これも、もちろん大切なことではあるけれど。

いろいろあった通常国会もいよいよ終盤、ということで、注目されていた法案が続々と成立している。

これもその一つであり、制定から10年以上の時を経てようやく改正にこぎつけた、という点でも非常にエポックメイキングな改正法ということができるだろう。

「企業の不正を内部告発した従業員らの保護を強化する改正公益通報者保護法が8日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。従業員300人超の企業に対し、内部通報に関する窓口の設置や調査、是正措置などを義務付けた。内部調査などの担当者らには通報者特定につながる情報の守秘義務を課し、違反者には罰金を導入した。2022年6月までに施行される見通し。06年4月の同法施行以来、初の抜本的な改正となる。企業からの報復を防ぎ、安心して通報できるようにする。」(日本経済新聞2020年6月9日付朝刊・第30面)

改正法の概要は、消費者庁のウェブサイトにも掲載されている。
https://www.caa.go.jp/law/bills/pdf/consumer_system_cms101_200306_01.pdf

元々、そんなに複雑な構造の法律、というわけでもないので、これをガイドとして新旧対照条文*1を一読すれば、法務の仕事にかかわるものが、何がどうなったのかを把握することもそれほど難しくはないはずだ。

ざっくりと言えば、企業内における体制整備がより強く求められ、通報対応業務に従事する者の責務がより重いものになったこと、保護される対象の労働者が拡大され、保護の内容もより具体化されたこと、そして、「外部」への通報を躊躇なく行える場面がほんの少し広がったこと、が、ポイントということになるだろうか。

・・・で、この改正の意義自体を否定するつもりはないのだけれど、この改正の議論の過程に接し、自分自身もこれまでいろいろ経験してきた中で思ったのは、

「『内部通報』という手段だけでは、どうしても限界はある。」

ということ。

既に様々なところで指摘されているように、職場の人間関係上のトラブルだとか、細々とした”不適切な業務遂行”に関しては、「内部通報窓口」が駆け込み寺状態になっている会社はそれなりにあるはずだし、むしろ、付き合わされる窓口担当者が気の毒になるくらい、”ホットライン”化してしまっているケースさえある。

もちろん、その中には、本当に深刻なハラスメント事案だったり、被申告者の行為が懲戒相当、場合によっては刑事処分相当のレベルだったりすることもあるから、これらをすべて”些事”と片付けてしまうのは妥当とはいえないし、その意味で「窓口」が全く機能していない状態よりは機能している状態の方が良いのは間違いない。

ただ、ここで掬えるもの、申告を受けた社内の人間が動くことで救えるものの多くが特定の社員の個人的な問題であったり、ごく限られた範囲の問題であったりする、ということは、やはり否定できないような気がする。

そして、積もり積もってひとたび噴き出せば会社の存亡にかかわるような問題、会社の風土に根差した深い”闇”が引き起こすような組織的・構造的な問題は、どれだけ通報者の保護を手厚くし、通報を受ける者の権限を強めたところで、社内での”自浄”作用による解決、改善を期待するのはおおよそ無理なのではないかな、というのが、大きい組織の中でうん十年と過ごす中で辿り着いたあきらめの境地、だったりもするわけで・・・*2


だから、通報者個人の救済や権利保護にとどまらず、より大所高所から「社会経済の健全の発展」*3とか、企業のガバナンスの適正化を志向するのであれば、まずは匿名でも何でも良いので「躊躇なくオープンにできる」状況を整備することを出発点にすべきだと思うし、通報、公表された事実が真実かどうか、そして、それが被通報事業者を指弾するに値するものかどうか、ということも、あらゆる事実とその裏付けをオープンにしたガラス張りの状態で検証されるのがベストだと自分は思っている。

難しいのは、法律が整っていようがいまいが、今の日本のメディアのネタ選びの嗜好もまた”些事”に傾きがち、ということで、スキャンダラスな話題にはなんとか砲も炸裂するし、自社の描いたストーリーに乗っかりそうなものは積極的に取り上げるが*4、より本質に迫る問題で、闇が深くなればなるほど、相当根性のあるメディアやジャーナリストしか食いつかなくなり、多くの場合、リスクを冒して情報提供しても日の目を見ることなく埋もれてしまいがちになる、ということだろうか。

それなら、といって、SNSにボンと生の事実を放り投げたところで、よほど運が良くなければ、振り返られることもなく埋もれてしまうのがオチだろう*5

これまで散々やりきれない思いをさせられてきた者としては、いつか時がきたら、事実の検証と、世に問うに値する問題かどうかのフィルタリングを自分の責任において徹底することを条件に、「中」で問題意識を持って取り組んでいる人々と、既存のメディアの空隙を埋める役回りを引き受けることも全くやぶさかではない。

ただ、本当に”健全”で”バランスの良い”社会を目指そうとするのであれば、せめてオフィシャルな部分だけでも世の中全体の透明度をもっと高めていく必要があるし、内輪の愚痴、奥歯にものが挟まったような物言いでお茶を濁す前にファクトベースで説得力のある主張をする、という文化がもっと広がっていかないとどうしようもない気がして・・・。

もし、万が一、そんな世の中が実現するようなことになれば、公益通報者保護法が本来目指していたような理想の多くはオープンな場で実践され、残された「私益の実現」だけが法の守備範囲として細々と残っていくことになるのだろうけど、果たして自分が生きている間に、そんな時が訪れるのかどうか。

そしてそんな時が訪れるまでは、「私益」も「公益」も全部ごった煮で詰め込まれてカバーしなければならないカオス気味の法律として、携わる人間にも、法それ自体にも、大きな負荷をかけたまま運用されていかざるを得ないのだろうな、と。

そう考えると、画期的な改正なれど満足感を抱くいとまもなく、施行される前から、まだまだ先は長いぞ・・・と囁かざるを得ないのである。

*1:https://www.caa.go.jp/law/bills/pdf/consumer_system_cms101_200306_04.pdf

*2:これまで「不祥事」として世を騒がせた事件の多くが、公益通報者保護法の枠を超えた「告発」なり「外部リーク」をきっかけに勃発したのも、決して偶然ではないはずである。

*3:公益通報者保護法第1条参照。

*4:そして、いかなる「表現」を優先するかは、当然、それぞれの主体が決めるべきことだから、これ自体が悪いことだと申し上げるつもりも全くないのだが。

*5:時々、一年前のちょうど今頃の、”何とかで願いを叶える会社”の件のようなクリーンヒットが生まれることもあるのだが、あの盛り上がりも結局は一瞬のことに過ぎなかったような気がする。

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