火蓋は切られてしまったが・・・。

昨年の夏くらいに少し話題になったのを最後に、しばらくは「訴訟になった」というニュースも出ていなかったので、落ち着いてくれたかな・・・とひそかに期待していたのだが、残念ながら事態は行きつくところまでいってしまったようだ。

「2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学本庶佑特別教授は19日、がん免疫薬に関する特許の対価を巡り、小野薬品工業に対し約226億円の分配金などの支払いを求める訴訟を大阪地裁に起こした。両者は共同で特許を取得していた。」(日本経済新聞電子版2020年6月19日23:00配信 (2020/6/20 5:29更新)、強調筆者、以下同じ。)

まさに「産学連携を揺るがす大坂夏の陣」、ということで、昨年来くすぶっていた紛争の決着は法廷に持ち込まれることになった。

記事では、本件紛争に関して、以下のような説明が加えられている。

「訴状などによると、支払いを求めるのは「オプジーボ」に似たがん免疫薬を販売する米製薬大手メルクが小野薬品に支払う特許使用料の一部だ。小野薬品がメルクとの特許侵害訴訟で和解した際に決まった特許の使用対価の支払い配分を争う。」
「小野薬品は17年にメルクから受け取る額の1%を本庶氏に支払う旨を示していたとされる。本庶氏は「メルクから受け取る額の40%を支払う」との約束があると主張し、供託されている1%分を除く約226億円の支払いを求めている。」(同上)

「1%」と「40%」、あまりにも開き過ぎた配分料率の差と、その結果もたらされる200億円超の巨額の金額の差が、当事者の話し合いによる解決を困難にしたことは容易に想像がつくところ。

そして、本庶教授側は、既に代理人を通じて”場外戦”も仕掛けているようで、まさかの「日刊ゲンダイ」がこのニュースを取り上げていたりもする。
京大・本庶佑氏vs小野薬品の泥沼裁判 特許収入巡りこじれた決定的理由(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

「社長が直々に『40%』の支払いを約束したのに、後になって反故にし、『1%』+寄附金でお茶を濁そう、というけしからんことをするから訴えるのだ」という主張はなかなかセンセーショナルだし、ましてや原告がノーベル生理学・医学賞を受賞した著名な研究者となれば、この記事を見て「原告がんばれ!」と声を上げた人もさぞ多いことだろうが、この記事然り、日経紙が紹介している「概要」しかり、現時点ではあくまで原告側の主張のみに基づいて構成されたものである、ということには十分に留意しなければならない。

そして、かつて知財担当者として、北は東北から西は京都、大阪まで「企業側の担当者」として産学連携の協議の現場にたびたび同席した経験を持つものとしては、

「そうはいったって、まず出発点とすべきは、正式に取り交わされた『契約書』の中身だろう」

という思いは変わらないし、それは昨年中にアップしたエントリーの中でも、度々述べてきたとおりである。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

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自分は、原告側が自らの主張を裏付ける証拠として何を用意しているのか知る由もないのだが、全く何ら客観的証拠が存在しない状況で提訴まですることはちょっと考えにくいので、少なくともメールやその添付文書くらいは残っていると考えるのが普通だろう。

そして、仮に合意事項を記した何らかのメモ等が取り交わされているようなら、前日のエントリー(文書の成立の真正証明手段の話)とも関連した、「押印した正式な契約書の内容を上書きする内容のメール添付文書(あるいはメールそのもの)」が証拠として認められるかどうか、という話も、もしかしたら出てくるのかもしれない。

ただ、その時点できちんとした契約書をまくことなく、がん免疫薬として「オプジーボ」の市場が開拓された後になって対価を請求する、という対応は、本来であれば決して「勝ちパターン」とはいえないわけで、自分が昨年最初に記事に触れた時に抱いた直感どおりの結論ができるのか、それとも訴訟の場に出てくる決定的な証拠によって大きく形勢が逆転するのか、なかなか見えづらいところもあるのは確かである。

そんな中、今回も、というべきか、冒頭で取り上げた日経紙の記事の中には、気になるコメントがいくつかまぶされていた。

「本庶氏らが見いだしたような広く新薬の土台になりうる研究成果は「大化け」する可能性がある。今回の訴訟は相互不信の極度の高まりという事情もあるが、初期の契約を丁寧に結ばないと同様の問題は再び起きうる。」(同上)

「大学や研究機関も、基礎段階から様々な応用を想定して契約を有利にする工夫が求められる。知財を扱う部門が契約内容を精査する仕組みは整ってきたものの、人材不足は否めない。」(同上)

「初期の契約を丁寧に」というが、国立大学が独立行政法人化し、民間企業の知財部出身者をかき集めて大学やTLOの仕事を委ねるようになった頃(そしてそれは今回紛争になっている本庶教授と京大が小野薬品側と契約を取り交わした頃でもある)、共同研究開始時点での大学側の契約に対するスタンスは、細かすぎるくらい丁寧だった、というのが自分の印象である。

どれくらい「丁寧」か、と言えば、

・大学によってはあまりにねちっこく細かいところで契約協議を引っ張るがために、いつまでたっても契約が結べない。
・そのうち、しびれを切らした教授が、契約が結べていないのを承知で共同研究を進めてしまう。
・協議が相変わらず進まない中、現場から「早速特許を出願したいんだけど・・・」という声が出ても対応できず、結果的にズルズルとタイミングを引き延ばす結果となる。

という事態がしばしば起きるくらいの状況だった。

もちろん、ここでいう「丁寧」さは、記事の中で取り上げられているような「対価配分」の細やかな規定を入れる、という観点からのそれでは全くない(ゆえに半分以上は皮肉である)のだが、当時から「しっかりした契約を結ぼう」という意識が大学サイドの担当者に強かったのは間違いないので、契約協議の現場にいた者としては、(当時上記記事のようなことを言われたとしても)「もっとプリミティブな部分のやり取りですらなかなか進まないのに、「対価配分」の細かい取り決めなんてこの時点でできるわけないだろ」という感想しか出てこなかっただろうし、共同研究開始時点はもちろん、開始後の特許出願のタイミングになっても、それは変わらなかっただろう。

それゆえ、「初期の契約を丁寧に」というのは、言うは簡単だが、現場サイドにしてみれば、

「それ言うなら、お前ここにきてやってみろ!」

と切り札OKYを炸裂させたくなるような無体なオーダーのような気がする*1

また、こういう出来事があるたびに、決まり文句のように「人材不足」といい放つのは、今、大学の中で奮闘している知財周りの方々に対しても、企業側の知財担当者に対しても、本当に失礼な話だと言わざるを得ない。

強いて言えば、今回のような「途中で状況が大きく変わった」ケースで一番求められる人材は、”相手と喧嘩せずにこやかに対峙するが自らの側の主張は通し、最終的にやりたいことを実現させる方向に持っていく”「交渉人」であり、大学の側にも、企業の側にもそういった分野のプロフェッショナルがもっと揃っていれば、ここまで話がこじれる前にうまく意思疎通して、お互いにメリットのある解決策を導くことができたのかもしれないが、それもあくまで机上の話でしかないのである*2


ということで、今回の件がどう決着するのかは分からないし、当事者双方の主張が見えない以上、予想される結論についても軽々にコメントすることはできないが、自分は、今回の一件が、一部の法律事務所が喜びそうな「『共同研究契約』のより一段の詳細化」へのプレッシャーを強めたり、これまで度々盛り上がっては消え、盛り上がっては消え、を繰り返してきた「知財専門人材育成強化」の動きを再び燃え上がらせたりするような事態を招くことはできる限り避けてほしいな、と思っている。

そして、もし今回の教訓を生かすのであれば、大学側も企業側も、知財」を専門領域を掘り下げる「タコツボ」セクションの方向に持っていくのではなく、より幅広い素養と経験を持つ人材を取り入れ(特に大学側は)時には相手を滑らかな口調でやんわりと丸め込み、時には我儘をいう自分のところの先生をなだめて掌の上で転がせるようなしたたかさを備えた人材を要のポジションに据える、という発想に近づけていくことも大事ではないのかな、という気がしている。

そういった人材を一人取り込んで既にいる知財部門の質の高い専門人材と組み合わせるだけで、ぎくしゃくしている様々なところが変わってくるはずだから・・・。

ということで、最後はだいぶ脱線してしまったが、今は本件が早期に決着の時を迎え、今回の当事者の方々の間でも再び平和な「産学連携スキーム」が復活することを願うのみである。

*1:一定の年数が経った時点で契約改訂を行うオプションとか、一定の条件を満たしたら対価分配比率が変動するオプションというのを入れるのがここでいう「丁寧さ」なのかもしれないが、それだって「何が出てくるか分からない」未知の研究を対象とした交渉事である以上、「初期」にできることにはおのずから限界があると言わざるを得ない。

*2:企業の知財部で長く経験を積んでいても、「交渉は得意じゃない」という方は結構いらっしゃるし、弁護士、弁理士の資格を持っている方になるとなおさら、「知識を掘り下げていくのは得意」、「ファイティングポーズをとって訴訟もやむなしのハードな協議をするのは得意」でも、”マイルドに話をまとめるのは決して得意じゃない(そもそも興味もない?)方が多かったりもするので、そういった人材を探してくること自体が、かなり難儀だったりする。

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