今季の「投」の好調ぶりを考えれば、クリアするのは時間の問題、という状況だったとはいえ、昨年来、何度ももどかしい思いをしながら見てきたファンにとって、現地時間で8月9日のアスレチックス戦は最高の時となった。
LAエンゼルス・大谷翔平選手。投げては6回無失点、打っては降板した直後に25号本塁打。
勝ちに恵まれていなかったチームとはいえ、相手は目下地区最下位。さすがに9回まで行って5点差あれば・・・ということでチームも連勝を飾り、見事、大谷選手に今季10個目の勝ち星が付いた。
これで、メジャーリーグ5年目にして初の2桁勝利、2桁本塁打。そして前々から注目されていたとおり、この記録は、
「ベーブ・ルース以来104年ぶり」
という大記録でもある。
自分が小学生くらいの頃、野球というものにちょっと興味を持ち始めて、図書館で読んだ本に出てきたのがベーブ・ルース。
当然、うん十年前のその頃から既に「歴史上の人物」に他ならず、さらに時が経ち、呪われたレッドソックスの話とか、米国の暗い歴史の中の光、だとか、いろいろなことを知れば知るほどより”偉人”感が増していたかの人物の記録を、日本から海を渡った若者が掘り起こして乗り越えることになるなんて、つい数年前までは想像することさえできなかった。
ここ数年、1918年のベーブ・ルースの記録が「13勝、11本塁打」という情報だけはよく目にしたので、まだ牧歌的な時代のゆるーい記録だろう、と思いながら見ていたのだが、今回の大谷選手の「更新」を受けて改めて記録を見返せば、この年のベーブ・ルースがまさに「投手」から「打者」に変わろうとするタイミングで、勝利数、本塁打数のいずれの記録も、彼の長いキャリアの中ではピーク時の半分以下(投手としてはそれまで2年連続20勝していた中で、野手出場が増えて登板数が半減した中でのこの数字、また打者としては、翌年の29本塁打からMAX60本塁打まで積み上げていく中での事実上「1年目」としての数字)の数字に過ぎない、ということに気づく。
これは、「投手」であることと、野手として打席に立つことを両立させるのはそれだけ難しい、ということの証明でもあるのだが、それを投打ともに右肩上がりで成績を伸ばしながらクリアしてしまったのだから、大谷選手の物凄さはなおさら際立っているというほかない。
で、太平洋戦争前の、この時期の・・・となれば、思い出すのは、今世紀の初めに繰り広げられたジョージ・シスラーとイチロー選手の”安打数”競争。
これまた改めて調べると、今回塗り替えられた「1918年」頃は、ジョージ・シスラー選手のブレイク期でもあったわけで、この前年くらいから3割5分近い打率でヒットを量産し、イチローに塗り替えられるまで最高記録だった「257本」を放ったのは2年後の1920年のこと*1。
ベーブ・ルースに比べれば、日本では無名に近い選手だったし、当の米国でさえ「掘り起こされた」感のあった選手だったはずだが、2度の打率4割超えといい、5年間で1000本を優に上回る安打を放ってしまったことといい、この時期に残した数字を見ればシスラー選手もまさに歴史に残る“無双”。
それを超えたのもまた日本人だった、という事実は、改めて誇ってよいことのはずだ。
選手生活としては、ほぼ入れ替わりとなってしまったイチロー選手と大谷翔平選手のどちらが凄いか、ということを語ることに大した益はないし(飲み屋で語っている人はそこそこいそうだが・・・)、自分たちの世代にしてみれば、「大谷選手がイチロー選手に並べて語られるようになるには、あと10年メジャーリーグで活躍し続けないと・・・」という思いもあったりするから*2、今、大谷選手にくぎ付けになっている世代の人々と議論がかみ合うとも思えない。
ただ、今の大谷選手の勢いでポテンシャルを発揮できれば、「二刀流」としての記録だけでなく、投打それぞれで米球界の歴史に名を刻めるだけの結果は残せるんじゃないか、と思うし、それ以上に、これまでメジャーリーグに挑んできた日本人選手がなかなか掴みとれなかった「押しも押されもせぬメジャーリーグの看板選手の座」まで辿り着けそうな予感すらする。
そして、毎シーズン、その時その時の”記憶”に残るだけにとどまらず、明快な「記録」と、チームプレーヤーとしての「結果」まで残したとき、本当の意味での「日本人史上最高のメジャーリーガー」ということになるはずだけに、そこまでは何とか見届けたいな、と・・・。
そんなことを考えていたら、日本でも、今やセ・リーグでは無双の村上宗隆選手が最年少40本塁打記録を更新、というニュースが流れてきた。
破られない記録はなく、塗り替えられない歴史もない。
だとしたら、既に40年以上、「世界の・・・」を冠に、不滅の大記録として残っているあの記録を破ってくれないものか、と願いつつ、今年のシーズンをもう少し楽しんでみることにしたい。