たぶんこれが最後の波だから。

気が付けば一気に涼しくなった。

既に9月も終わりに近づいているわけだから、当たり前といえばそれまでなのだが、今年の夏の始まりは遅かったし、8月の終わり頃まで、いや9月に入ってからも35度を超える日が続いていたことを考えると、何とも呆気ない夏の終わりだったなぁ・・・という気がする。

こうなると、季節は冬に向けてただひたすら転がっていくだけ。そして当然ながら、やってくるのは「感染症の季節」。

皮肉なことに、春も夏も、季節など関係なく感染判明者数が一定のボリュームを保ち続け、メディアでも連日繰り返し同じような呼びかけが繰り返されたことで、世の中の感覚はすっかり麻痺してしまったように見える。

街中でマスクを着用している人の数はそこまで目立って減っていないものの、無防備にノーマスクでつるんで歩く人々の姿も徐々に増えてきているし、もっと厄介なことに、この連休中、学生街の居酒屋は、「いよいよ解禁」とばかりに大人数で騒ぐ集団の姿がやたら目立った。

だが、何度でも繰り返すが、感染のメカニズムを考えても、感染した結果出てくる症状を考えても、新型コロナウイルス」が本当の脅威になるのは、乾燥した空気が体を痛めつけるこれからの季節のはずなのだ

今月に入ってから、与党の総裁選、首相交代に伴う内閣改造、そして矢継ぎ早に打ち出されるアドバルーンと、メディアにとってはネタに困らない時期が続いたことで、往時の「コロナ連呼」はすっかり影を潜めてしまった感はあるのだが、この種の話に関していえば、メディアが報じたから感染者が増えるわけでも、メディアが報じなかったから感染者が減るわけでもない。

単純に人が集まって騒げばリスク要因が増え、そうでなければ減る。

それだけの話である。

もしかしたら、今、タガが外れたかのように飲み会を催して騒いだり、有名観光地に押し寄せたりしている人々は、ここまでの半年間品行方正に”ニューノーマル”を地で生き続けた品行方正な方々なのかもしれない。

だから、この間、食事は日常的に外食、仕事でもあちこちに出向く機会は多く、(物理的に行きたくても行きたい店が開いていなかった4月中盤~5月初めの時期を除けば)飲み会も気の置けない人々と月数回のペースでコンスタントにこなしてきた(さらにGo To トラベル東京除外で騒がしかった時期に遠出の旅行までしてきた)、「自粛疲れ」とは全く無縁の自分がとやかく言うのはお門違いかもしれないが、それでも最低限、自分流なれどリスクを避ける手立ては講じてきたつもりだし、飲み会にしても旅行にしても、「むしろ今だからこそ安全」というタイミングを見計らって動いてきた。

それだけに、「みんな飲み会やり始めたから参加しよう」とか、「みんな旅行に行き出したからうちも行こう」みたいな感覚で動いている人々の姿を見てしまうと、それこそが本当の脅威なんじゃないか、と思わずにはいられないところもあるわけで・・・。


既に連休前から増加傾向を見せ始めていた感染者数は、連休の影響で小さく出ている数字を見て安心している人々をあざ笑うかのように、今週後半あたりから一気に跳ね上がることだろう。

春先のトラウマもあって、感染を抑え込むためのより強い手段の行使が事実上失われている今の世の中の状況を考えると、当然ながら数字は右肩上がりになるだろうし、夏場に比べれば重症者、死亡者が増えることも避けられないんじゃないか、というのが自分の見立てだったりもする。

もちろん、世界中でまだまだ感染者数が増加し続けているとはいえ、「未知の変異ウイルスとの戦い」という大きな流れで言えば、既に多くの知見が蓄積され、新薬、改良薬の開発も進んでいる今となっては、「戦いは既に終盤に差し掛かっている」と言っても差し支えない状況のはず。

ただ、古来から言われ続けているとおり、山は下りるときが一番危ない

それゆえ、この半年の間に生じたポジティブな変化を軽んじて「何が何でも『コロナ前』に戻そう」と躍起になる人々の動きが、弛緩した巷の人々の感覚と重なってしまった時、「これまでの状況などまだまだ序の口だった」と評価されてしまうような重大なハレーションが起きる可能性を否定することは誰にもできないだろうと思うから、今はせめて「自分たちだけでも最後まで無事に」という精神で、日々のリスク感覚を徹底的に研ぎ澄ませていくほかないのだろうな、と思うところ。

そして、この最後の波を超えた後の爽やかな景色を見るまでは、悪運を味方に付けてでも、最後の一波を何としてもしのぎきる・・・そんな思いで、あとちょっとの”非日常”に付き合っていけるように、と心の底から願うのである。

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