切り返しの「正論」と、大学発特許をめぐる根源的な問題と。

先月もこのブログで少し取り上げて、それなりに読んでいただけた↓という記事がある。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そして、22日に小野薬品が「PD-1特許に関する報道を受けての当社コメント」というプレスリリース(https://www.ono.co.jp/jpnw/PDF/n19_0522_2.pdf)を出したことを受けて、日経紙に再び以下のような記事が載った。

小野薬「特許契約は妥当」 料率見直しを否定、京大に寄付検討 オプジーボ対価巡り本庶氏に反論
小野薬品工業は22日、本庶佑京都大学特別教授ががん免疫薬を巡る特許料率の見直しを求めていることに対して「両者の合意のもと締結した」とのコメントを発表した。「今後も契約に基づき対価を支払う」と料率見直しに否定的な姿勢を示した。特許収入の分配に関する争いが長引けば今後、両者の研究開発にも影響を及ぼしかねない。」(日本経済新聞2019年5月23日付朝刊・第3面、強調筆者、以下同じ。)

日経紙のこれまでの論調とも共通するのだが、今回の記事も一見するとどうしても、「小野薬品側が(不当に)ごねて」いるように見えてしまう。

だが、小野薬品側のプレスリリースの内容自体は、

「先般より報道されておりますPD-1特許に関するライセンス契約につきましては、本庶教授と当社が合意の下、2006年に締結しております。そして、2014年より契約に基づく対価をお支払いしており、今後も契約に基づく対価を四半期ごとにお支払いして参ります。」
「また、2011年に本庶教授から当社に要請のあった契約の見直しに対しても誠意をもって話し合いを続けて参りましたが合意に至らず、2018年11月に本庶教授に対し、対価の上乗せという枠組みではなく将来の基礎研究の促進や若手研究者の育成に資するという趣旨から京都大学への寄付を検討している旨、申し入れています。」

といった内容であり、小野薬品側は、当ブログでも前回のエントリーで”出発点”と指摘した、契約締結時の双方の「合意」の存在を指摘するとともに、その内容どおりの「対価」を支払っている(契約上の義務を履行している)、ということを淡々と説明しているだけである。
そして、対価を上回る部分に関しては、会社側から「寄付」という形での対価支払を申し出ることで、本庶教授側の主張に実質的に歩み寄ろうとしているだから、一般的には合理的な対応だと言えるように思われる*1

既に前回のエントリーで書いた通り、「一度契約で定めた以上、その締結過程に意思表示の瑕疵等が認められない限り、契約当事者は契約内容を履行すれば足り、(契約内容の見直し条項等の特殊な条項が盛り込まれていない限り)当初の想定から事後的に状況が変わったからと言って、再交渉したり契約を再締結する義務までは負わない」というのが、取引法務の世界での一般的な理解で、その意味で、契約改訂ではなく契約外の「寄付」の方で処理しようとする小野薬品側の対応はまさに「正論」に他ならない。

もちろん、本庶教授もその他の大学関係者も、契約がなされた2006年の時点においては(そして今でも)、ライセンス取引の世界のプロではなかったのだから、ここで事業者側の常識を押し付けて「いい加減に静まれ!」というのはさすがに酷な面もある。
また、多くの開発案件を平行して抱え、実績が上振れしようが下振れしようが、契約時点の「決め」で整理する、という割り切りをしないとバランスが取れない事業者側と、一つの発明、一つの特許に全てをかけている研究者側*2とでは、当然一つの契約への思いも大きく異なる、という前提はしっかり理解しておかないと、話を前向きに進めることは難しいだろう。

ただ、「寄付」という、フレキシブルかつ段階的に本庶教授や大学側のニーズを満たせる可能性がある“大人の解決”を提案してきている小野薬品に対し、

「提示された金額は以前に受けた特許料率の引き上げ提案と比べると悪くなっていた」(同上)

と交渉過程の話まで持ち出し*3

以前の提案を復活させないなら訴訟提起を検討する」(同上)

と引き続き拳を振り上げている本庶教授側のスタンスは、(たとえこれが寄付の増額を勝ち取るための一種の戦術だとしても)あまり良い印象を与えるものではない。

そして、泥仕合の訴訟で、せっかくの大発明、大ヒット製品の価値を下げることのないように、双方が適度に折り合いを付けてことが解決することを外野の人間としては願うばかりである。

なお、同じ日の日経紙には、関連して複数の識者による「大学発医薬特許 どう生かす」という特集も掲載されていた*4

知的財産戦略ネットワーク社長の秋元浩氏(元武田薬品工業常務)が訴える「大学の側にも特許交渉をしっかりできる人材が必要」という提言はまさにその通りだと思うし、大学の側で長く知財移転にかかわってこられた東京大学TLO副社長の本田圭子氏の経験を交えたコメントにも非常に読み応えはあるのだが、最近「共有」と何かと縁が深い者としては、隅蔵康一・政策研究大学院大教授が現在の「特許法73条(第3項)」(「特許権が共有に係るときは、各共有者は、他の共有者の同意を得なければ、その特許権について専用実施権を設定し、又は他人に通常実施権を許諾することができない。」)に係る問題点を指摘しているくだりが、一番興味深かった。

「両者の対立を見て思うのは、特許制度に問題があるのではないかということだ。特許権の共有について定める特許法73条によると、産学で共有する特許をどちらかが第三者にライセンス許諾しようとする場合、もう一方の共有者の同意が必要だ。共有者の一方が自分の持ち分を第三者に譲渡する場合も、同じように同意を得なくてはならない。このため、大学が企業と共有する特許をどこか別の企業にライセンスしたい場合、共同研究相手の企業はそれを拒否できる。逆もありうるが、大学は権利を行使しない代わりに、企業からある種の補償金を受け取る場合が多い。最初に共同研究契約を結ぶ際に、そうした取り決めをする。本庶氏のケースは同氏個人と企業の契約で補償金の話も出ておらず、あてはまらないかもしれない。しかし、現行制度では企業が自由に特許を使える一方、大学にはそれができないという構図ができあがりやすいのは確かだ。補償金に法的根拠はなく、企業は大学との「お付き合い」を続けるための費用ととらえている向きもある。大学に実績や交渉力がないと、金額はかなり低いようだ。」(日本経済新聞2019年5月23日付朝刊・第6面)

まぁ、そういう側面もあるよね*5、と思う一方で、自分の過去の経験の中では、特許権を共有する会社側から「不実施補償を支払う代わりに、大学の方で自由にライセンス先を見つけて実施料を取れるようにしていただいて構いませんよ」と提案しても、「こちらにはそんなノウハウはないので、あくまで『貴社が』補償金を払ってほしい」と返されることが多かったし、隅蔵教授が続いて指摘する「米国では共有せず、共同研究の成果であっても大学が単独で特許を得るのが一般的だ」という話にしても、「権利は欲しい(と先生が言っている)けど、予算の制約があるので、共有にして貴社で〇(ここには通常「5」よりも大きい数字が入る)割は負担してほしい」と言われて共有にする、というケースが多かったような気がする。

さすがに最近だと、意識も多少変わってきているのかもしれないし、だとすると、特許法73条をいじることで状況が変わってくる可能性があるのかもしれないが*6、研究開発を始めた時点ではもちろん、出願の時点でも、まだ大きな果実を得られるかどうかわからない、という「特許」の難しさを考えると、お金の使い方に関しては何かと世知辛い日本で特許活用のための大胆な取り決めを期待するのはどうなのかな? という疑問は消えないところである。

*1:23日付の記事にも「特許契約時の説明内容が不正確」という本庶教授側のコメントが記載されているから、この部分の中身によっては、結論を左右する可能性がないとは言えないが、締結前にドラフトが適切に開示されており、その内容を誤認させるような説明がなされたわけでもないのであれば、詐欺、錯誤、という話にもおそらくはならないだろう。

*2:こういう話をすると、昔、職務発明に関する議論が盛り上がっていた時に、中山一郎教授の論文で「イノベーション宝くじ論」というフレーズが使われていたのをふと思い出す・・・。

*3:これは言うなれば、本庶教授・京大側の「交渉下手」を露呈するような話でもあって、声高に言うようなことではない、と個人的には思うところ。

*4:2019年5月23日付朝刊・第6面。

*5:そもそも知的財産権の共有に関するルールは、民法の一般的な共有のルールと比べても「管理」する行為について共有者間での制約が強い、という実態もあるので。

*6:自己実施だけでなくライセンスも各共有者がそれぞれ自由に行える、というようにデフォルトルールが変われば、特定の企業(共有権者)に独占的な実施権が与えられる場合の価値も変わってくるのは確かで、あとは、共有相手の企業から「独占的な実施権などいりません」と言われたときに大学側で自らライセンス先を探しにいくだけの度量があるかどうか(73条3項をいじれば、「不実施補償」の理論的根拠が完全になくなってしまうので・・・)、という話になってくる。

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