気高き理想を歪めないために。

昨年末くらいから薄々感じていて、今年数日経ったところで確信したことが一つある。

「今年の冬はどうしようもなく寒い!!」

予期せぬ豪雪に、暴風雪による陸海空の足の乱れ等々、大寒波の影響は至るところに出ていて、東京では雪こそ降らないものの、防寒体制が完備されていない住戸の緩さゆえ、新年早々、屋内にいても震えながら過ごす羽目になっている。

それで、ふと思ったのが、「地球は今温暖化しているんじゃなかったのかー」ということ。

もちろん、「温暖化」=「気温上昇」という単純な話ではなく、あらゆる異常気象を温室効果ガスの増加という要因で説明することもやろうと思えばできる、という人もいるくらいだから、一冬の寒さくらいで「環境保護派はけしからん」というつもりはないのだが、まさにこの日本にもESGの嵐が吹き荒れようとしているこの2022年が「大寒波」から始まった、ということに、一連の問題への向き合い方の難しさを改めて感じさせられた。


”ESG”という切り口で見るにしても、”SDGs”の17の目標の視点で見るにしても、その背景にある「理想」にまで思いを馳せれば、それが実に気高く、異を唱える余地のないものであることに疑いはない。

ただ、出発点がどんなに素晴らしいものだったとしても、それが広まっていく過程で、政治が絡み、やがて利権を伴うビジネスに巻き込まれ・・・というのは、ありとあらゆる社会思想に共通することだったりもする。

既に言い尽くされたことでもあるが、「ESG」一つとっても、欧州諸国のゲームチェンジに利用されている「E」に、中国包囲網の一翼を担わされつつある「S」、さらにアングロサクソン・モデルに視座の定まらない様々なテイストが詰め込まれた「G」と、当初の理想とはかなり乖離した状況になりつつあるわけで・・・。


おそらく、これから始まる2022年、この日本でも、「ESG」という言葉は、目にも耳にもしない日が全くないくらいのスーパーBuzz wordとして世の中に流布されるだろうし、「経済安保」と並んで多くの会社の担当者を悩ませる源として跋扈することだろう。そうでなくても”米国発””欧州発”のトレンドには弱い政官界が、こぞって大号令をかければ、従う他に道がないのが「民」の悲しき性でもある。

だが、そこで思考停止して取り組みを外部に丸投げでもしようものなら、それこそ、ここぞとばかりに商機を伺う魑魅魍魎の餌食となり、結果的に背景の思想が十分に消化されないまま、様々なエッセンスが詰め込まれた「基本方針」や、ちぐはぐな「行動指針」、さらには、何を示したいのかが分からない「統合報告書」やらがあちこちで量産されることにもなりかねない。

本来なら、一度立ち止まって、趣旨まで遡って考えて議論して、社内のベクトルを合わせた上で進めるのが理想。

もちろん、多くの会社ではとてもじゃないがそんな余裕は・・・という話になってしまうのだろうが、だとしたら、せめて怒涛の如く押し寄せ、提案される選択肢の取捨選択の場面だけでも、一つ一つの施策、方針の意義を疑い、「自社に本当に必要なエッセンスはなにか」「自社にできること、しなければならないこと」をきっちり選り好みして、ささやかな自己主張をすることくらいは考えても良いのではないかな、と思うところである。


繰り返しになるが、「理想」それ自体に罪はない。

だからこそ、分かりやすく仕立てられた「常識」からは一歩離れて、お仕着せでもこじつけでもない、筋の通った取り組みを展開する会社が一つでも多く出てくることを今は期待してやまない。

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