気持ちが強すぎて、区間の序盤で差を詰めた勢いを終盤まで持続させることができず、その一方で、逃げる東海大は9区の湊谷春紀主将、10区の郡司陽大選手が、自分のペースで慎重に入って最後まできっちり実力を出す、という鉄板作戦に徹したことで、タイム差3分以内のエリアに深緑のユニフォームを侵入させることを阻んだ。

もし何かの弾みで、走る順番の前後が入れ替わっていたら、全く逆の結果に、あるいは、それ以上に青学がぶっちぎる結果となっていただろう、と思わせるほど、青学の各選手の走りが見事だっただけに、1つのブレーキが大きく結果を変えてしまう駅伝の怖さを、我々は思い知らされることになってしまったのである・・・。

ちなみに、自分の中では、ユニフォームがまだ空色だった頃の、往路に"超大学級”の選手を並べて古豪勢を食いにいっていた東海大の印象が強い。
あれよあれよという間に1区から首位を快走して初の往路優勝を遂げた2005年もそうだし、一番迫力があったのは、1区の佐藤悠基選手が2位に4分以上の差を付けて襷をつなぎ、続くエースの伊達秀晃選手も2区でほぼ区間賞の走りを見せて大量リードを保ったまま疾走した2007年だった。

一方で、それだけ爆発力のある選手を擁しながら、その後の区間でレースを面白くしてしまうのもこのチームの弱点だったわけで、2007年にしても往路5区の大失速により、往路優勝すら逃す結果となったし*4、伊達選手、佐藤(悠)選手が揃った最後の学年だった翌2008年は、両エースの踏ん張りで7区(この年は佐藤悠基選手が復路のこの区間に回り区間賞の快走を見せた)まで3位に粘っていたものの、8区、9区で失速した挙句、10区でアンカーの選手が転倒して棄権の憂き目に・・・‘’*5

その後も2年続けてシード落ちと苦戦が続いた後、2011年に当時の大エース・2年生の村澤明伸選手の17人抜きの快走と5区の早川翼選手の粘りで往路3位、復路でも粘って総合4位に入って一瞬復活の兆しを見せたものの、監督が新居利広氏から現在の両角速氏に代わった翌年には復路の失速で再びシード落ちし、2013年の大会にはまさかの予選会落選で連続出場記録までストップさせてしまう*6

5年前の第90回大会(2014年)で復活し、その翌年以降は4年連続シード圏内を確保。
戦術的にも、それまでの「往路一発」作戦から、力が拮抗した選手をうまく配置して復路でも順位を落とさないようにする作戦に切り替わりつつあったが、もがいている間に、かつての全盛期(2004~2008年頃)には常に一つ下のランクにいた東洋大や、その頃は出場さえしていなかった青山学院大が優勝争いの常連校に「成長」していく姿を目の当たりにさせられた関係者の焦燥感は察するにあまりあるところであった。

平行して懸命なスカウティング活動等を行ったゆえだろうか、2年前の第93回大会(2017年)では、補欠も含めた16名のエントリー選手の半分を「1年生」で固め、当日も往路で1年生4名を起用する策で青学に挑んだこともあった。
結果的には見事に打ち砕かれたものの、この時の1年生は今年のメンバーにも補欠を含めて7名エントリー、うち、1区の鬼塚選手(区間6位)を除き、実際に走った全員が区間3位以内の力走を見せており、経験が見事に生きた形になっている*7

ただ、高校駅伝の歴史に残る名将として母校に迎えられた両角監督にしてみれば、戦術の変更や先を見据えた選手起用が「分かりやすい結果」に結びつかない、という現実は実に歯がゆい状況だったはずで、レース前の「今年勝てなかったら来年も・・・」という言葉にもそんな思いが滲み出ていたから、今は積み重ねが実って本当に良かったですね・・・ということに尽きる*8

今回の優勝を機に、「青」が「深緑」に代わって新たに覇権を築くのか、それとも再び戦国時代に突入するのか、現時点では何とも予測できないところではあるのだけれど、両角監督にも、青学の原監督と同様に、「箱根が終わりではない」というポリシーは備わっているように見えるだけに、今回の東海大の優勝が「世界」を見据えた陸上界のレベルアップにつながることを信じて、新たな「名門」の登場を祝うことにしたい。

*1:あとで結果を見た時に一瞬誤報か?と思ったくらいのびっくりニュースだった。今年の対抗戦で明大に負けた、というニュースを聞いた時も、ん???と思ったのだが、やはりそれだけチーム力が落ちていた、ということなのだろう。決勝のカードは早稲田対帝京、そして早稲田が対抗戦の雪辱を晴らす、と予想していたが、結果的には全く「裏」のカードになった。

*2:今年はずっとテレビ中継ではなくラジオで聞いていたので、最後のゴールシーンで初めて見て一瞬違うチームが最終区で逆転したのか?と思うくらい衝撃を受けた・・・。学校のカラーに統一した、ということのようだが、伝統のある他校(順大、神大等)の色ともかぶるし、個人的には“らしくない”と思うので、できれば次のシーズンからは戻してほしい・・・。

*3:今シーズンブレイクした2年生で出雲、全日本とも区間賞を取っている選手。

*4:初代山の神・今井正人選手の4人抜きの快走があったとはいえ、東海大の選手も区間14位と大失速しており、“自滅”に近い形の敗北だった。

*5:往路優勝した次のシーズン以降、距離の短い出雲駅伝ではこのチームで3連覇を遂げているくらいだから、トップレベルの選手のスピードでは他の有力校には決して負けていなかったはずなのに、起用選手数が増え、距離も伸びる箱根駅伝になると、どこかで穴ができてしまう、というのがこのチームの最大の弱点だった。この時代で総合順位がもっともよかった年が、伊達選手らが入学する前の2004年(総合2位)だったというのも皮肉な話で(この年に目立っていたのは山登りの中井祥大選手くらいで、抜群に力が抜けた選手はいなかったと記憶している)、力が抜けた選手が入ったがゆえに、かえってチームとしてはバランスが悪くなったところもあったのかもしれない。5区に伊達選手を起用して失敗する等、選手起用も決してうまいチームではなかった。

*6:特に、2012年のシード落ち、2013年の予選会落ちは、両角監督自身の佐久長聖高校時代の教え子でもある村澤選手のコンディション不良とも重なっていただけに、「送り出す側」から「迎えて起用する側」に転じたがゆえの難しさも感じさせるエピソードとなってしまった。

*7:この時、5区の2桁順位でブレーキ役を演じた館澤亨次選手や、6区で順位を押し上げられなかった中島怜利選手が今回の優勝の立役者になっているし、この年に往路15位からシード権を取り返した7区以降の上級生の頑張り(石橋安孝選手(4年生)の4人抜き(区間賞)など。)も、昨年5位、今年優勝というプロセスにつながっている、と考えると、非常に感慨深いものがある。当時の感想については誰も止められなかった深緑。 - 企業法務戦士の雑感参照。

*8:どうしてもすべてのスポーツを監督目線で見てしまうのが最近の傾向で、それは駅伝とて例外ではない。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html