「政治」と「人権」をごちゃまぜにすることの怖さ。

「侵攻」の最初の報を耳にしてから既に20日近い時間が流れたが、初期の評論家たちの見立てに反し、キエフはまだロシア軍の手には落ちていない。
もちろん、東から、北から、南から・・・と、ベラルーシまで味方に付けたロシア軍の攻勢は依然として続いているし、一部の都市は既に勢力圏に入っているかのような報道もあるが、連日伝えられるのはロシア軍快進撃の報ではなく、むしろ徹底抗戦するウクライナ軍の善戦と、焦りすら感じさせるロシア軍の無差別爆撃や西部への戦線拡大のニュースだったりもする。

改めて世界地図を眺めれば、ユーラシア大陸の北東の端に陣取る大国は、大ロシア帝国でもなければソビエト連邦でもない。

自分くらいの世代だと、冷戦期に「西側陣営」と対峙していた巨大連邦国家の幻影がどうしても頭をよぎるのだが、かの国家はとうの昔に解体され、目下の戦いの主役は「ロシア」一国に過ぎない*1ということ、そしてちょっと前までは米国も苦しめられていたように、生身の人間同士がぶつかり合うのが「戦争」である以上、どんな大国が最新鋭の装備を整えて攻め込もうと目論んだしても、そう簡単にことが運ぶわけではない、ということを我々は再び思い知らされたような気がする。

少なくとも自分は、今回のロシアの隣国への侵攻に何ら大義はない、と思っているし、西側諸国内でのオフィシャルな見方もこの点においては概ね共通しているように思われる。

だから、若きゼレンスキー大統領に鼓舞されたウクライナ軍がロシア軍の進撃を食い止め、想定外の展開に持ち込めば持ち込むほど、世界各地で喝采が上がり、支援を呼びかける声も広がっていく。そして、今の状況下ではそれも決して不愉快に感じるようなものではない。

ただ一つだけ気になっているのは、ロシア軍がなりふり構わない攻勢に出れば出るほど、ウクライナ軍が抗戦すればするほど、それらと軌を一にして広まったロシア国内での民間事業者の生産活動停止や撤退、ロシア企業との取引停止、といった動きがエスカレートしていっているように見えることだろうか。

中でも違和感があったのは、一見すると”同調圧力”の結果のようにも見える今回の雪崩的なロシアからの撤退や取引停止を、「人権重視」というBuzzワードを絡めて呼びかけ正当化しようとする言説が散見されることだろうか。

もちろん、「対立する異端国家の無法を改めさせるために経済活動という切り口から締め上げる」というアプローチは、紛争解決の手法としては決して間違いとは言えないし、これまでも程度の差こそあれ、中国、北朝鮮から中東の国々まで様々な場面で駆使されてきた手法でもあるのだが、それはあくまで政治的な作戦の一つに過ぎない。

自国の指導層が蒔いた種とはいえ、第二次大戦中まで遡って経済包囲網に沈められた当時の日本の市井の人々がどれだけの苦難を味わったか、ということに思いを馳せれば、「正義」の名の元に展開されるその種のアプローチが、普遍的な意味での「人権重視」の思想とは真逆のものであることにはすぐに気づくはずだし、ましてやそれを生活インフラ、生活必需品提供ビジネスを提供する民間事業者に強要することの理不尽さには一定の理解が得られてしかるべきだと自分は思っている。

だが、この「戦時下」でそういった声が表に出ることは少なく、体を張ってロシアでのビジネスを維持しようとした経営者の思いも容赦なく潰される。

これが、「ここ数年かまびすしく唱えられている「ESG」だって所詮は西欧のエリート層や米国リベラル派が世界を手中に収めるための政治的なツールに過ぎないのだから*2、この非常時により強いカードを使って異端国家を追い詰めるのも当たり前のことじゃないか」とまで割り切った潔い視点に立ってのことであれば、それもまた一貫した姿勢として尊重されるべきだと思うが、金融取引からスポーツの世界まで、ありとあらゆる角度からプレッシャーをかけ続けている「声」の多くは、西側メディアが報じる断片的な情報*3に依拠したより”純粋”なもののようにも思え、それがより問題を深刻化させているような気がしてならない*4


そうこうしているうちにも、現地の戦況は刻一刻と変わっていることだろう。

世界中の祈り空しく当初の見立て通りの決着となってしまうのか、それとも国際世論を背に受けた被侵攻国が劇的な祖国防衛を果たすのか、あるいはこのまま長期間戦線が膠着したまま時が流れていくのか・・・

いつの世も複雑怪奇なのが国際政治。ここ数年、西側陣営の「矢面」に立たされていた隣の大国がここにきてキャスティングボートを握る存在になっているのも気になるところで、半世紀の時を超えた「バイデン訪中」で状況が劇的に変わったとしても全く不思議ではない。

ただ、どのような結末になるにせよ、この先ロシアでの事業にかかわろうとする全ての者が、「政治」と「ビジネス」そして「人権」*5という、密接にかかわっているが本質的には別物、という複雑な要素と向き合わなければいけなくなることは間違いないわけで、安易に時流に追従することなく*6その時々の局面で何を重視するかという判断こそが何よりも大事になってくる、ということは最後に強調しておきたい。

あと、これはロシアでのみ起きうる話ではない、ということも・・・。

*1:とはいえ、巨大な国家であることに変わりはないのだが。

*2:本当に気高い理想の下で動いている人・組織も多少は存在するのかもしれないが、かの国々のありのままの社会の現実と声高に唱えられている「お題目」とのギャップに一度でも触れてしまうと、外向けに発せられるメッセージの多くは「政治」的なものに過ぎない、という疑念は当然に沸いてくる。

*3:こういう状況下では、何が真実で何がフェイクニュースなのか、などということを軽々に語ることはできない(現地で取材に当たっている記者ですら真偽を見抜いて報じるのはたやすいことではないのだから、ましてや遠方から眺めているだけの人間にそんなことができるはずもない)のだが、戦場でのいわゆる「フェイクニュース」は決して無法国家だけの専売特許ではなく、過去に「正義の戦争」を行ってきた側にも断罪されるべき作為が多々あった、という事実は常に記憶にとどめておく必要があると自分は思っている。

*4:そうはいっても、ウクライナの人々の声に共感する自分としては、ロシア国内やロシア企業との関係を維持しようとする周辺諸国の関係者が一連の動きを「集団ヒステリー」と批判することに対しては不快感を抱かざるを得ないのだが、そういった感情の集積が、時に度が過ぎた政治的圧力につながり更なる悲劇を生む、という歴史がこれまでにもあったことだけは、忘れずにいたいと思っている。

*5:既に資源系では顕在化しているが、事業によっては経済安全保障的観点からの判断を迫られることも当然あり得る。

*6:といっても、多くの日本企業にとっては、これが一番難しいことだったりもするのだが・・・。

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