昨年のワールドカップの勢いは年が変わっても依然続いているようで、ここ数年特に苦もなく確保できていたトップリーグのチケットも、今シーズンは手に入れるのにかなり苦労する状況になっている。その4年前、W杯直後のトップリーグの試合で空席が目立って大ブーイングが起きていたことを考えると、まさに時代は変わった、というほかない。
そして、その勢いは年が変わっても全く衰えることを知らず、全国大学ラグビー選手権の決勝戦、できたばかりの新国立競技場に押し寄せた観客は実に57,345人。これまでとはスケールの違う舞台で新しい歴史が作られることになった。
物事、うまくいっている時はいろんなめぐり合わせも付いてくるわけで、今年の決勝戦当日にこれだけの観客を集めることができたのは、決勝戦のカードが明大対早大、というオールドファンが泣いて喜ぶ組み合わせになったことも大きかったはず。
平成初期のラグビーブームの時代に、秩父宮を、そして旧国立競技場を、これでもか、というくらいに沸かせた「早明」の対決。
ユニフォームの色からチームのスタイルまで全く対照的な両チームが泥臭くぶつかり合う姿は、浮ついた時代への一種のアンチテーゼのようなところもあったから、久しぶりに両校が選手権の場で対決する姿を、しかも決勝戦という舞台で見ることができる、と知れば、ここもう何年も大学生のラグビーなんて見ていなかった自分でも、やっぱりチャンネルを合わせざるを得なくなる何かが湧いてくる。
前評判が高かった明大が大量リードするような展開だとさすがに見てもな・・・と思っていたのだが、どっこい、試合の方は何と逆に早大が31-0と大量リードして前半を折り返す、という展開に。それで、「お、これはもしかしたら・・・!」と思って慌ててテレビを付けたら、今度は31点差から明大が怒涛の3連続トライ&ゴールで10点差まで詰め寄る、という恐ろしい流れになって、到底試合から目が離せなくなってしまった。
最後は、ほぼノーガードの打ち合いのような展開になって早大がダメ押しのトライ&ゴールを決め、明大も一矢報いて点差を戻したものの、その時点でほぼタイムアップ寸前。それでもなお、最後の反撃をあきらめなかったところがいかにも学生らしかったが、最後はダブルノックオンで強制終了。
早大が見事に学生王者の座に返り咲くことになったのである。
で、試合後、ニュースを聞きながら思ったのは・・・
人間の記憶って、実に曖昧にできてるな、ということ。
冒頭で述べた通り、自分の記憶の中にあったのは90年代初頭の「早明対決」だったから、「早稲田大学優勝」を目撃した瞬間には、「30年ぶりくらいかな?」と勝手に思ってしまったのだが、ニュースを見れば「11年ぶり」。
それでも久しぶりであることに変わりはないのだが、逆算して計算するとそんなに昔のことではない。
で、しばらく頭を巡らせた後、「そうだ、21世紀に入ってからの早稲田全盛期があったではないか」ということを、ようやく思い出したのだった。
30年の時の流れに比べれば、どうってことない10年程度の年数のはずなのに、ラグビーの代名詞だった「清宮」は、いつしか野球選手の名前として知られるようになり、あまりに強すぎた帝京大学の存在*1の前に、「強かった早大」はすっかり過去の存在になってしまっていた。
もちろん、「早明対決」となるとさらに一時代遡る必要はあるのだが*2、それでもよく考えたら90年代の後半に2年連続で明大・早大が決勝戦で対決したこともある*3。
ということで、Wikipediaなどを見ながら、自分の記憶の不確かさをひとしきり反省する結果となったのだが、裏返せばそれだけあの”早明全盛期”の記憶が濃かった、ということでもあり、そんな時代の目撃者となれたことを今は誇りに思っている*4。
そして、あの頃、早大のFWとして奮闘していた相良南海夫選手*5が監督として率いたタイミングで、再び白熱の早明戦が蘇ったというのも、不思議なめぐり合わせな気がして、実に感慨深い思いに浸ることができたのである。
*1:早大が最後に優勝した2009年の決勝戦の翌年から一昨年まで、帝京大学は大学選手権9連覇、というとてつもない偉業を成し遂げていた。
*2:帝京大全盛期の前に、早大復活期を挟んで関東学院大や法政大といったリーグ戦組が隆盛を誇っていた時期もあり、早稲田、明治の両チームが揃って勝ち進むのは難しい時代が続いていた。
*3:今の明大の田中澄憲監督はこの時代の名スクラムハーフ。もっとも、あの頃はJリーグが開幕し、日本でのW杯開催も決まって、集団蹴球技内の人気の序列がラグビーからサッカーへと一気にシフトしていた時代でもあった。
*4:You Tubeで91年1月の決勝戦のニュース映像を見たが、旧国立競技場を埋め尽くす超満員の観衆、一進一退のハラハラさせられる試合展開。そして最後に今泉、増保といった早大の看板選手のタックルを弾き飛ばしながら執念のトライを決めた吉田義人主将のどうしようもない格好良さ(さらにその瞬間に飛んだ黄色い声援)。技術レベルとか戦術などを今と比べてあれこれいうのは粋ではない。とにかく、あれが、ラグビーが学生スポーツの最高峰だった時代の象徴だったのだ。
*5:これまた残念なことに、一代上の堀越、今泉、郷田といった選手の名前はすぐ思い出すのに、この方のお名前は記憶の中になかった・・・(翌年度主将を務めたほどのプレイヤーだったにもかかわらず)。当時、FWと言えば明大だったからな・・・というのはただの言い訳。