改元の年、2019年の4月も終わりに近づくにつれて、店頭に並ぶ出版物の表紙に「平成(回顧)」のタイトルが刻まれたものを目にする機会も多くなった。
数日前に発売されたNumber誌の特集もずばり「平成五輪秘録」。
Number(ナンバー)977号「夏季・冬季15大会総特集 平成五輪秘録。」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2019/04/25
- メディア: 雑誌
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振り返ると、1992年のアルベールビル(冬)に始まり、バルセロナ、リレハメル、アトランタ、長野、シドニー、ソルトレイク、アテネ、トリノ、北京、バンクーバー、ロンドン、ソチ、リオデジャネイロ、そして昨年の平昌。
ソウルやカルガリーの頃は、一人でテレビにかじりついて・・・というわけにも、なかなかいかない年頃だった自分が、プライベートの空間を持ち、一晩中一緒に声援を送れる仲間を持ち、毎日前日の競技の結果をランチで話題にできるような職場を持ち、600キロ離れたところで電話越しで観戦に付き合ってくれていた人はずっと隣にいてくれるパートナーになり・・・、と、この15回の間に自分自身にも様々なことが起きたし、ここ数回は、五輪を「旅先」(それも注目している日本選手の試合が必ずしも全てはテレビで見られない海外も含め・・・)で見る、という経験を繰り返した末に、平成最後の五輪だった平昌では、遂にチケットを買って飛んで現地で生観戦する、という機会にも恵まれた。
自分では、どの五輪も様々な記憶と結びついて、深く心に残っていたつもりだったが、別冊の「金メダリスト名鑑」を一通り眺めると、意外と「あ、そういえば・・・」という選手もいたりするのは、本当に申し訳ないと思うのだけれど*1、それも平成の長い歴史ゆえかな、と心の中で言い訳をしている。
ちなみに、雑誌本体の方で、特集に関連して取り上げられているアスリートは以下のとおり(敬称略)。
羽生結弦 & ハビエル・フェルナンデス、パトリック・チャン
北島康介 & ブレンダン・ハンセン
内村航平
荒川静香
卓球女子団体
有森裕子 & 高橋尚子
清水宏保 & 小平奈緒
朝原宣治 & 山縣亮太
萩原健司 & 渡部暁斗
藤井瑞希・垣岩令佳 & 髙橋礼華・松友美佐紀
Number Webが実施したアンケート上位の選手、団体は概ね含まれているものの、一部出てこない方がいるのは大人の事情だろう。
また、平成の長い歴史を網羅する特集だけに、羽生選手や小平選手、渡部選手のように、今でも第一線を走っている選手もいれば*2、既に引退した選手もいるし、マラソンや卓球、バドミントンのように「次の大会」にバトンを渡した話が書かれているものもあれば、もっと長い時を超えて受け継がれたものが綴られている競技もある。
自分は、どうしても若い頃に仰ぎ見ていた選手たちのエピソードの方に目を奪われてしまうし、「今が旬」の選手の前向きさで満たされたエピソードへの共感よりも、一度頂点を極めた選手が「最後」と決めた五輪で惨敗したり、選考にすら漏れたり、という引き際を演じなければならなくなったことへの共感の方が強かったりもするのだけれど、どの記事も、記憶を喚起する描写とともに、アスリートの当時の微妙な心情もきちんと綴られていて、非常に読みごたえがあったなぁ、というのが、率直な感想であった。
中でも、素直にいいな、と思った有森裕子氏の「アトランタ五輪銅メダル」までのエピソードを、ここに引用しておきたい。
「女子マラソンで日本人初の銀メダルを獲得し、彼女は時の人に。だが、一つ目のメダルはそれほど多くの幸せをもたらしてはくれなかった。」
「指導部に意見をすると天狗になったと言われ、チーム初の五輪メダリストを誰もが扱いかねていた。続くアトランタオリンピックまでの4年間を、有森は『孤闘』と表現する。」
「ケガ、手術、監督との和解など、苦しい時期を乗り越え、有森は再び選考レースを勝ち抜いて五輪の舞台に立った。96年、アトランタオリンピックの女子マラソンレース当日、鈍色の空がよく見えた。『悩んだ時期をムダにしたくなかったから、もう一度オリンピックで戦えて本当に良かった。本番で力になったのも、あの苦しんだ時間です。練習もめちゃくちゃしたし、メンタルも相当追い詰められた。でも今日でその苦しさから解放されると思うと、当日は気持ちがすごくラクでした。』」
「『ゴール直後はとても静かな喜びでした。誰にも期待されていない中で、自分に課したメダルという目標。それが奇跡的なことだというのはよくわかっていたので。正直、道がつながったことにホッとしました」』*3
あの大会で女子マラソンの日本勢最有力候補、と言われていたのは、浅利純子選手であり、その次に来るのが、真木和選手だった、という背景はあるにしても、前の大会で銀メダル、という偉業を達成した選手が、それよりワンランク落ちる「銅」メダルで、ゴール後に涙を浮かべて歴史的名セリフを発した時、自分は当時、ちょっとした違和感を抱いたものだった。
だが、あれから20年以上経ち、当時はオブラートに包まれていた大会前のエピソードがこれだけくっきりと描かれると、「自分を褒めたい」という言葉も、スッと胸に落ちるのである。